2012年05月31日

ダライ・ラマに恋して たかのてるこ


ダライ・ラマに恋して たかのてるこ 幻冬舎文庫

 いいことがたくさん書いてある良書です。絶望する日本人の救いの書になりえます。巻頭にあるたくさんの写真を見ていると、中国チベット自治区には、家庭内暴力とか、ひきこもりとかはなさそうです。
 作品「ミャンマー」乃南アサ著と同様に、日本人が空気のように感じている「自由」について考えさせられます。民族単位で好きか嫌いかの抗争が絶えない。チベット人は中国人が嫌いだし、中国人と韓国人は日本人が嫌いです。外国に住む人の暮らしの中に飛び込んで、周囲の人たちに溶け込んでいく作者の記述からは、地元の生活ぶりがよく伝わってきます。ことに信仰についての記述が、同著者の他の本でも詳しくて意味が深い。人間として生まれたこと、それが「幸福」。チベット仏教の教えです。命は繰り返す。死んでも再び違う人間となって生まれ変わる。わたしは人間に生まれ変わりたいとは思いません。ストレスに満ちた日本人の生活からそれを望みません。チベット人は、信仰によってストレスが少なくて、心が満たされているのでしょう。
 ひとつの発音で複数の意味をもつ「ジュレー」という言葉が紹介されています。おはよう、こんにちわ、こんばんわ以外にもさまざまな喜怒哀楽の場面で「ジュレー」と互いに声をかけあいながら励ましあっています。
 書中で、日本人の感覚ということで、作者の例が紹介されています。コンビニと結婚して、テレビが家族、そこにわたしが付け加えると、パソコンが友だちで、携帯電話が心のよりどころとなります。
 前世の自分を記憶している少女デルダンのお話はドラマのようでした。247ページにある前世の記憶が少しずつうすらいでいく様子は、ちょっと質が違うのですが、東野圭吾著「秘密」に登場する交通事故死した妻と娘のようでした。
 「カルマ」という言葉にはいろいろと考えさせられました。カルマ=因果関係です。原因と結果です。あのときあのことがあったからこうなった。わたしは、自分の人生を振り返って、なぜ、あのとき、自分はあの場所にいたのだろうかということを、いくつかの場面を思い出しながら思索にふけりました。宿命と運命の違いに関する記述もあり、久しぶりに生きていることについて深く考えました。くわえて、平衡感覚(バランス)についても考えました。陰と陽、プラスとマイナス、晴れる日もあれば雨の日もある、勝つこともあれば負けることもあるのが「勝負事」、儲かるときもあれば損をすることもあるのが「商売」、すべてには二面性があって、どの位置で妥協するかが判断するということです。
 日本では、宗教を熱心に信仰していると変人に思われてしまう。ところが外国では、信仰がない人は野蛮人と思われる。どちらが人間として崇高なのか。お金もうけのことばかりを考えていれば幸せなのか。100戦100勝をめざすのが日本人。日本人の性質に対する外国人の評価が高くない理由がそこにあります。生きとし生けるもののすべての幸せを祈るのがチベット人、自分と自分の親族の幸せだけを祈るのが日本人と記されています。案外、江戸時代の鎖国は、日本人の現代までにもまだ続いているのではないかと感じました。

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