2012年05月21日

1Q84 1・2・3 村上春樹

1Q84(ichi-kew-hachi-yon) BOOK1・2 村上春樹 新潮社

 IQ84(アイキュウ84)と勘違いされる方も多いのではないでしょうか。わたしは勘違いしました。知能指数が85の人物が主人公だと思っていました。(普通人の基準は100のようです。)タイトルの答えは1984年でした。まだBOOK1の378ページ付近ですが(全体で554ページ)感想を書き始めてみます。時間移動があるようで、そのために1984の「9」がQuestion疑問の「Q」になっているようです。
 主人公は二人います。小説家志望の川奈天吾さん29歳、てんかんもち?男性とスポーツインストラクター女性青豆(あおまめ)さん1954年生まれの30歳独身、身長168cmです。ふたりのお話が交互に記述されていきます。 同作者の「海辺のカフカ」みたいと読み始めは思いました。
 天吾さんには、小松さん45歳編集者? とふかえりさん(深田絵理子)17歳がからんできます。青豆さんの相方(あいかた)は、同級生大塚環(たまき)さんです。
 本は爆発的に売れているようです。不思議な現象です。物語の内容をどこまで理解できるのか、わたしは自信がありません。同作者の「海辺のカフカ」の主題もいまだに理解できません。購入する読者は何に飢えているのだろうか。
 巻頭に「この世はつくりものの世界」とあります。確かに生きている今に「現実感」がないことはあります。
 1926年作曲、ヤナーチェックの「シンフォニエッタ」というクラッシク曲が鍵を握るような啓示があります。加えて「空気さなぎ」という文学作品が何かを意図する存在になるようです。
 青豆さんが首都高速道路の非常階段を降りたあたりから時間・空間が変容しはじめたようです。
 読み始めは、同作者の「地球のはぐれ方」という本のイメージが頭から離れなくて読みに真剣さが不足しました。なんだか笑えてくるのです。青豆さんはどうしてこんなに生き生きと話すことができるのでしょう。そして、天吾さんの生活ぶりは作者の過去の生活ぶりと重なるのだろうか。青豆さんが感じる時代の事実の変更とふかえりさんの生い立ちが「秘密」になっていきます。
 NHK受信料の徴収員だった天吾さんの父親話は、庶民の生活で身に詰まされます。天吾さんの消息不明になった実母は、青豆の闇の仕事の雇用主ではないか。
 1981年10月19日に過激派と警察の銃撃戦があった。人間ではない何者かに人間は、情報操作されはじめているのか。それとも青豆さんになにかがのり移ったのか。青豆さんのセックスライフは苦しい。日曜日お昼の「新婚さんいらっしゃい」を見ていると、みなさんあっけらかーんと性生活を楽しんでいらっしゃるのに小説になるとそれはとても深刻です。
この小説では、DV(夫から妻に対する暴力・暴行)、児童虐待(天吾さんの父親から天吾さんに対するもの)、ふかえりさんのコミューン暮らしは、「八日目の蝉(せみ)」誘拐犯に育てられた宮田薫さんが思い浮かび暗い気分になりました。天吾さんの乳児のときの記憶もおぞましいものです。それから不倫話とか両親の不和とか。(感想は、きょうはここまでです。)
(1巻を読み終えました。)戎野(えびすの)先生、ふかえりの父親深田健、このふたりがボスか。あゆみさん(婦人警官)は、青豆さんを逮捕するためのおとり捜査ではないのか。いつもだったらほかの物語を重ねて楽しむのですが、この物語には重ねる別の小説がみつかりません。そこをなんとか重ねてみる。「八日目の蝉(せみ)」角田光代著です。主人公の宮田薫さんをこの物語に加えてみる。それから、わたしにとっては、月がひとつだろうが、ふたつだろうが、どうでもいい。みっつでもよっつでも気にしません。空にそれらがあればあったでいい。これから物語は、10歳のつばさを救うために事件は連続していくのだろう。リトルピープルは、鴨川ホルモーに出てくる小鬼ということにしよう。昔聞いた1990年という歌を思い出した。90年に娘が21歳になるという歌で、父親が娘の異性関係を心配していた。だが、90年はもうとっくに過ぎてしまった。時の流れは速いものです。
 460ページのサハリンは、「地球のはぐれ方」で紹介されていた。日本的な町が残っているそうです。作者の創作のネタがわかる。作者の頭の中にあるもので、小説を構成するしかない。ふかえりは、宇宙人か、古代人か、未来人か。天吾は、嘘がばれてこれから追い込まれていくのだろう。(2巻目を読み始めてみます。)(物語のすべてを読み終えました。3週間ぐらいがかかりました。)
 ちいさな役割の登場人物たちが魅力的です。ボディガード役タマルさんの存在は大きい。財団法人理事の牛河利治氏。そして、さきがけのリーダー深田健。ジョージ・オーウェル著作「1984年」をわたしは読まない。ほかに読みたい本がいっぱいある。
 「空気さなぎ」からわたしは、蚕(かいこ)の繭を想像します。小学生の頃、こどもの科学だったか学習だったかの本に付録で蚕の繭が付いてきたことがあります。さなぎは、蝶になるのか蛾(ガ)になるのか、そんなことを考えながらそのときはこの本を読んでいました。でも蝶にも蛾にもならない。もっと別のものになるのです。
 作者は数年間に1回ビッグヒットを放つ人なのでしょう。人それぞれが自分のパターンをもっています。青豆さんとさきがけリーダーとのやりとりには、「情(じょう)」がありません。青豆さんは殺人者なので、わたしは彼女の味方をしません。作者の創造力、空想力、物語の構築手法は驚嘆に値します。第19章「青豆―ドウタが目覚めたときには」から物語はクライマックスに突入します。作者が保有している知識、経験に既存の出来事を組み合わせて築いてある物語です。今もなお、老若男女に関わらず、テレビを見ない人、新聞を読まない人、携帯電話をもたない人、車をもたない人、運転しない人、そういう人はたくさんいます。それぞれの人が、自分の1984年で暮らしています。空に月が何個あってもかまわないのです。437ページの月を見るシーンでは、「こんなに月が赤い夜には」という詩を思い出した。わたしが17歳高校生のときに自分でつくった詩です。そしてすぐにもうひとつ月のシーンがあった物語が頭に浮かんだのですが、残念ながら書名を思い出せません。作者の筆記は自由奔放でのりにのっています。486ページ付近では、今「愛を乞う人」を読んでいるのですが、その父と娘について、この本の父と息子が重なり合いました。親子の間には、いつも溝があります。
 最後の1行を読み終えたあとの感想です。これから先にまだ物語が続いていくような心地よい余韻がありました。読んでよかった1冊になりました。

1Q84 BOOK3 村上春樹 新潮社

 さきほど読み終えました。長かった。よく売れた本ですが、最後まできちんと読めた人は少ないでしょう。BOOK2の最後で、青豆雅子さんは亡くなったと思いこんでいました。だからそのつもりで読み始めました。彼女が生きていたという設定には少し失望しました。ただ、青豆さんは、いつでも死ぬ覚悟ができている人でした。
 65ページにある「時間」の定義はGOODです。時間は直線ではないのです。この物語において、青豆さんも川奈天吾くんも彼の父も牛河氏もひとつの人格でした。それに対してあるのが深田絵里子さんの人格です。加えて、その他大勢である麻布に住む老婦人緒方さんの奥さん(静恵さん)とか看護婦の安達さん、大村さんたちがいるだけです。どの人も実在するかのような存在感がありました。
 青豆さんと天吾さんのすれ違いは、こどもの頃見た忍者マンガ「風のフジ丸」を思い出しました。母親と息子が会いたくても出会えないのです。両者ともに愛する人になかなか出会えない。お互いが、すぐ近くにいるのに異なる並行線上の点にいるためすれ違うのです。
 予備校の数学教師川奈天吾氏のモデルは小説家東野圭吾氏ではなかろうか。264ページ付近、盗撮を試みる牛河氏は殺害されるだろうと予測がつく。中盤では、これは聖書形式なのだろうかという感覚をもちました。立体的に読んでみる。記述のないところで、事が進んでいる。作者はこの小説の基礎をいつ書いたのだろう。10年、いや20年は前だろう。NHKの集金人話が何だったのかはわかりませんでした。わからないにしろ、1Q84年という世界は尋常ではない。論理とか常識で成り立っている世界ではない。月がふたつある。受精していないのに妊娠する。植物状態の天吾の父親が死を覚悟してナースコールのボタンを押す。彼とて、事実は生物学上の天吾の父ではない。1Q84年は、天吾の父親がつくった世界ではないかとさえ思いました。実際は、リトルピープルが創造した世界なのだろう。何人かの登場人物は生まれ変わりのようです。安達クミの前世は天吾の母親となっています。ダライ・ラマ、チベット仏教の輪廻(りんね)の教えが流れています。犯罪行為はオウム真理教の行動が使用されています。作者は「神」の存在を信じています。通常、一般的な小説の創作では、宗教描写は回避されるものですが、作者にとっては、この世に回避すべきものはないという自由度の高さがあります。
 文章の接続は、肯定と否定の考察の連続で成立しています。532ページ付近で、(ラストページは602ページ)で、ラストシーンを予測してみる。当たるだろうか。身長が伸縮する6人のリトル・ピープルは幻覚だろうか。青豆さんと天吾くんは、精神病の世界から脱出したと受け取ればいいのだろうか。BOOK1から3まで読みました。何が言いたいのか、「わからない」というのが、わたしの感想です。もし「わかる」とわたしの脳は平凡ではないのでしょう。時(とき)あるいは、場所の出入口については、ナルニア国物語の洋服たんすの扉を思い浮かべました。

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