2012年06月23日

メタボラ 上・下 桐野夏生

メタボラ 上・下 桐野夏生(なつお) 朝日文庫

 記憶喪失者のお話です。沖縄で記憶を失った仮名「磯村ギンジ」の物語です。以前読んだのは「記憶喪失だったぼくが見た世界」坪倉優介著でした。実話です。本人もご家族も苦労されておられます。ふたつの本の内容が重なる部分も多いのですが、今回読み始めた本は虚構になります。実話では最後まで記憶は戻っていません。生まれ変わったつもりになって過去をつくる作業(毎日を淡々と生きる)を始めて苦痛を克服されています。
 「ココニイテハイケナイ」、「お前、仕事だろう!」この2語の記憶しかない。山の中で伊良部昭光という男と知り合って交流をもち始める。若い女性たちもからんで、ギンジは自分が何者なのかをわからずさまよう。自分の存在を嘘で固めて働く。自分は性的に男性愛好家かもしれないと思い始める。不安定で不気味です。
 生まれ変わるためのマニュアル本です。周囲の人たちと「関係」を築いて、就労によって「収入」を得て、生きるための手順を踏んでいく。ギンジは、記憶を失う直前の自分の行動を思い出して絶望します。恩納村(おんなそん)のビーチには20代始めのころに行きました。タクシーの運転手に迷惑をかけたことを思い出しました。沖縄の人たちは寛容でやさしい。本読みをしながら自分自身の失っていた記憶もよみがえります。
(つづく)
 第7章「スイート・ホーム」はつまらなかった。第8章「デストロイ」ありがちな家庭崩壊です。描写は秀逸です。記憶が戻ります。自分が、あんな父親の子どもであることが憎い。でも血縁を切ることはできない。ギンジは、養育ができなくなった両親の犠牲者でした。この章だけで単体の作品として完成しています。
 「ボラバイト」はボランティアバイトでした。「メタボラ」は巨大なボランティアかと推測しましたが違っていました。巻末の解説に「新陳代謝」とありました。社会での労働体制の変化を表しているようです。終身雇用の制度を始め戦後形成された日本の会社・家族のありようが崩壊したとなっています。
 ふわふわと浮遊している若者男女たちにはルーツ(根っこ)がありません。義務を果たさず権利だけを行使しているようにも見えます。書中に「放浪は死の状態を意味する」というような記述があります。嫌なことから逃げているだけなのです。

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