2012年06月14日

星をつくった男 阿久悠と、その時代 重松清


星をつくった男 阿久悠(あくゆう)と、その時代 重松清 講談社

 読み終えるとけっこう気持ちが重い。作詞家としての阿久悠氏と本名の深田公之(ひろゆき)氏のふたつの個性が同一の精神と肉体に宿っている。文中に「やせがまん」という言葉がちらほらみうけられる。兵庫県淡路島で過ごした17年間では、同級生のだれもが、深田公之氏の存在をほとんど記憶にとどめていない。出席はしていたけれど、目立たない少年であった。
 ヒット曲を生み出すためのコツが書いてある。固定観念からはずれると、ヒットが生まれる。聞き手の趣向をさぐって歌づくりをする。今の時代背景、そして未来の時代背景を読む。その手法はシンプルでもある。作詞家業を営みながらの芸能界生活をみると、庶民の暮らしとは別世界である。加工された世界で楽曲をつくる。いっけん消耗品のように思える歌も、彼の歌の場合は、歌い継がれていく点で、あまり他に類(るい)をみない。歌うことは夢を追うこと。歌は空に飛んで星になる。そう結んである。
 偶然の出会いを必然の出会いに変えて、成功にたどりつく。テレビ「スター誕生」で見る彼は饒舌(じょうぜつ)だった。歌以外、仕事以外の場面では無口だったらしい。アーチストは孤独に創作をする。長い間、土の下で幼虫生活をおくる蝉(せみ)にも例(たと)えてある。人見知りだから美空ひばりさんと話せない。ひばりさんが歌うと仮定してつくったらしき「舟歌(ふなうた)」は八代亜紀さんの歌唱で大ヒットした。そんな秘話がほかにも書いてある。
 森昌子、桜田淳子、山口百恵の3人娘のデビューは衝撃的だった。まだ中学3年生で、かつ高校受験生だった。もうひとつ、ピンポンパン体操、思い出した。そういう楽しいにぎやかな歌があった。歌を思い出すと、その頃の自分が何をしていたかを思い出す。たしか入院中の同級生のところへ千羽鶴をもって見舞いに行った。
 作者の気持ちはかなり入れ込んでいる。そして、阿久悠自身は、しあわせだったのだろうか。戦争を背景にしながら、10年刻みぐらいの世代間で感じることの相違などが、かなり細かい記述でマニアックです。


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