2012年09月02日

陰日向に咲く(かげひなたにさく) 劇団ひとり 

(6年前に書いた感想文です。)

陰日向に咲く(かげひなたにさく) 劇団ひとり 幻冬舎

まだ読みかけですがどうしても感想を記したくなったので書き始めます。
中身は五つの小編ですが、3篇目を読み始めて、これは全体がひとかたまりになっていると予測しています。
久々のヒットです。ひとつひとつは短いけれど、早く読み終えるには惜しいので、ひとつ読み終えるたびに余韻を楽しみます。次の小編は明日のためにとっておこう。ゆっくりゆっくり文字をたどっています。

「道草」
作者のイメージを消して読む。テレビで見かける彼の顔を忘れてしまおう。経歴にこどもの頃は親の仕事の関係でアラスカで育ったとありびっくりしました。
読み終えたときには、映画になったアメリカ映画「スティング」が脳裏に広がりました。ロバート・レッドフォードとポール・ニューマンだったと思う。

「道草」は痛快です。読み始めはまず、文章に作者の才能を感じます。読み進めるとこれでいいのかなと記述の弱さを感じ出します。自分以外の他者がいないのです。しかしそれは読者に油断させる手腕なのでしょう。モーゼの布石が張ってあったことに後で気づく。作者は小説や脚本の書き方を学んだことがある人だと思います。原稿用紙30枚程度の文の量でしょうか。短いけれど面白い。

「拝啓、僕のアイドル様」
話をどうころがしていくのか興味津々になります。
わたしはこの本のタイトルを最初「ひかげにさく」と読んでいました。違いました。「かげひなたにさく」でした。ただ、読んでいると日陰の部分ばかりに感じてしまいます。
主人公「僕」のアイドルに対する一途な想いがすごい。最後のオチはどうやって落とすのだろうかと最後が近づくにつれて不安になる。おちのない話になってしまいそうだ。途中、どうしてこのシーンが書かれているのだろうかと首をかしげるけれどその理由に気づけない。最後は心あたたまるいいシーンでした。

ただいま3篇目を読み始めたところです。また続きを書きます。

「ピンボケな私」
オカマ言葉から始まる。展開には笑いとスリルがある。
人間を刻銘に深く描くことが小説という基本ができている。
いままでの小編に出ていた3人とはどういう関係なのだろう。家族のようでそうではない。

「Overrun」
冒頭の記述には凄(すご)みがある。
昔テレビで放映されていた「笑うセールスマン」を思い出した。
ラストシーンにはジンときた。

「鳴き砂を歩く犬」
アブノーマルな世界なのに、なんだろうこの温かみは。
リリー・フランキーの「東京タワー」を思い出す。

「総論」
不思議な感覚に陥った。
本を読む途中、ひと休みして近所で建築中の自分の家を見に行った。
3日前に上棟式を済ませた。
南側から見上げた。南隣に広い畑が広がっている。
そのとき自分が小学校2年生だった頃の暮らしが蘇った。
東側から家を見上げた。家と塀までは2m程度で通路のようになっている。7歳の頃住んでいた木造2階建てアパートを思い出した。トイレはあったが、風呂はなく、週に3回ぐらい銭湯へ通った。アパートの南側通路にコスモスの鉢植えを置いて、こやしが必要だと思ってコスモスに毎日自分のションベンをかけていた。時期はちょうど今頃暑い夏だった。かげひなたに咲く。言葉どおりの花だった。帰宅して再びこの本の続きを読み始めた。ラストシーンのアパートが子どもの頃に自分が住んでいたアパートに似ていた。なつかしかった。
 作者の特徴は、後半盛り上がるところでふっと力が抜けるところです。ラストをどうするのだろうと読み手は不安になる。しかし、しっかりとしたラストが用意されている。さすがです。
 リリー・フランキーの「東京タワー」、夏目漱石の「こころ」。最近わたしが感銘を受けた作品です。この本はその3冊目になりました。

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