2012年09月02日

大河の一滴 五木寛之 幻冬舎文庫

(この感想文は今から6年ほど前に書きました。)

大河の一滴 五木寛之 幻冬舎文庫

 前半50ページぐらいは読むのがつらい。難解な面もあるが、生きることに対して非常に消極的な考えが手から本を遠ざける。
 人間特有の行動として「依存」があると思う。誰かが助けてくれるという期待。反対語が「自立」だ。今日雀を見ながら思った。彼らは仲間に依存しない。自立できなくなったときは死だ。それが自然の摂理である。人間の依存は自然の動きに反している。
 60ページを過ぎたあたりから内容は重くなってくる。五木寛之ほどの人がなぜにこんなに悩むのかがわからない。作家と自殺は距離が近い。
 作家=聖人君子ではない。人格が高潔であるわけもない。五木寛之氏の弱さが垣間見られる。10年ぐらい前に書かれたものであるが、状況は今も変わらない。日本人は単一の民族といえども世代によって異なる考え方をするようになった。どれが正しいとはいえない。ただし、その責任はその時代に生きる日本人が負うことになる。
 中盤はお坊さんのお話をうかがっているようだ。ゆっくりだからわかることがある。それがこの本の前半の印象だ。生活や仕事に追われている現在の自分にはキャッチできない情報や考え方が前半にある。後半はまるで別の本のようだ。年齢のせいか記述が過去の思い出に尽きる。未来に向かうものがない。
 悲観的であることがこの本の根幹をなしている。現在の日本、これからの日本人に対して悲観的である。最後のほうは仏教書のようだった。

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