2012年06月23日

わたしのとくべつな場所 パトリシア・マキサック

わたしのとくべつな場所 パトリシア・マキサック 新日本出版社

 短いお話なので、まず読み方1回目の感想を書きます。
 わたしのとくべつな場所がどこなのかが秘密としてスタートします。登場したのは、最初は14歳、読むうちにおそらく12歳の女の子、パトリシアです。彼女は、とくべつな場所に向かう途中、いくつかの人種差別を体験します。彼女は黒人です。差別するのは、アメリカ合衆国の白人です。
 パトリシアは自宅を出るとき、祖母に投げキッスをします。明るくて、いいなあ。日本人が出掛けに親に投げキッスをしたらそれを見た人はびっくりします。
 特別な場所は、読みながら当然、人種差別を受けない場所となります。予測してみる。教会ではありませんでした。自由を叫ぶ政治活動の事務所でもありませんでした。
 最後にその場所が判明したとき、ほーっとうなりました。なかなかいい。
 ひとりの人間は、地球上にあるすべての世界を体験することはできません。人はそれぞれ、自分のそばにある小さな空間で生活していきます。日本人がアフリカ系黒人と同じ体験をすることはありません。日本人は、もしかしたら差別する側の立場かもしれません。

(1週間後 2回目の本読み)
 最初は、「差別」を排除して読もうとしました。されど、そうすることはできませんでした。
 12歳のパトリシアは、おしゃれをしたい。デザインや色彩の優れた洋服を着たい。知らない世界を知りたい。だから出かけたい。ついでに彼氏もほしい。もうこどもじゃない。
 おばあさんのみっつの言葉が心に残ります。「どんなことがあっても胸を張って歩くのよ」、「まっすぐ前を見て歩きなさい」、ここを「自由への入口」という。街路で、まっすぐ前を見て歩けない社会なんて間違っています。
 作中では黒人を「COLORED(色がついている。白人は色がついていないのか)」、そのあとのページで白人を「WHITES(白の複数形)」と表示してあります。肌に色がついているという表現は生生しい。
 支配する者がつくった法律のもとにある社会です。どんな法律ができるのかはどんな人を選挙で選ぶのかにつながります。民主主義の話まで話題は延びます。

(上の翌日 3回目の本読み)
 今度は絵をしっかり見てみよう。絵本画家はニューヨークに住むジェリーさん。色彩がきれいです。淡い色合いです。主人公パトリシアの表情から、おでかけがうれしいという気持ちが伝わってきます。祖母と向かい合ったパトリシアの絵からふたりの会話が聞こえてきます。
 バスの中のパトリシアは怒っています。黒人席はこっちという案内サインに憤り(いきどおり)を感じているのです。バスのなかにいる黒人さんたちを見ていると、結局、組織力がものを言うと感じるのです。何かを変えようとしたら数の力がいります。民主主義の基本は多数決です。
 公園のベンチには白人専用という表示がありますが、じゃあ、黒人専用のベンチがあったかというとなかったでしょう。白人以外は人間ではなかったのです。絵本の時代設定は、1950年代、今から60年ぐらい前のアメリカ合衆国の社会です。
 この本でパトリシアが行きたいとくべつな場所とは「公共図書館」を指します。「だれでもじゆうにはいることができます」で結ばれています。ということは、だれでもじゆうにはいることができなかった時代があったということです。


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