2012年06月01日

死者はバスにのって 三輪チサ 

死者はバスにのって 三輪チサ メディアファクトリー

 幼稚園バスが見える人たちと見えない人たちがいます。白い車体に青のライン、黄色い三角印とクマやウサギの絵が描いてあります。見えた人の怖れがきっかけとなって、交通事故が起こり死者が出ます。幽霊が出る廃屋となった「ほしのこ幼稚園」が決戦の場所です。霊にのりうつられるのが高校2年生の女子であったり、幼児であったりします。登場人物は多彩で、刑事だったり、女性巡査だったり、幼稚園の先生だったりの老若男女で、かれらのうちの何人かは身近に亡くなった身内がいます。
作者の分身が女子高生の志貴祐子です。ショートカット、赤いふちのメガネ、小柄できゃしゃ、虫のようなかすかな声をしています。
 福祉関係のケース記録を集めて、構想を練り、人員配置をしたような形跡を感じます。だれかとつながっていたい物語です。霊は昇天できていません。登場人物たちの思い出は幻覚となって、今生きている登場人物たちの思考と行動を縛ります。親族間の嫉妬(しっと)は現実にあります。また、幼児に事故はつきものです。幻覚の反対として事実があります。
 志貴祐子の人格・個性設定がすばらしい。二重人格の表現も的を得ています。霊が集まってくる様子は初盆の里帰りを思わせます。座敷わらしも思い浮かびました。車の車種「ラパン」には作者の思い入れがあるようです。こどもは児童虐待死、幼稚園の先生は自殺、読み手には、ラパンと幼稚園バスが視界に配置されます。雷が白く光り、マジシャン伊達(だて)さんの悪霊祓い(あくりょうばらい)が始まるのです。
 1行のみの単純な短文の羅列(られつ)が続きます。体言止め(たいげんどめ、文末を名詞で止める。)、むずかしい漢字の使用が多用されています。詩的です。微か(かすか)、蠢く(うごめく)、眩暈(めまい)、凛(りん)、幽か(かすか)、躊躇(とまどいとよませる)、軋み(きしみ)、唸る(うなる)など。ラストシーン近くは漢字を読めません。恐怖を高めるためでしょうが、読めなくては効果がありません。
 時代を反映してネットの記述があります。ネットは真実ではありません。でも真実じゃないのに信じる心はあります。嘘を信じるあるいは信じたい人間の心があります。人間の心は不完全です。この物語は、いつか映画になるかもしれません。そのときはシンプルに怖がらせてほしい。

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