2012年05月20日

聖夜 佐藤多佳子

聖夜 佐藤多佳子 文藝春秋

 難解です。もっと気楽にぱーっとやろうよ!と叫びたくなります。
 本の帯は楽しげです。キャッチコピーは喜劇風です。でも違います。父は牧師、母は元ピアニスト、息子はオルガン弾き。でも、両親は離婚しています。
 キリスト教(宗教)をからめた小説は日本では珍しい。神父の鳴海哲哉は神父だから非行をできない。その息子一哉18歳高校3年生も神父のこどもであることから品行方正を求められる。ふたりとも、狭くて窮屈な世界にいる。なのに、母香住(かすみ)は一哉が10歳、小学校4年生のときに、一哉のオルガンの教師であるドイツ人オリバー・シュルツと恋仲になって、ドイツへ行ってしまった。
 思春期に親を失くしたこどもの気持ちがあります。一哉は母親に会いたいのです。でも、会えないのです。49ページ、一哉は、母親のオルガンにナイフを突き立てたい。一哉は、神を信じられない。学校でも孤立している。周囲にいる人間をいじめたい。彼はどうでもいい気持ちでオルガンを弾いている。書中にあるとおり、彼は初対面の女性を「この女は、男を裏切るのか」という目で見る。
 前半の本読みはかなり苦しい。メシアンというフランスの作曲家からスタートします。音と色の調和について書かれてあります。以降、音楽の説明が続きます。楽譜、鍵盤、オルガンの仕組み、知らない者にとっては苦痛の時間帯です。90ページあたり、「聴音」から読みやすくなります。市井(しせい、街中)の雑音を楽譜に音として落とす。ソルフェージュだったっけ。あれは、ピアノ音を楽譜に落とすから違う。そして、この世にあるさまざまなものの起源はわからない。だから、神が創造したというところまでつながっていきます。一哉にとって信じられるものは一つ、それは、「音」です。そして、去っていった母の気持ちを知りたいから作曲家メシアンの曲をオルガンで弾きたいのです。母はメシアンが好きで、メシアンを弾いていた。
 148ページで、オルガンに突き刺されたナイフの事情がわかる。それは感情的なものではなく、科学的なものであった。演奏者は宗教家でも革命家でもなかった。音楽家だった。和也の気持ちは救われます。
 98ページに登場する歩道橋を上って来るじいさんは「挑戦だ!」と強い意思表示をする。そこだけ異質なシーンですが、あとあとまで心に残る要(かなめ)の場面です。

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