2012年06月16日
考えない練習 小池龍之介
考えない練習 小池龍之介 小学館
タイトルが「考えない練習」ですから、考えないことなのかと思いきや、考えないために考える本です。快適な心の状態を保つための手順書となっています。
23ページにあるとおり、現代人は「思考病」なのでしょうが、それも10人のうち2人ぐらいでしょう。大半の人たちはおおらかに気ままにマイペースで生きています。ですから、
お坊さんの説法です。いかに効率よく煩悩を克服するかが記されています。「八正道」がその術(すべ)です。京都のお寺さんで、お坊さんのありがたいお話を聴いているようでした。
ながめるseeと見つめるlookの違いです。意識をもつことが大事なのです。テレビやネットや新聞を正しいと鵜呑(うの)みにしない。自分の考えが正しいと自信をもつ。群集心理に加担しない。賢くなる。自分の心を客観視する。しかし、冷静になればなるほど、人間から喜怒哀楽がなくなっていきます。
「待つ」の項目では、電車の利用の仕方を思い出しました。長年続けてきた電車通勤では、快適であるために、電車の時刻、乗る車両番号、座る位置まで決めていました。転勤で車通勤に変わってからは、それまでの神経質とも思える行為をしなくてよくなったので通勤の苦痛が少なくなりました。
過去において、なにがなんでもやりたいことをやる。根性とか努力とかがもてはやされた時代がありました。そのときはそういくことが素晴らしいと感動しましたが、今はそう思いません。やりたいことがかなったその過去を覚えているそのときの関係者はほとんどいません。人間は出来事を忘れてしまう生き物なのです。ネバーギブアップで夢がかなっても、そのときだけの感動で、記憶から消えてしまうのです。
仏陀(ぶっだ)の考えとして、世界中の人たちがみんな仲良しになれるわけがない。つきあう相手を選択するという考えには同調します。世の中には、人の物を盗んでもなんとも思わない人がいます。人からお金を借りて返さない人もたくさんいます。人の家の敷地に勝手に入り込んでもなんとも思わない人もいます。不正をして金を儲けて大きな家に住んだり、高価な乗用車に乗ったりしている人もいます。性悪説を信じないとだまされます。考えない=がんばらない。(無理をしない)で心の安定を保つ。
タイトルが「考えない練習」ですから、考えないことなのかと思いきや、考えないために考える本です。快適な心の状態を保つための手順書となっています。
23ページにあるとおり、現代人は「思考病」なのでしょうが、それも10人のうち2人ぐらいでしょう。大半の人たちはおおらかに気ままにマイペースで生きています。ですから、
お坊さんの説法です。いかに効率よく煩悩を克服するかが記されています。「八正道」がその術(すべ)です。京都のお寺さんで、お坊さんのありがたいお話を聴いているようでした。
ながめるseeと見つめるlookの違いです。意識をもつことが大事なのです。テレビやネットや新聞を正しいと鵜呑(うの)みにしない。自分の考えが正しいと自信をもつ。群集心理に加担しない。賢くなる。自分の心を客観視する。しかし、冷静になればなるほど、人間から喜怒哀楽がなくなっていきます。
「待つ」の項目では、電車の利用の仕方を思い出しました。長年続けてきた電車通勤では、快適であるために、電車の時刻、乗る車両番号、座る位置まで決めていました。転勤で車通勤に変わってからは、それまでの神経質とも思える行為をしなくてよくなったので通勤の苦痛が少なくなりました。
過去において、なにがなんでもやりたいことをやる。根性とか努力とかがもてはやされた時代がありました。そのときはそういくことが素晴らしいと感動しましたが、今はそう思いません。やりたいことがかなったその過去を覚えているそのときの関係者はほとんどいません。人間は出来事を忘れてしまう生き物なのです。ネバーギブアップで夢がかなっても、そのときだけの感動で、記憶から消えてしまうのです。
仏陀(ぶっだ)の考えとして、世界中の人たちがみんな仲良しになれるわけがない。つきあう相手を選択するという考えには同調します。世の中には、人の物を盗んでもなんとも思わない人がいます。人からお金を借りて返さない人もたくさんいます。人の家の敷地に勝手に入り込んでもなんとも思わない人もいます。不正をして金を儲けて大きな家に住んだり、高価な乗用車に乗ったりしている人もいます。性悪説を信じないとだまされます。考えない=がんばらない。(無理をしない)で心の安定を保つ。
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