2012年06月14日

神も仏もありませぬ 佐野洋子

神も仏もありませぬ 佐野洋子 ちくま文庫

 88歳の母親と暮らす作者は63歳で、本の発行は2003年11月となっています。そして作者は2010年亡くなりました。72歳でした。
 母はどうも認知症らしく、自分の年齢を4歳と言い、ひと月ほど前に読んだ作者の絵本「だってだってのおばあさん」では、おばあさんが自分を5歳と言い張るのです。物語のヒントは作者の生活にあったことが、この本でわかります。
 作者は、上品な方ではなく、たくましい方でした。中国からの戦争引揚者としてこども時代を送り、自分にふるさとはないと書いてあります。群馬県の山間部の村で暮らしておられたようで、自分で雪道の運転をしたり、暗闇の中、ひとりで秘湯へと入浴に行かれたりされています。時間がゆったりと流れていきます。毎日スピーディな動きを求められる生活を送っている者にとっては、別世界です。また、コンクリートとアスファルト、ガラスとプラスチックに囲まれた環境にあるわたしと、浅間山をながめながら日を送る作者とでは段違いです。子どもの頃、山に囲まれた盆地で暮らした頃がなつかしい。
 41ページには、いつ死んでもいいという作者の言葉が記されています。そして作者は亡くなりました。わたしの祖父の墓参りに行ったとき、祖母が、もうすぐ自分もその墓に入るときがくると言い、そのとおりになったことを思い出しました。
 テレビは人の心を荒廃させていくという言葉には共感します。テレビを見るだけの毎日を送る高齢者たち。老いる、ボケる、物忘れがひどくなる。それは40代後半から始まります。目が見えにくくなる。指先が乾燥して、ページをめくれなくなるということもあります。今はぴちぴちの若い人でもいずれはそうなります。
章「何も知らなかった」は胸にしみます。悲しみを山の自然が癒します。文中にもあるように、日本は、長老がいらない世界になりました。共同体は崩れて個人で生きていく時代になりました。人生はわびしい。自分は相手を愛しているつもりでも、相手は自分を愛してくれていない。世捨て人吉田兼好氏の徒然草を読んでいるようでもありました。

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