2012年06月04日

愛を乞うひと 下田治美 

愛を乞うひと 下田治美 角川文庫

 家族がこの映画を居間のテレビで何度か見ていました。わたしは、女子が母親に虐待されている場面、母親が男に襲われて暴行された場面、女子とその娘らしき人が旅する場面、台湾の場面、女子とその母親が対面して、女子の母親の美容室で女子が髪をカットされる場面を居間の通りすがりにちらりと見ただけです。筋書きは知りません。虐待シーンを見て嫌悪感をもよおしましたが、映画に関する家族の感想は高評価でした。今回、古本屋さんでみかけたので読み始めてみました。
 主人公は陳昭恵さん、昭和22年8月12日生まれ、父親が台湾人、母親が日本人、国籍は当初台湾人でしたが日本人に帰化しています。今の名前は山岡昭恵さんで40歳ですが、夫の山岡さんは交通事故で亡くなっています。彼女の娘さんが、山岡深草(みくさ)さんで17歳ぐらいの高校生です。
 昭和32年からスタートします。力作です。絶望とその正反対にある幸福が、彼女の長い人生の途上に登場します。彼女は、竹のものさしが割れるまで叩く激しい母親からの折檻(せっかん)に8年間耐え続けました。母親は、性格・人格異常です。薬では治らないから強制的に精神病院に入れることもできなかったのでしょう。ご近所の人たちがたくさん止めに入ってもこどもへの折檻をやめません。脳に傷でもあったのでしょうか。現実社会に多重人格のような人はいます。紳士淑女だった人が、スイッチが入ると獣(けだもの)に豹変します。この物語を母親の方向から描くともうひとつの物語がつくれます。母親は織田信長タイプです。
 昭恵さんは家出をして、以降20年ぐらい母親には会っていません。そんな話しを聞いた娘の深草さんが激高します。母親(祖母)に復讐すべきだとけしかけます。母親の手からやさしかった父親陳文珍さんの遺骨を取り戻そうと決意することが、この物語が完成に至るきっかけとなっています。
 折檻から逃れるために自殺を考えるのはとても悲しいことです。母親を支える娘さんの役割が大きい。本来親子はこうあるべきです。(書名を忘れてしまいましたが、最近読んだ本に「虐待をした親は子を殺そうとするが、虐待された子は虐待した親を殺そうとしないのはおかしい」というセリフがありました。)
 140ページに登場する建築会社の社長さんはやさしい。権力を握っている人、握る人は、心のやさしい人であってほしい。
 224ページでは、わたしが台湾旅行をしたときに旅行社の案内人をされたカ(か)さんという年配の女性を思いだしました。台湾の人たちは日本に留学して勉学に励むのですが、お金が不足するので、台湾で保有していた宝石・貴金属などを売って学費や生活費にあてたそうです。カさんは、東京の学生会館で結婚式を仲間と挙げたと聞き、わたしは小学校6年生の修学旅行で学生会館に泊まったことがあったのでおどろきました。話が脱線しました。
 228ページでは高円寺という地名が登場しました。ちょうどその部分を読んでいた頃、「1Q84」村上春樹著を読んでいて、高円寺にある児童公園の滑り台で青豆さん(女性)と天吾(てんご)さんが交錯する場面でした。空から俯瞰(ふかん)すると、同時期に人を変えていくつものドラマが同じ場所で演じられています。
 小さい頃の昭恵さんを預かって育ててくれた許育徳さんご夫婦には心が救われます。
 この物語全体が、やさしかった亡父への手紙になっています。壮大なドラマです。映画はきちんと見ていませんが、映画と小説は雰囲気が異なるのでしょう。

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