2012年06月16日

更級日記 菅原孝標の女 平塚武


更級日記 菅原孝標(すがわらのたかすえ)の女(娘) 平塚武ニ 童心社

 訳者の前書きを読む。歴史をひと筋の川の流れにたとえてあります。過去と現在はつながっている。昔の人と今の人との心は溶け合っているとあります。しみじみしました。
 「更級(さらしな)」とは地名です。姥捨て山の慣習(年老いたおばあさんを食いぶちを減らすために山へ捨てにいく。)がある土地とあります。夫を亡くした作者は晩年「死」を意識し始めます。内容は日記というよりも人生の回想記です。最終章では仏さまが迎えにくる夢をみておられます。
 心素直に書かれた情感のこもった名作です。枕草子とか徒然草の陰に隠れていますが、完成度は同等かそれ以上です。これまで読んだ古典の中で、いちばんよかった。訳者の力量もあるのでしょう。読みやすくて、わかりやすい。
 1000年前に実在していた女性の日常生活に関する記述です。父親と夫は「国司」という、今でいうところの国家公務員とか全国規模の企業の役職者です。それほど高位置のポストではないようで、遠方の土地を転勤しながら回る職務となっています。都は京都で、関東地方や北陸、九州が転勤先となっています。冒頭付近は転勤先の関東から京都へ戻る旅路となっており、江戸時代の東海道中膝栗毛よりも、もっと昔に徒歩で関東から京都まで移動されています。
 1008年生まれの作者は本読み好きです。源氏物語の続きを読みたいと切々と訴えています。伊勢物語とか、大和物語、楊貴妃と玄宗皇帝とのことを書いた長恨歌(中国の詩人白楽天の作)という文字も出てきます。また、訪れた地は、広隆寺(京都市)、長谷寺(奈良県桜井市)、東大寺(奈良市)、鞍馬寺(京都市)、清水寺(京都市)などの場所が登場します。1000年前のことです。源平合戦も鎌倉時代もまだ訪れていません。それでも、現代と同様の参拝場所です。昔は、お寺=ホテルです。作者本人も、参拝は、半分は「遊び」と表現しています。
 母親に関する記述はほとんどありません。一方、父親の記述は多い。ことに、単身赴任を決意して家を出ることになった父親との別れでは、深い悲しみに暮れておられます。彼らの生活ぶりは、屋敷の構えをはじめとして質素です。それは上層部も同様だったでしょう。外国であれば、絢爛豪華な宮殿住まいなのでしょうが日本人は堅実です。
いくつもの和歌が登場します。自然に包まれて、自然を愛し、自然を讃える暮らしぶりです。現代人が忘れかけている意識です。硯(すずり)の水が凍ってしまったという一節が記憶に残りました。また、京都御所内にある清涼殿(せいりょうでん)の記述があります。以前見学したことがあります。たいへん美しい建物でした。

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