2012年07月09日

地をはう風のように 高橋秀雄


地をはう風のように 高橋秀雄 福音館書店

 舞台は栃木県日光市小林地域で、時代は昭和34年の春夏秋冬です。
 三世代同居家族体制が崩れて久しい。これはいまどきなかなか聞くことができないおじいさんの昔話になります。現代の少年少女たちに内容を理解できるのか否かはわかりません。日本人の生活はこの50年間で大きく発展しました。作中で紹介されているお葬式とか家屋の形態、ことにお風呂、トイレは抜群に良化されました。それと引換えに虫の音(ね)や天高く飛ぶヒバリの姿を始めとした豊かな自然や満天の星空を失いました。現代のこどもたちが読むと異世界と感じるでしょう。
 文章からは栃木弁の方言が聞こえてきます。セリフはなまっていませんが、言葉にこめられたぬくもりの雰囲気が伝わってきます。
 主人公である井上ファミリーは貧しい。祖母キヨは多少認知症があるのかそれとも性格なのか、寸借詐欺(さぎ)を働く癖がある。祖父は亡くなっているのか家にはいない。息子もいない。どうも息子は戦後病死しているようです。息子の嫁キヌエは、日銭を稼ぐために物語の途中から土方(どかた、肉体労働)仕事を住み込みで始めてやっぱり家にはいない。家にいるのはおばあさんのキヨと小学校6年生の公造、そして小学校1年生の稔の3人です。お金はない。食べ物は粗末。ふりかえってみれば、そのような家が当時の日本全国にたくさんありました。都市部の人たちは先に高度経済成長の恩恵を受けていましたが、田舎には旧態依然とした貧困が残っていました。
 本家と分家の関係があります。分家にはふろがなく本家にもらい湯にいきます。テレビもなく、テレビも見せてもらいに行きます。分家は本家になにかと頭が上がりません。
 日光連山が広がり、男体山(なんたいさん)がそびえ、星は輝き、風は地を渡ってゆく。鬼怒川(きぬがわ)の流れは止まらず、人が生まれて、人が死んで、時は流れてゆく。学校でともだちとけんかをして、先生ともめて、近所の人たちとお金のことやらでいさかいをもつ。雨が降って、異性を好きになって、泣いたり、笑ったりしながら毎日が思い出になってゆく。結核という病気が忌(い)み嫌われたり、生活保護をもらうことが恥ずかしいことだと決めつけられていたりした時代があった。そのときそのときで人の考え方とか価値観が変化していきます。昔は常識だとされていたことが、現代では非常識とされ、未来での評価はまたどう変化するのかはうまく予測できません。ひとりひとりは、ひとりがもつ人生という時間の範囲内で自己完結してゆくのです。
 限られた人生の期間をどこでどう過ごしてゆくのか、ライフデザイン(人生設計とか人生計画)について振りかえったり、考えたりしました。


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