2012年05月22日
邂逅(かいこう)の森 熊谷達也
邂逅(かいこう)の森 熊谷達也 文春文庫
邂逅とは巡り合いです。日本の中での出来事とは思えません。「森」が「国」になっています。時代は明治時代、場所は東北の秋田県、主人公は松橋富治25歳、彼の職業はマタギ(かもしかや熊を捕る猟師)です。 彼は森に生まれ、森で育ち、女性と出会い、こどもをもうけ死んでいきます。そこに熊を仕留(しと)める猟(りょう)がからんできます。
作者の経験による自伝とか、作者の祖先とか、東北地方のある人物とかが、創作のネタになっているのでしょう。前半、作者は書きたいように書き連(つら)ね続けます。読者のことは考えていないでしょう。それがいい。
主人公が愛した最初の女性が「文枝ふみえさん18歳」です。彼女との関係はこじれて、主人公の富治は銀山の労働者として働くことになります。家にあるガイドブックの地図に秋田県尾花沢市「銀山温泉」があります。舞台はおそらくそこでしょう。地図には、書中に登場する「肘折(ひじおり)温泉」の地名もあります。「銀山温泉」は、NHKドラマ「おしん」の舞台になったという記事もみつけました。
長さや重さが昔の単位なので、実感が湧きません。間(けん)とか匁(もんめ)とかです。明治時代の山で暮らす人々は、山に神がいると信じ、自然を恐れていた。
主人公にとって二人目の女性「イクさん」の存在は大きい。老いてからの富治夫婦の姿にはしみじみとしました。「愛情」が存在していなければ、小説は成立しません。
人生のなかで幾度か登場するのが「約束」です。206ページにある慎之介と富治が交わした約束の結果は悲しい。約束はしないほうがいい。守れなかったときには、「死」が迎えに来ることもある。
473ページにある再会シーンには胸を打たれました。富治の純粋さが作品を支えています。ラストシーンは読み手によって解釈とか判断が分かれるでしょう。わたしは、彼があの世へ導かれたと判断しました。別の人は、富治は無事に妻の待つ村へ帰郷したと判断するでしょう。
邂逅とは巡り合いです。日本の中での出来事とは思えません。「森」が「国」になっています。時代は明治時代、場所は東北の秋田県、主人公は松橋富治25歳、彼の職業はマタギ(かもしかや熊を捕る猟師)です。 彼は森に生まれ、森で育ち、女性と出会い、こどもをもうけ死んでいきます。そこに熊を仕留(しと)める猟(りょう)がからんできます。
作者の経験による自伝とか、作者の祖先とか、東北地方のある人物とかが、創作のネタになっているのでしょう。前半、作者は書きたいように書き連(つら)ね続けます。読者のことは考えていないでしょう。それがいい。
主人公が愛した最初の女性が「文枝ふみえさん18歳」です。彼女との関係はこじれて、主人公の富治は銀山の労働者として働くことになります。家にあるガイドブックの地図に秋田県尾花沢市「銀山温泉」があります。舞台はおそらくそこでしょう。地図には、書中に登場する「肘折(ひじおり)温泉」の地名もあります。「銀山温泉」は、NHKドラマ「おしん」の舞台になったという記事もみつけました。
長さや重さが昔の単位なので、実感が湧きません。間(けん)とか匁(もんめ)とかです。明治時代の山で暮らす人々は、山に神がいると信じ、自然を恐れていた。
主人公にとって二人目の女性「イクさん」の存在は大きい。老いてからの富治夫婦の姿にはしみじみとしました。「愛情」が存在していなければ、小説は成立しません。
人生のなかで幾度か登場するのが「約束」です。206ページにある慎之介と富治が交わした約束の結果は悲しい。約束はしないほうがいい。守れなかったときには、「死」が迎えに来ることもある。
473ページにある再会シーンには胸を打たれました。富治の純粋さが作品を支えています。ラストシーンは読み手によって解釈とか判断が分かれるでしょう。わたしは、彼があの世へ導かれたと判断しました。別の人は、富治は無事に妻の待つ村へ帰郷したと判断するでしょう。
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