2012年05月20日

野川 長野まゆみ

野川 長野まゆみ 河出書房新社

 野川というのは川の名称です。まず、9ページまで読んで、最初に戻りました。風景描写、地理描写に力が入っています。文章を絵に置き換えてみました。川が流れていて川幅は10mに少し足りない、実際の川は幅が2mに満たない。ところどころ川底がむき出しで、周囲には色々な草花が生えている。橋が架かっている。支流を登ると崖地があって、その中腹に中学校が建っている。あたり一帯は、東京多摩地区から都心へと伸びる河岸段丘の一部となっている。季節は、夏休みが終わる頃、井上音和(おとわ、中学2年生)は、両親が離婚して、彼の親権者となった父親とともに、崖地の中腹にある中学校に転校してきた。父親は事業に失敗して借金を負い、今は、あまり仲のよくない兄の写真屋で雇われている。父親のプライドは高い。
 肝心なことは、井上音和が新聞部に入ること。新聞部といっても新聞をつくるのではなく、伝書鳩の育成を行うこと。この作品は、そういった設定であること、自然を語る雄大な筆致があること、文章を色彩化する試みをしていることなどから独特です。
 音和(わたしは最初女性だと思いました。)のまわりに配置されるのが、国語教師河井、彼が初対面の音和に「意識を変えろ。ルールが変わったんだ。」と言い放つところからこの物語はスタートを切ります。音和に最初に声をかけたのが、新聞部の3年生吉岡祐二、彼の兄は4年前、高校1年生のときに鉄道へ飛び込み自殺をしています。3年生新聞部藤倉しのぶと彼女の弟1年生淳也、そして同じく1年生中村です。さらに、トラウマ(心の傷)をもつ鳩のコマメ、彼は、巣立ちのときに巣から転落したらしく、以降飛べなくなっています。飛べるのに飛べない、飛ばないのです。コマメ=井上音和であり、コマメ=登場人物中学生たちの群像です。コマメは生まれたとき一番小さく350g、母親の名はソラマメです。
 書中の言葉を借りて、本を「観察」してみます。物語では9月から10月までの風景描写が続きます。ことに河井先生の大昔の地質、地形、歴史、自然の動きに関するお話は壮大です。途中にある蛍とか星空のお話も魅力があります。
 昭和と平成が混在したような内容ですが、携帯電話の記述があることから平成の物語でしょう。昭和時代に今のような携帯電話はありませんでした。
 音和はピアノを弾きます。1か月ほど前に読んだ「聖夜」佐藤多佳子著に登場する鳴海一哉18歳も鍵盤は異なりますがオルガンを弾きます。どちらも離婚で母親を失っています。このふたつの父子家庭が同じ町に住むとして、出会いの機会をつくって、からませてみる。最後は、音和と一哉の鍵盤楽器合奏か協奏シーンで終わるのがいい。
 作家はそれぞれ自分のテーマをもって、独自の作風を創りだそうとする。中学校の標高は79.6m、東京都地域の標高に対するこだわりあり。上野が4m。案外低い。
 河井先生のモデルは宮沢賢治でしょう。作者は自然を上手に文章で表現したい。作者は文章の色彩化に挑戦している。これもまた宮沢賢治の影響でしょう。
 作者は雰囲気を出すために漢字ではなく、ひらがなを使用する手法をとっている。好ましい効果を出している。
 S山と呼ばれる山があって、野川が流れている。空に伝書鳩が飛んでゆく。鳩は太古からの歴史で地球から発生している磁気を方向磁石として巣へ戻る。音和の気持ちは鳩になり、音和の目は上空から地上を鳥瞰(ちょうかん、鳥の目で見る)する。そこにいたのは、みすぼらしく身をおとした父親の姿だった。父親は羽振りがよかった。オートロック式の高級分譲マンションで家族は生活していた。しかし、プロ写真家としての事業は行き詰まった。今は、古い木造アパートに暮らし、チラシ配りをしている。高級車は自転車に変わった。妻は彼のもとを去った。音和は遠景にある父の背中を見ている。子は親の背中を見て育つ。そして、兄を自殺でなくした吉岡祐二は心の奥底に自分も死にたいという願望をもっている。非常に危険である。兄の代わりを自分がやろうとしている。自分は自分であって兄ではない。兄の代わりはできない。
 鳩の体内には、自分の位置を知ることができるセンサーが付いている。人間はどうだろう。ないはずはない。人間だって、原始から生きている地球上の生物だからセンサーをもっているはずです。どこに行けば、そのセンサーを発揮できるのだろう。それは、自然の中です。子どもの頃確かにこの目で見たいくつもの蛍の光とか、夕空いっぱいに広がった赤とんぼの群生、満天の星空、高々と上がるヒバリの姿と声、畑の野菜を這う青虫とその脱皮によるアゲハ蝶の誕生、樹木にすがりついたクワガワ虫の採取、春先に軒にいくつもあった雀の巣、書けば枚挙にいとまがないシーンも今では過去のことになってしまった。そして、今、こうしている屋外では秋の虫が鳴き始めている。
 音和は、離婚後の生活を気に入っている。シンプル(単純、素朴)な暮らしでいいと思っている。父親はそのうちみておれと開き直っている。借金を返済し終えたら言いたいことを言ってやると今は耐えている。飛べなかったコマメは何度かの予行演習のあと大空へと舞い上がることができるようになった。人も生き物も成長している。作者は、文章を色彩にしたい。登場人物の音和は音符を色彩にしたい。ふたりは、この物語をハーモニー(自然と生き物の調和)にしたい。地球を讃える物語でした。音和という名前はつまり、音の和でハーモニーなのです。

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