2012年05月28日

ツリーハウス 角田光代

ツリーハウス 角田光代 文藝春秋

 87才の口が重い祖母とその孫息子が、旧満州、現中国東北部の長春、大連を旅する。「永遠の0(ゼロ)」百田尚樹作とか、「赤い月」なかにし礼作、日本映画「壬生義士伝」の医者夫婦が満州へ渡るというラストシーンなどを思い出して期待しました。見たことが無い風景を見たことがあるように書く才能に秀でた作家さんですが、最初の勢いはやがて薄れ、後半は、年表の項目をうわべでなぞるだけの説明となり、尻すぼみでした。全469ページのうち439ページ付近で、作者は創作に失敗したことを自ら悟るかのような記述になっています。満州での暮らしや孫と祖母の旅を厳しく書ききれていません。「八日目の蝉(せみ)」とか「ロック母」同作者著にあった「執着」がみられません。
 主人公となる家族は「藤城家」です。同家がデラシネ(根無し草)と呼称されます。祖父母は親族や日本国を捨てて満州へ行きそこで暮らした。終戦後帰国したものの夫婦の親族は本土を捨てた夫婦を受け入れてくれない。3世代をとおして「逃げる」ことが藤城家の体質となっている。269ページにある、生きていくことは「後悔」を増やしていくことが、生活行動の基準を表している。213ページの、この国には父親がいないは、胸にズキンと響く。藤城家の家族は、お互いに干渉しない。他人でも自家に住まわせる。家を出て行くことも止めない。人種差別をしない。そのルーツ(根っこ)は祖父母の満州での体験にある。祖父母はしたい放題のことをしてきて子どもたちの命を失うという罰を受けた。彼らは帰りたい。ただ、帰りたいのは場所ではなくて、満州で親切な外国人たちに囲まれて暮らした楽しかった過去へ帰りたい。

(以上を書いた翌朝再び考えてみた。)
 祖母は、満州で自分たち夫婦やこどもたちを温かく受け入れてくれた食堂経営者ファミリーのような家族を日本でつくりたかった。努力はしたけれど、つくれなかった。めいめいが自分のことだけを考える家族になってしまった。この家族だけでなく、日本の家族が藤城家のような形態をとるようになった。終戦後、高度経済成長期を経て、不況を体験し、「昭和」の終焉を迎え、日本人が生きる気力をなくしてきているという時代背景もある。
 そういったことを考えていたら、この作品はかめばかむほど味わいのある作品であることに気づいた。


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