2012年07月06日

オン・ザ・ライン 朽木祥

オン・ザ・ライン 朽木祥(くつきしょう) 小学館

 テニスは若い頃に職場のメンバーで何度か練習打ちをしたことがあるぐらいで、ルールもよくは知らない。テニスを素材にしたこの本を読めるだろうかという不安をもちながらページをめくりはじめた。「オン・ザ・ライン」の意味は、テニスボールがライン上に落ちれば「得点」だし、ラインの外に落ちれば「失点」になることから「運がよかったか、悪かったか」を暗示していると解釈した。(もっともプロは運の良し悪しではなく実力でオン・ザ・ラインにボールを落とす。)「運がいいとか悪いとか」は、人生を振り返ってみればだれしも思い当たることがあるもので、あの日、あのとき、あの場所で、あの人と出会わなければとかあのことが起こらなければという下向きな思いはある。考察すると、人の世の出来事はだれのしわざなのかはわからないけれど、常に最悪の方向へと流れてゆく傾向にある。人はそうならないように最善を尽くしていかなければ転落は速い。この物語では、高校2年生テニス部員日高侃(ひだかかん)の親友羽鳥貴之(はとりたかゆき)身長190cmが交通事故で満足に歩けなくなる。事故の原因をつくったのは日高だ。
 315ページの物語である。第1部が186ページまで、それ以降が第2部である。各部には章がもうけられていて、各章の冒頭には1ページコメント(章頭の言葉)が付いている。第2部は絵画に関するコメントが多い。読みながらその部分の意味はとれなかった。第1部では、躍動する高校テニス部員の肉体動作風景が描かれる。第2部では登校不可能状態になった日高が瀬戸内海の島でぼけた祖父と一緒に暮らす話となっている。地理に興味があるので、広島県の地図を広げてそれらしき島に目星をつけた。たぶんここだろう。
 文章は1行書き流しで、詩の書き方を主体にした散文となっている。文字数は少ない。10ページずつの刻みで進行してゆく。この文体スタイルの小説は少ないけれどこういう書き方もある。青春日記である。洋画「スタンバイミー」とか米国小説「ライ麦畑でつかまえて」の印象がある。
 第1部後半から第2部前半にかけての羽鳥が日高をかばって車にはねられるシーンは、唐突(とうとつ、突然すぎる)であるし、不自然でもあるが、ありえないことはない。ただ、無理をしている。
 背が高くて手足が長い男子生徒たちのあこがれであるテニスプレイヤーマドンナ的存在の永井小百合は書中にあるとおり女優吉永小百合をイメージさせる。加えてシャラポア選手が思い描かれる。
 生徒たちの私生活はそれぞれに家庭に恵まれてはいない。根底に日高と彼の父親との離れた関係がある。父親は家を出て行った。日高は母子家庭である。メンバーの学力水準は高く、日高自身は活字中毒となっている。たくさんの書物について記述されているがむずかしく一般的に読まれない本であり、わたしが明確に読んだ本は「かいじゅうたちのいるところ」ぐらいしかない。日高の父親は海外でフリーライターとして働いている。文学青年の活字中毒でかつテニスを通じての筋肉マンが同一人物に宿っているという設定となっている。そういう生徒がいないことはないが無理がある。
 事故に遭った羽鳥が車椅子テニスに移行することは読んでいる途中で予測できる。洋画「フォレスト・ガンプ」では、戦地で名誉の戦死を選択した軍曹を兵隊のフォレスト・ガンプが助けてしまう。車椅子生活で国からの補償金で生活するようになった軍曹は生きがいを失いフォレストをうらむ。フォレストは軍曹を夢中で支えて、軍曹はお金持ちになり、やがて結婚する。テーマのひとつに生き続けることの素晴らしさがあった。羽鳥が車椅子生活になるきっかけを日高はつくってしまった。一生を使って償うことは重い。作中では羽鳥と日高が殴り合って気持ちのふんぎりをつけるが現実にありえる可能性は低く苦しい。
 お金がからまない学生生活だから修復できる関係が成立する。対して、物語中のおとなたちは孤独だ。外国暮らしをする日高の父親、ひとりで生活費を稼ぎ出す日高の母親、瀬戸内海の島で暮らす日高の祖父、それぞれ自分のやりたいことを極めていたらひとりになった。
 瀬戸内の島で暮らす子どもたちは生き生きと遊びはつらつと勉強している。カラスと呼ばれる少年が登場する。彼の生活力は強い。その記述の真意をつかむには、もう一度読むしかない。


(およそ2か月後の再読)
再読の理由はふたつあります。
ひとつは、物語に登場した主人公日高侃(かん)と認知症の祖父が暮らした「美能」という島
ふたつめは、島でカラス天狗と呼ばれた8才の矢野少年
まず、島ですが、次の写真の島だと思うのです。
先日、車で高速道路を走っていて、途中で休憩した宮島サービスエリアから見えた島です。
奥の薄くて高い山影一帯です。
広島県の江田島市に属しています。



ふたつめの真っ黒に日焼けしたカラス坊と呼ばれる少年について書きます。
長崎出身、幼児期に実父病死、実母は男と逃げた。
実父の両親(祖父母)は、祖父が死に、祖母が死に、少年はカソリックの愛児園に収容された。
島に住む21才の娘を交通事故で亡くした今井さんが里親となり、やがて少年と養子縁組をした。
8才だけど苦労人です。じぶんでじぶんを「わし」と呼びます。
主人公の日高侃(かん)は、(高校を)辞める!と言い、母親は「そうなさい!!」と返す。
休学した侃はひとり暮らしをする認知症の祖父宅であるこの島に身を寄せるのです。
くよくよする侃に対して苦労人の矢野少年はたくましい。比較です。
再読してみて、そもそも「オン・ザ・ライン」つまり「ぎりぎり」なんていう世界が存在するのだろうかという疑問が湧いてきました。世界は広い。ラインは、あるようで、ないのです。「オン・ザ・ライン」の状況とか状態をつくりだしているのは、自分自身の心とか気持ちです。

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この記事へのコメント
読書感想文の
お手本にさせてもらいました。

ありがとうございます!
Posted by はる at 2012年08月20日 20:52
かきこみありがとう。
宿題も追い込みですね。
がんばってください。
Posted by 熊太郎熊太郎 at 2012年08月21日 11:23
読書感想文の参考にさせてもらいました!
Posted by たか at 2012年08月27日 22:46
書き込みありがとうございます!!読書感想文の参考にさせていただきました。おかげですぐ終わりました!!
Posted by 紘太朗 at 2013年07月31日 13:06
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