2012年06月09日

万葉のこころ 大浦誠士

万葉のこころ 大浦誠士 中日新聞社

 今から1000年以上前の人々がつくった和歌、短歌を集めたものである「万葉集」の紹介本です。和歌の作者は皇室関係者と国司を始めとした今でいうところの公務員さんたちです。
 心が落ち着きます。美しい日本の自然が人の気持ちとともに歌われています。日本人は、何千年も続いてきた美しい風景を戦後60年ぐらいで破壊してしまいました。残念なことです。わたしが小学生の頃、40年ぐらい前には、学校の帰りによく空中高くでさえずる雲雀(ひばり)を見かけました。垂直に飛び上がって鳴き、自分の巣とは違う場所に降りる。その行為は、雛(ひな)を守るためにと教わりました。
 男女関係の恋愛にまつわる心の交錯と体の関係は、男と女の永久(とわ)に続く本能なのでしょう。いちずな愛もあれば、人妻も登場します。
 本の構成がうまい。和歌自体を読んでも意味をとることができません。わたしは、解説中のゴシック体で書かれた訳文で意味を理解しました。「妹」というのは、恋人とか愛する異性という意味です。源氏物語とも重なります。挿入されている絵も適切で美しい。
 最初の説明文にあった、和歌というものは、「すき間だらけの文章」という定義が好きです。読み手の解釈力でいかようにも楽しめます。
 わたしの好きな奈良の地名がたくさん登場します。いままで訪れたことのある風景が思い起こされ、1000年前にこの和歌をつくった人たちも同じ場所に立っていたと思うと感慨が深まります。
 わたしの生まれた九州のとある町は、この本にある山上憶良(やまのうえのおくら)さんが治めていました。高校生の頃、彼がつくった貧しき民(たみ)を思いやる歌を文章を読んで、彼はなんてやさしい人なのかと尊敬しました。
 118ページにある現在名古屋市南区にあたる「年魚市潟(あゆちがた・干潟)」は愛知県の由来とか、126ページにある以前訪れたことがある奈良県吉野とか、148ページにある伝説の作という聖徳太子の和歌とか、150ページにある九州に流されて京都へ帰りたいという歌とか、それなら職を辞して京都へ帰ればいいのにと考えたのですが、和歌に詠(よ)まれている当時の人々のお悩み事は、今と変わらぬ中身であり、1000年経っても人間の悩みは変わらない、ということは、これから先の1000年後も変わらないと達観したのでした。

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