2012年06月20日

奥の細道 松尾芭蕉

奥の細道 松尾芭蕉 上野洋三著 21世紀によむ日本の古典15 ポプラ社

 「奥の細道」は日本の有名な本ですが、これまで読んだことがありませんでした。日本人でこの本を読んだことがある人の数も少ないでしょう。
 原文を読んでも意味を解せないので、子供さん向けのみだしの本を読んでみました。美しい日本語が並んでいます。最初は松尾芭蕉の句集かと思っていましたが、芭蕉の句よりももっと昔の俳句とか短歌とか、ほかの方の作品の数の方が多く紹介されていて意外でした。
 また、松尾芭蕉さんのひとり旅と思いきや、曾良(そら)さんなる男性の友人との二人旅であったこと、そもそも松尾芭蕉さんの職業は何だったのかと疑問が湧きました。忍者説もあるようです。わたしは、俳句の先生だけでは収入を得られないと思うのです。そんなことを考えながら「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人也…」という名文に酔いしれました。
 人生を旅ととらえた味わいのある記述は、旅への誘い(いざない)です。1689年の旅ですから今から300年ぐらい前の前の東北、越後、越前、滋賀県、岐阜県大垣市までの旅になります。途中栃木県日光市東照宮の記述もあり、わたしは幾度か訪れたので身近に感じました。その当時は1日に40kmぐらい歩いたようです。また、冒頭近くに徳川の時代になってから90年ぐらい戦がないとあり、やはり平和は大切だと認識しました。当時の日本のようすは、自然が豊かで、のんびりしたところという印象を受けました。
 上質な文章と俳句、短歌が続きます。言葉が丁寧です。ただし、わたしには、当時の言葉で書かれた俳句や短歌の意味をとることはできません。訳文が付されていますが、それでもなかなか意味はとれません。昔、日本のこの地で生活していた人々の記述が出てきます。もうとうの昔に天国へ召された人たちですが、つい先(せん)だって逝かれたような気になります。1689年の人が平安時代や奈良時代をふりかえることが興味深い。現代人と同じ感覚なのです。
 103ページ、この時代にもホームレスがいたということが、思えばいるはずなのですが、何百年経とうが時代背景が変わろうが、ホームレスはいるということが、ちょっとしたきっかけなのですが、結局、人間というものは、異なる時代でも同じような舞台で同じような役を人が変わりながら演じているという見方につながったのです。148ページに「下界では人々は銭の亡者のように生きている」という記述があり、今も昔も同じという説得力が増すのです。
 152ページに秋田県象潟(きさかた)の風景がすばらしいという記述があり、わたしも行ってみようか、されど300年ぐらい前のことであり、今はどうかと考えながら読んでいましたら、162ページで、1804年の大地震でその風景は失われたとあり、そうかと残念でした。
 現代に生きるわたしにとっては、歴史を訪ねる1冊になりました。源氏も平家も滅んだという記述には、永久に栄華を継続できる集団はこの世に存在しないと感じつつ、これからの日本も遠い未来には再び戦火の地になるかもしれないという不安が生じたのです。
 そのほか、当時の人たちの食事は肉を食べなかったのではないだろうとか、寿命は50代ぐらいだったのだろうかとか、確か大正時代の日本人平均寿命が55歳ぐらいだったと思うのです。松尾芭蕉さんは51歳で亡くなっています。いろいろと思いをめぐらすことができて、読んでよかった本です。


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