2012年08月15日
二十歳の原点 高野悦子
二十歳の原点(にじゅっさい) 高野悦子(たかの) 新潮文庫
読み始めたのは二十歳の原点(にじゅっさいのげんてん)高野悦子著(たかの)新潮文庫です。1月から6月までの日記です。作者は栃木県出身で京都の大学在学中の6月に京都で鉄道への飛び込み自殺を図り亡くなりました。読み進めるごとに作者の死が近づいてきます。
日記の中では強気で明るい彼女です。しかし現実世界ではおとなしいお嬢さんだったと思います。読み始めて脳がじーんとしびれました。
記述の日記は自問自答を繰り返しています。未熟であること、ひとりであること、それが二十歳の原点と記されています。人間が生きていくうえで必要なものは、空気、水、食べ物。そして、コミュニケーションです。人は他者との関わりが無くなると死にます。著者はカミソリで手を切ります。淋しげです。死の1か月前、家族や友人と決別します。人は生き続けていくために、わずらわしいと感じながらも、なにがしかの集団に属していかざるをえないのです。
読み始めたのは二十歳の原点(にじゅっさいのげんてん)高野悦子著(たかの)新潮文庫です。1月から6月までの日記です。作者は栃木県出身で京都の大学在学中の6月に京都で鉄道への飛び込み自殺を図り亡くなりました。読み進めるごとに作者の死が近づいてきます。
日記の中では強気で明るい彼女です。しかし現実世界ではおとなしいお嬢さんだったと思います。読み始めて脳がじーんとしびれました。
記述の日記は自問自答を繰り返しています。未熟であること、ひとりであること、それが二十歳の原点と記されています。人間が生きていくうえで必要なものは、空気、水、食べ物。そして、コミュニケーションです。人は他者との関わりが無くなると死にます。著者はカミソリで手を切ります。淋しげです。死の1か月前、家族や友人と決別します。人は生き続けていくために、わずらわしいと感じながらも、なにがしかの集団に属していかざるをえないのです。
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