2012年06月10日

能・狂言 今西祐行

能・狂言 今西祐行(すけゆき) 童心社

 能も狂言も知りません。実際に演じられているものを見たこともありません。NHK教育テレビでちらりと画像を目にしたことがある程度です。だから能と狂言の違いもわかりません。この本の冒頭、作者がこどもの頃のことを短文にしています。奈良に生まれて見る機会に恵まれた。幼い頃、星空の下でわけもわからず見入っていた。ぬくもりが伝わってくる文章です。今から40年前に書かれています。
「能」巻末の解説では、貴族・武士・僧侶たちの人間味をうたいあげる。
「狂言」能より早い時期に生まれた。武士たちに抑圧されていた農民・職人・商人・下人が人間らしく楽しく生きたいという権利を主張しているとあります。
 この本では、衣装や舞を目にすることはできませんが、台本となる元の物語がやさしく綴られています。中国を舞台にした記事が多い。中国と国交断絶の時代があったことは残念なことです。戦争さえなければ、アジア各国の国民同士は互いに仲良く暮らせていたのでしょう。日本での舞台は、京都を始めとして、富山県立山、青森県陸奥(むつ)、静岡県三保の松原、東京隅田川、大阪府堺、栃木県那須野、石川県安宅(あたか)の関所など多所に渡り、その世界の広さにその時代を考えると驚かされます。1000年ぐらい前から成立し始めた物語です。中国の「漢」や「蜀(しょく)」、揚子江の記述もあります。古代の人たちは意外に広い世界をもっていたのです。
<能>
「天鼓(てんこ)」川の流れる音を背景に鼓(つづみ)の音が響きます。読みながら聞こえてくるようでした。Goodです。
「羽衣(はごろも)」静岡県三保の松原のお話です。ロマンチック(情緒的で甘美)です。
「猩々(しょうじょう)」しょうじょうとは「タヌキ」だと思っていました。ここでは、秋だけ居酒屋にお酒を飲みにくる人物となっています。美しい人です。妖精なのでしょう。
「安宅(あたか)」義経と弁慶が奥州を目指していたときの関所です。勧進帳が寄附を集めるときの趣意書であることをこの歳になって初めて知りました。焼失した東大寺を再建するために寄附を募るという目的と同寺の歴史、再建後の国の幸福を謳(うた)いあげていますが、それは架空のものです。
<狂言>狂言は今でいうところの漫才のような気がします。
「末広がり」扇を指すのですが、ここでは下男が傘だとだまされます。以前、お正月になるとテレビ番組で、傘の上にボールを乗せてころがす芸をしていた漫才がありました。確か、末広がりーと結んでいました。その起源はここにあるのかとほんとかどうかわかりませんが、そう解釈しました。
「神鳴り」雷ではなく、神が鳴るのです。ヤブ医者が神鳴りにハリ治療をするところが笑えました。神鳴りさまが、痛い痛いと大声をあげるのです。Goodです。

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