2012年05月20日

風紋 上・下 乃南アサ

風紋 上・下 乃南アサ 双葉文庫

 上巻の354ページまできましたが、感想を書き始めてみます。上下巻あわせて1000ページぐらいあります。20年ぐらい前の作品です。携帯電話の記述はありません。喫煙の記述は多数あります。隔世の感があります。(著しい時代の変化を感じる。)
 主婦高浜則子46才が車内で殺害されシートをかぶせられた乗用車はその3日後に発見されます。読みながら、犯人は夫ではないかと推理が始まります。凶器はドライバーです。しかし、夫は犯人ではないらしい。別の人物が逮捕されます。されど読み手としては、夫への疑いは残るし、犯人とされた人物は犯人でありえないという不確かな気持ちをもちながら読み継ぐことになります。夫には証拠がない。犯人とされた人物には証拠がある。その人物はだれかをかばっていると読み手は推測する。
 平凡な家庭の主婦をある日突然大きな不幸が襲う。被害者家庭も加害者家庭もマスコミと近所の評判と親戚筋の攻撃に遭います。刑事の思い込みは強い。冤罪(えんざい)が発生するようです。強制的な自白と誘導が発生します。一度犯行を認めるとくつがえすことは難しくなる。作者の記述は精密で、生活様式や親族のやりとりなどこと細かい。さらに捜査手法はマニュアルを読んでいるようでもある。そこまで書かなくてもと思えるので、読み飛ばすこともある。読者の興味はだれがなんのためになにを使って殺害するまでに至ったのか。されど、反対の見方もあります。主婦が読めば、共感を呼ぶ心の動きが手にとるように理解されるでしょう。真犯人はいずこ。
 登場人物のうちのだれの視点で読めばいいのか。殺された高浜則子の次女真裕子17才になります。高浜家の家族関係は壊れています。結婚して、こどもが生まれて成長して、どうしてこうなるのか。ありうる家族像です。
(つづく)
 上巻を読み終えました。作者はこれだけ大量の文章量で何を書こうとしているのか。単なる推理小説ではなく、人間の悪と影の部分を浮かび上がらせようとしています。松本清張作品とか東野圭吾作品と共通する思いが文章にこめられています。世間は、加害者家族・親族だけではなく、被害者ファミリーにもここまでやるかと言わせるほどの言葉の暴力を浴びせ続けます。人間の心は汚い。
 加害者とされた人物が、家庭も人生も崩壊させてまで嘘をつきとおす理由は何なのか。
 作者によるマスコミ攻撃は下巻では逆転するのだろう。それにしても凶器のドライバーはどこにある。
(つづく)この物語の続編が「晩鐘」であることを知りました。
 凶器のドライバーはついに見つかりませんでした。冤罪は冤罪ではなかった。この世に愛なんてないという絶望感にさいなまれます。ひとりのために全員が壊れていく。それぞれ生き続けていくために心が割れていく。作者は、親族間のイライラを黙せずにあからさまにしていきます。読み手には嫌悪感が生じます。たばこやアルコールが登場人物たちの心を支える。ざらざらした感触をもつ作品です。マスコミ批判の物語でもあります。最後に思ったのは、犯罪者のこどもはいつまでも犯罪者のこどもとは呼ばれない。犯罪を犯したのはこどもではなく、犯罪者のほうであり、個性は別個のものである。だから事件はやがて「風化」する。喜怒哀楽の感情を失くして植物のようになった高浜真裕子はもう人間との関わりを拒否します。リストカットをしても死にきれない。天国の母親との会話は続きます。
 途中何度か、暗い内容に圧倒されて、読書を断念しようかと迷いました。迷うことを楽しんでいる部分もありました。続編である「晩鐘」を読むかどうかは迷っています。

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