2012年06月17日

記憶喪失になったぼくが見た世界 坪倉優介

記憶喪失になったぼくが見た世界 坪倉優介 朝日文庫

 衝撃的な内容です。18才の著者は、雨の中、原付バイクを運転中に駐車中のトラックに衝突する。10日間意識不明となったあと息を吹き返す。大声で叫んで暴れて、病室のベッドにくくりつけられたあと数日して、急におとなしくなる。意識が戻った彼は、自分がだれなのかわからない。家族に会っても相手が何者かわからない。18年間の記憶が消えている。字は読めない。物の名称も覚えていない。現象の意味を理解できない。実話です。最後まで、記憶はほとんど戻りません。
 命の再生を語る物語です。周囲から奇異な目で見られるのが嫌で、だれにも会いたくない。親からみれば生きているだけでもありがたい。本人は、生き返るんじゃなかったと言う。本人の行動は異常です。母親の涙は尽きない。弟、妹はとまどう。父親の厳しくも適切な教育があり、作者は在籍していた芸術系大学を留年しながらも卒業し、運転免許取得後、車中泊で新潟から北海道までひとり旅をしています。そして、ひとり暮らしに挑戦しています。お米をお湯でといだ話には笑いました。就職を経て、着物の染物作家として自立されています。海外での学習歴もあります。「絵があってよかった」というひとことにはほろりときました。初期の作品では、たくさんの足跡も鳥も人間を表し、そこにひとつだけ反対の方向を向いている足跡や鳥の絵があります。反対を向いているのは著者自身の姿であり著者の孤独を表しています。
 交通事故後の様子は、認知症の年寄りのようでもあり、障害者のようでもあります。列車の中の描写は障害者の行動と思考の説明を表しているようで障害者の気持ちがよく伝わってきました。ひらがなをようやく覚え、漢字の存在を知る。失った能力と引き換えに鋭い感性が与えられます。わからないことを徹底的に追求します。観察力が向上します。
 自然が心を慰めてくれます。樹木や草木を素材にして布を染める職業に就(つ)かれました。退院後、人生をもう一度最初から始める。一日一日を過ごすことによって過去が形成される。その過去が増えるごとにだんだん心が落ち着いていきます。
 親は放任であってもいけないし、過保護であってもいけない。自力でやらせる。助けを求められたときだけ助ける。冒険したい気持ちを尊重して旅立たせる。親は先に死ぬ。だから、こどもに自力で生きていける力を授(さず)けなければならない。この本は子育ての本でもあります。今年読んでよかった1冊になりました。


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