2012年05月20日

まほろ駅前多田便利軒 三浦しをん 

まほろ駅前多田便利軒 三浦しをん 文藝春秋

 まほろ市というのは、東京都町田市のことだろうか。行ったことがないのでよくわかりませんが、そのあたりらしい。6つのお話に分かれています。そのまほろ駅前で便利屋を営むのが、多田啓介くんと彼の家にころがりこんだ彼の同級生、行天晴彦(ぎょうてん)くんとが織りなす日常生活のドラマです。多田君はこどもを亡くし離婚、行天くんは未婚ですがこどもがいます。ふたりの周りをチワワのハナちゃん、風俗嬢とかやくざとか警察とか、別れた妻子とか、孤独な小学生とかが固めます。
 何でもやります便利屋さんですから架空の親子も演じてくれます。行天くんは秘密をかかえています。小説をつくるうえで、秘密の設定は大切です。性風俗話について考えました。その素材は、女性を主人公におくと悲劇になりやすい。しかし、男性を主人公におくと喜劇になります。
 なるようになれと生きていく人間が行天(ぎょうてん)くんで、こうでなければならぬと行動していくのが多田くんです。お互いの組み合わせで、もちつもたれつのふたりの関係が成りたっています。
 だんだん脚本を読んでいる気分になってきました。ドラマ化、映画化を意識しながら書いてあるのでしょうか。作中に多用してあるたばこの記述は気になります。この禁煙時代に逆行しています。
 作者にとっては、消化不良な作品だったのではなかろうか。他に作者が望む書き方があったと考えました。性風俗とか暴力とは離れた日常の一見平凡に見える部分に隠された社会現象を素材にして書くことが作者の願望だったと察します。
 悲しみを知らないと喜びはわかりません。最終章を読みながら、親子の血のつながりについて考えました。人間はどうして自分よりも弱い者をいじめたがるのだろう。326ページ、ラストシーン近く、事実のすべてを受け入れる。受け入れて何もしない。攻撃はしないし、逃げもしない。ただ淡々と生きていく。なにもしない勇気をもつ。何かを為(な)すことよりも何も為さないことのほうが、勇気がいります。


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