2012年06月07日

錨(いかり)を上げよ 上・下 百田尚樹


錨(いかり)を上げよ 上・下 百田尚樹(ひゃくたなおき) 講談社

 この作家さんの「永遠の0(ゼロ)」、「BOX!(ボックス)」と感動作を読み継いできて、今度はこの本を読み始めました。かなりのページ数です。1ページにびっしりと文字が詰まった状態で、主人公作田又三16歳のひとり語りが続きます。いつ読了できるのかわからないので、章ごとに感想を付け足していきます。全体で七章あります。読み始めたのは23年7月16日(土)です。
「第一章 進水」昔あった映画のタイトル「この男凶暴につき」がぴったりくる又三です。母親、祖母の気性の荒さが確実に遺伝しています。生まれてからずっとけんかに明け暮れ、勉学はできない。親から教えられたことは「人を信じるな!」、「人を見たら泥棒と思え!」です。最初は作者の自叙伝かと思いましたが内容は違います。ありえない主人公の姿です。暴力三昧で、普通なら16歳になるまでに命を落とすか、刑事罰を受けています。この物語は、漫画の原作とか、映画化が可能になっています。スピードと躍動感に満ちた文章が続きます。現実離れした部分もありますが魅力ある内容となっています。世の中を渡る人間の汚さをこどもに教える本でもあります。又三宅の家族構成は、祖母、両親、学力優秀な弟ふたりとかなり年下の弟がひとりとなっています。舞台は大阪、住居は文化住宅です。バイクで旅に出て、東京まで行き、大阪へ帰ってきたところまで読みました。
「第二章 出航」又三を船にたとえてあるかのような章のタイトルです。又三の行動はあいかわらずむちゃくちゃです。怒りの固まりは一直線に進みます。胸のすくような理屈もありますが、きちんとした道理の下地はありません。自分の都合次第でいかようにも嘘がつける人です。第二章では高校3年生時期の就職試験までたどりつきました。スポーツで名をはせる高校が、進学校に脱却した時期にからめて、又三の恋話があります。231ページにある剣道の天才伊賀上一人は、同作者のボックス(ボクシング小説)高校生ボクサー鏑矢(かぶらや)君と重なります。小説の流れは、中学生のときに読んだ下村湖人(こじん)「次郎物語」とか、五木寛之「青春の門」を思い浮かべます。文章は面白い。ことに10代後半男子のむらむらくる性欲の表現は爆笑です。「Y」という文字を見るだけでぐらりとくるという表現はそのとおりです。
「第三章 座礁」ここまで読んできて、感動が湧いてきません。作者の自叙伝となっています。この小説はいつ頃書かれたものだろう。すべてではありませんが、部分部分は、作家としてデビューする前に書かれていると推(お)し量(はか)ります。時系列的記述は日記の掘り起こしであり単純でつまらない。過去形であり、では、今、又三は何をしているかとなると、作者自身の現在なのです。個性としては、社会を批判する一匹狼の事件記者が基礎です。書中の表現を借りると「偽善と建前主義に対する激しい憎悪」です。全ページ余白以外の白い部分がないほど書き込まれています。すさまじい集中力です。きれいだという外見で女性に恋をして、次々とふられていく又三です。そこまでくじけるかというほど崩れるのは思春期後半にある精神の不安定さです。第一章・二章を読む限り、よく大学に合格できたものです。でもたぶん彼は大学を辞めるのでしょう。なにをやってもふりだしに戻る又三の青春です。
「第四章 漂流」ここまで読み継いできて、この小説はだれのために書かれたものであるかを考察する時期に至りました。作者自身のために書かれた文章です。主人公の又三は、何がしたいのかわからない22歳です。鋭い観察であらゆるものを批判します。この世にあるすべてを否定したい人です。最初は共感していましたが、今はもう魅力を感じません。作中に登場しては消える又三の恋人たち同様に愛想が尽きました。このあとどんな展開になるのかと考えましたが、大きな変化はなく、これまでのようにやりかけたことを途中で辞めてしまうのでしょう。自業自得ですさんだ暮らしにたびたび落ち込むのですが、又三はどんな環境にも適応していきます。奇跡のようなものを感じます。人間は、気持次第でどんな環境でも生きていける。パチンコ店店主の言葉は論文のようでした。夢をもちながら生きている人をあるべき姿とし、夢をもたずに生きている人を「はぐれ雲」とする。レコード店での就労については、クラッシックに関心のない又三が毎日朝から晩までクラッシックレコードを聴くうちに曲に心が動くようになる。そして、マニアックな世界に飛び込んでいくくだりはよかった。「無」から「益」への移行でした。書店でこの本を手にしたとき、ずいぶん分厚い本だと購入を躊躇しました。591ページあります。さらにそれが上巻だとわかったときには驚愕しました。下巻は616ページあります。下巻の132ページまできましたがいまだ感動はありません。
「第五章 嵐」この小説を読み始めて3週間が経過しました。長い時間と労力を費やしましたが、得るものがありません。第五章ではふたつのことがいえます。内容は又三が北海道納沙布から北方領土ソ連主張領海でウニの密猟をすることになります。その行為にからめて喫茶店「帰郷」のママとの恋愛話が生まれます。ウニ漁で多額の金銭を獲得する成功話が続きます。小説全体を通じてですが、事件記者が取材で取得した項目を小説にした経過があると感じます。記録をネタとして構成した作品です。又三の描き方は豪快です。又三がしていることは法律違反ですが、たいしたものだと感心させられます。ただ、長期的には、人間は歳をとります。1978年又三24歳、喫茶店のママ白武久子は5歳上の29歳からスタートして、又三27歳、ママ32歳で終焉を迎えます。女性の心理描写は弱い。登場人物主人公女性をなんでもかんでも「美人」と表現することはひっかかります。男女の会話はしらじらしい。白武久子のセリフが、又三の行為に関するチェック地点となっています。前半は又三の男性からみた一方的な思い込みのセリフ展開でありバランスに欠けます。後半は久子がおしゃべりになります。又三のトルコ嬢蔑視(べっし)発言はいただけません。又三の個性と発言が一致しません。もともち又三の暴力行為と学力の高さも一致していません。アンバランスな人格設定です。又三は自分勝手なくだらない人間です。主人公としての魅力を感じません。あなたの好きなようにすればいい。読み手は、あなたが何をやろうがこちらは知らんという気持ちにまでなります。
 作者の持ち味は、凡人が思いつかない大胆な爆破シーンや闘争シーンを描き出せることです。「永遠の0(ゼロ)」では宮部久蔵操縦士による豪快で華麗な戦闘機操作が描かれていました。「BOX!ボックス」では、高校特別進学クラスに属する木樽優樹の努力と才能の開花によるボクシングスタイルが今も印象に残っています。この「錨を上げよ」第五章では、ソ連警備艇から逃げ回る密漁船の走りが光っています。いつもながらうならせてくれます。139ページ、この本のタイトルになっている「錨(いかり)」の記述が初めて登場します。心の中でだれかが叫んだ。錨をあげよ!と。
「第六章 停泊」ここまできて、ようやく心に沁みる出来事や展開が顔を見せ始めました。この作家さんの特徴は後半で急激に気持ちが盛りあがってくるところです。だから途中は退屈でも読み続けなければなりません。又三はビリヤード店で保子28才と知り合い結婚します。仕事は大学の友人のつてでテレビ局の放送作家として採用されます。ここまできて、いままではっきりしなかったこの本の内容が作者の自伝を脚色してあることがわかります。放送作家の仕事の中身は想像していたものと違って魅力のないものでした。着目すべきは保子の献身です。被差別部落出身で、実家には異父妹と父と父の後妻がいて帰れません。幸薄い女性です。それゆえに本人は又三との結婚を喜びます。
 又三は女で人生を変える人です。これまでむちゃくちゃな言動とふるまいの数々でしたが、だんだんまともな人間になってきました。上巻に戻って、又三の女性遍歴を拾ってみました。38ページ小学生10才の池田明子(彼女とはその後同窓会で再会して関係をもつ)、中学生の野原めぐみ(彼女は体育教師と関係をもち金銭を授受する。)高校生の西村芙美(学生運動活動家)、同じく高校生徒会役員池原法子、ここまで書いて、又三は居場所を探していることに気づきました。彼の個性・能力を抱擁してくれる居場所がまだ見つからないのです。就職したスーパーマーケットの大学生アルバイト武藤伊都子、家庭教師バイト先で知り合った中田百合子、大学学生運動グループにいた加納沢子、コンパで知り合った小野田純果、喫茶店のウェイトレス山本一枝、レコード店大学生アルバイト依田聡子、恋愛を継続させるのはとてもむずかしい。又三は傷心のまま北海道へ、そこで喫茶店ママ白武久子、帰郷して大阪で宇野保子22才となる。あと100ページぐらい。妻保子は浮気をしたようです。
「第七章 抜錨(ばつびょう)」8月20日(土)です。上下巻を読破するのに1か月を要しました。この章では作田又三がタイ国に渡ります。無鉄砲でわがまま、暴力にものをいわせる、お礼参りは欠かさないという性格は31才になっても変わりません。こと暴力に関しては、サムライです。一度決心したら相手を斬るまで迷いません。やりたいことをやって、我慢ができなくて、最愛の妻を許せなくて離婚して、本人も言っていますが、自分の人生って何なのだろう。彼の周囲の友人・知人たちも似たり寄ったりの経験を経て、今はひとり暮らしが多い。「田村はまだか」朝倉かすみ著で札幌ススキノにあるバー”チャオ”での同窓会を思い出します。又三は、スラムダンクの桜木花道のようでもあります。男から女に対する一方的な愛情が全部の章について語られています。男の気持ちと女の気持ちは違います。すれ違いです。男と女の気持ちが同じになることはありません。男女は傷つけあいます。男女間の愛とは何なのか。答えを画一的に表現することはできません。又三には、女性をつなぎとめておく何かが足りない。それは許容であり寛容です。又三はタイで死ぬのではないかと思いましたが死にません。まだ、31才、これからの人生のほうが永い(ながい)。
 気に入った一節は610ページにある「時の流れの悲しみ」です。又三・保子夫妻にできたこどもの流産がなければ、ふたりは今も同じ屋根の下で暮らし男児をはさんで幸福感を共有していたとあります。
 父が死に祖母が死に母は病を患い、長男が又三、次男はアメリカ合衆国で働き、3男は宗教団体の集団結婚後音信不通、4男は家出をして同棲中、それが標準的な家庭なのかそうでないのか。作田家の今のありようです。虚構・脚色含みの私小説で自分をさらけだす。作者が小説家を目指す意気込みが伝わってくる作品でした。

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