2012年05月23日

自虐の詩(うた) 映画


自虐の詩(うた) 映画 ケーブルTV録画

 勘違いをしていました。原作は西原理恵子(さいばらりえこ)さんの漫画だと思い込んでいました。漫画は読んだことがあります。その当時に書いた読書感想文をさがしてみます。
 
 自虐の詩(じぎゃくのうた) 上・下 業田良家(ごうだよしいえ) 竹書房
 1980年代の漫画です。相当有名なようですが、わたしには、初めて読みました。面白くなるのは、下巻の120ページ、熊本さん(中学生女子)が登場するあたりからです。それまでは、主人公夫婦の夫である葉山イサオさんが癖のようにお膳をひっくりかえすシーンばかりで、それが退屈でもあり嫌悪感も生まれます。貧困、賭け事、飲酒を中心とした暗いお話が上巻から続いていきます。とはいえ下巻の120ページから読み始めても胸を打つ感動は得られません。やはり上巻の1ページから延々とどうして、妻の森田幸江(ゆきえ)さんはここまでないがしろにされながらも夫のイサオ氏を愛し続けるのかと首をかしげながら読み続けなければなりません。
 葉山イサオ氏と森田幸江さんは内縁の夫婦です。こどもさんはいません。イサオ氏の行為は家庭内暴力ではないかと思わせてくれます。さらに幸江さんの父親もろくでなしです。幸江さんの母親は失踪しています。西原理恵子著「ぼくんち」に登場する幼児の女子たちが成長しておとなになったのが、森田幸江さんです。記憶にない母親の顔かたちを想像して母親を慕う幸江さんをみていると、「人は悲しい生き物」だと思うのです。本来、逃げた母親は憎しみの対象となるべきなのです。
 40年ぐらい前は、よくあった夫婦の光景です。漫画の絵でこの夫婦は老けてみえますが、設定は若い。登場人物は4人しかいません。夫、内妻、内妻の勤め先である食堂のマスター、そして熊本さん(内妻の同級生です)。4コマ漫画ですが長編です。無職で賭け事しかしない夫とそのまわりをちょこまかと動き回って世話をする妻です。彼女の姿は献身的です。幸江さんからみて、相手が自分の思い通りにならないから恋が続くということはあります。暗い漫画ですが、読んでいてほほ笑むこともあります。お金はお金ではなく「気持ち」であり、金額の大小は、気持ちの大小とは比例しないことがわかります。下巻のラストシーン付近では「人間は生きていることに意味がある」という結論にたどりつくのです。

映画の感想に戻ります。
漫画とはずいぶん違います。映画のほうがストーリー性が高い(物語の展開がある)。訴えかけてくる主題は漫画も映画も同じです。最底辺の生活を送っていても生きることの意義がある。幸せだとか不幸だとかは重要なことではない。ラストシーンでは命をつなぐ喜びが映像で表現されています。
 阿部さんは先日観た「テルマエ・ロマエ」が重なってしまい、「自虐の詩」では、怖い役なのに笑いたくなってしまいました。

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