2012年05月20日

晩鐘 上・下 乃南アサ

晩鐘 上・下 乃南アサ 双葉文庫

 同作者著「風紋」の続編になります。70ページまできました。1000ページを超える長編のため感想は書き始めます。
 風紋のおさらいをしておかなければなりません。主婦高浜則子の死体が車の中で発見されます。殺された則子には17才の娘真裕子がいます。母を殺したのは高校教師松永秀之で、裁判途中で冤罪(えんざい)報道がなされます。松永の妻が香織で、長男が大輔です。「晩鐘」は、小学校5年生になった大輔の記述からスタートします。
 九州の祖父母宅に預けられた大輔と妹絵里小学校2年生の苗字は「松永」から母方の「笹塚」に変わっています。同じ敷地には、叔父夫婦といとこの兄・妹が住んでいます。
(つづく)
 勘違いがありました。家族が読んでいた「風紋」下巻を借りて後半部分を読み返しました。高浜真裕子の父親は首吊り自殺をしたと思っていました。また、加害者松永秀之の妻香織はアルコールと薬物中毒で死亡したと思っていました。他の小説とごっちゃになっています。ふたりは生きています。ということは、続編「晩鐘」は荒れます。さらに松永秀之の刑期は12年でした。晩鐘ではすでに7年が経過しています。彼は出所してきます。話は真っ暗な底のない深みへ落ちてゆくことでしょう。
(つづく)
 物語は、新聞記者建部智樹を中心に置いて、彼に仲介役を務めさせ、他人同士をつなぐ手法で構築され進行してゆきます。人間の心に棲む(すむ、性質)「悪」を犯罪加害者の立場から描き出す作品です。犯罪者の子どもは犯罪者になる。血は受け継がれる。ときおり登場する「すべてはつながっている」という言葉が象徴です。犯罪被害者の子どももまたストーカー行為に手を染める。受験って何、という課題もちらりと出てきます。大学生にならなければ人間ではないのか。
 事実をしっかりと書いてあります。(人間のいいかげんさについて)。高浜真裕子は殺された母親を忘れることができない。忘れるためにはあと数十年を要します。人間は苦しい思いをしながら、なぜ生き続けなければならないのか。子どもたちの性について、早熟すぎるきらいがあります。とくに笹塚大輔小学校5年生は早熟すぎる。女子は強く、男子はこどもの年齢です。作者は女性ですから男子の体験はありません。
 人間心理の深層部に触れる記述です。過去に感じたことと重なる部分がいくつもあります。391ページ第三章までを読み終えました。長崎にいた笹塚大輔は東京へ向かう飛行機に搭乗しました。
(つづく)
 上巻を読み終えました。新たな登場人物が現れるたびに興味をそそられ、ぐいぐいと先へ読ませてくれます。高浜真裕子は殺された母と同様に不倫関係に陥る。母親の気持ちを知りたかったから不倫をしてみた。母親の気持ちがわかった。家庭の中で淋しい立場にいたから不倫に走った。母親を淋しい思いにさせたのは家族をコントロールできない勝手な父親とわがままな姉だった。だれが母親の死因をつくったのか。真裕子は父親も姉も許すことができない。
 なにか意図があって、加害者の妻子の苗字と被害者が住んでいた町名が同じになっています。「笹塚」といいます。475ページで加害者の息子小5の笹塚大輔がそのことについて触れています。彼は自分の父親が殺人で収監されていることをまだ知らない。
 被害者の娘高浜真裕子は、生きる気力をなくした。時間を埋めるだけのために生きている。将来に対する夢も希望もない。母親はもう帰らない。加害者の息子笹塚大輔は自分を棄てた両親を憎んでいる。アップルの創始者スティーブ・ジョブズ氏と重なります。
(下巻を読み終えました。)
 1か月ほどを要しました。今はさわやかな気分です。長編を最後まで読み通すことができた者だけに与えられる幸福感を味わっています。
 感想の経過をたどってみます。
 孤食・粗食(家族がいてもひとりで食べる)からは、「家族の勝手でしょ!」新潮社刊を思い浮かべました。本作品中には現実にある社会風俗がときおり取り込まれています。小学校におけるいじめに関する記述もあります。離婚母子家庭の母親は自分が産んだこどもよりも他人である男性(恋人)との交際を優先することがある。女性の性(さが、性質)に対する厳しい視線とあきらめがあります。最後に泣く思いを味わうのは女性のほうです。懲りない(こりない。学べない。)こどもは母親におまえなんかいなくなれという言葉を浴びせます。こどもは親の奴隷で選択枝がありません。この物語では、加害者側のこどもも被害者側のこどもも淋しい。親が生きていても淋しさはいやされない。被害者の娘高浜真裕子は何に期待しないことという教訓を胸に毎日を過ごします。小学生のこども同士では私立中学受験を素材にした学歴差別、あわせて東京と地方の生活格差がとりこまれています。ついに加害者側のこどもと被害者側のこどもの劇的な出会いが描かれました。
 作者は色々な人生体験をしている。そして読んでいる自分も同様です。後半にある長崎市の地理描写は詳細です。ここまで書いていいのだろうかと心配するぐらいです。九州で生活した体験がある者としては共通体験から身近には感じます。刑務所を出所した松永秀之の気持は彼の言葉では表現されない。不気味さに包まれる。同様に再婚した真裕子の父親、結婚した姉の気持も詳細には表現されない。
 また死人が出た。ここまでくるとスリラーかホラー・オカルトのようです。ぞっとする恐怖と戦慄(せんりつ)があります。他人の不幸が嬉しい。一見仲良しそうに見える家族も実はお互いに仲が悪い。どこの家もそれが事実なのでしょう。親や姉に対する恨み(うらみ)を吐き出す真裕子を見ていると20代の苦しみは50代になると遠い過去になり、加齢で記憶すら消えてしまうことを助言したくなりました。ひとりの人間がひとつの歴史になることを体感します。こだわりに意味がないことを悟ります。
 新聞記者の建部と犯罪被害者の娘真裕子と彼女の義理の弟俊平(小学校5年生)が焼肉を食べるシーンがあります。擬似家族です。食べ物が3人の心をつなぎます。いいシーンです。
 561ページ付近に加害者の妻が長崎の実家に預けてある息子小学校6年生に明日東京へ来いと指示を出します。この会話はこどもが小学生であることから現実には成立しません。旅費があるわけでもなく疑問をもちながら読みました。
 長崎県警岩戸刑事は読者に「因縁(いんねん、運命・宿命)」を提示します。だれが何をしてもこうなることを止めることはできなかったのです。小学校6年生男児が見た世界は偽物で成立していました。文章運びが秀逸な作品でした。岩戸刑事のセリフには凄み(すごみ)とぬくもりがありました。素晴らしい。「愛」は人の命を奪うのです。


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