2012年05月19日
47都道府県女ひとりで行ってみよう 益田ミリ
47都道府県女ひとりで行ってみよう 益田ミリ 幻冬舎
この本はとてもいい。行こうとすれば行ける距離にある日本各地巡りの案内書です。作者の場合、費用もそれほどかかっていません。日本各地に住む日本人の優しさが伝わってきます。
この本を読みながら、わたしが行きたいと思った場所は次のとおりで、ただし、読み終えて3日後にまた考え直したこともあり、それも付記してみます。
「三重県松坂市」松坂牛のすき焼きを食べてみたい。(3日後、わざわざ松坂まで行かなくても名古屋市内の松坂牛を出してくれるお店で食べればいい。さらにそうしなくても、お店で松坂牛を買ってきて、自宅で食べればいい。最後には、松坂牛でなくてもいいまで、レベルが下がりました。)-この数年後。縁あって何度か訪れましたが、いまだお肉は食べていません。
「大分県別府温泉」さびれたとは聞きますが、本格的な温泉街であることには変わりがないでしょう。(3日後、これは実現できそう。帰省したおりに立ち寄りたい。)-この数年後、何度か訪問を計画しましたがおもに仕事優先の都合であきらめてまだ行けていません。
「岩手県中尊寺金色堂」かなり行きたい欲望がでました。(3日後、たぶん金閣寺のように金ぴかでしばらくながめたら見飽きるのだろう。やめておこう。)-この数年後、訪問しました。仏像というよりも美術品でした。
「東京大学の学食、国会議事堂、帝国ホテル」東大の赤門前には行ったことがありますが、警備員が立っていて、関係者以外立ち入り禁止の雰囲気でした。簡単に入ることができるのなら入ってみたい。国会議事堂前も同じく警備の警官が立っていました。見学予約ができるようなので、入ってみたい。帝国ホテルも泊まってみたい。本には記事がありませんでしたが、皇居の見学もできるようなので、いつか、以上の場所をひとかたまりにして全部見てみたい。(3日後。これは今もそうしたいということで読後も変更がありません。)-東京へはもう5年ぐらい行っていません。
「京都駅に併設されているホテル」泊まってみたい。ホテルの窓からゆきかう夜の新幹線を眺めたい。(3日後。いつか泊まろう。)-この数年後、2回泊まりました。よかった。
作者の旅行の特長を並べてわたしの感想を付記してみます。
旅立ちの季節にはこだわらない。春とか秋の行楽シーズンではなく、行きたいときが行き時なのです。それから、現地のすべての観光地を巡るのではなく、場所を絞って見学する。わたしも同感です。見学したくても、体調や仕事・家族の都合で簡単に旅行へ出ることがむずかしいことに加えて、現地での滞在時間も限られてきます。すべての場所を見学することは無理です。気に入った場所があれば、そこが観光地ではなくとも長時間滞在するようにしています。
作者は旅先での地元の人たちや他の観光客との関わりを拒んでいます。そのため文章はひとりのつぶやきが多い。ただし、それは短文なので気になりません。文章のかたまりは短く、4コママンガの付記と消費した金銭の記録もいい。作者はマッサージが好きなのだなあということがよくわかります。ひとりで旅行をしている作者のさみしさは伝わってきます。ただ、後半部分は愚痴が多くなってきて困りました。
大阪、道頓堀に飛び込む若者たちの記述はGoodです。全体を通して、作者があまりにも地理や歴史を知らないところがおもしろい。よく考えてみれば、都道府県とか市町村の境界線にこだわりながら生活している人は日本人のなかの少数派です。大部分の人は、自宅と職場か学校、買い物先ぐらいの範囲で行ったり来たりを繰り返しながら生活をして年齢を重ねていきます。わたしも若い頃は、歴史にまったく興味がなく、過去のことを今さら振りかえって何になると強がっていました。今はそうは思いません。歴史を知ることは楽しい。
ホテルとか旅館はあまり安い部屋は避けたい。仕事で寝るだけならかまいませんが、旅で心を癒したいときには少し高くてもいい部屋に泊まりたい。本書中に安部屋から少し高い部屋に方針転換した作者の同様の記述があります。
231ページ、「嫌いな人がいてもいい」は名言です。無理をするのはやめましょう。作者は線が細い人と感じるのですが、やっていることはけっこう太い。そのギャップ(差)が芸術家の素因になるのでしょう。
最後に作者は一期一会に(いちごいちえ)について記しています。わたしはそこに、縁がある人とは、会いたいと思わなくても、こんな場所でという思いがけない場所や、何年ぶりにというタイミングで再会するものだということを付け加えておきます。
この本はとてもいい。行こうとすれば行ける距離にある日本各地巡りの案内書です。作者の場合、費用もそれほどかかっていません。日本各地に住む日本人の優しさが伝わってきます。
この本を読みながら、わたしが行きたいと思った場所は次のとおりで、ただし、読み終えて3日後にまた考え直したこともあり、それも付記してみます。
「三重県松坂市」松坂牛のすき焼きを食べてみたい。(3日後、わざわざ松坂まで行かなくても名古屋市内の松坂牛を出してくれるお店で食べればいい。さらにそうしなくても、お店で松坂牛を買ってきて、自宅で食べればいい。最後には、松坂牛でなくてもいいまで、レベルが下がりました。)-この数年後。縁あって何度か訪れましたが、いまだお肉は食べていません。
「大分県別府温泉」さびれたとは聞きますが、本格的な温泉街であることには変わりがないでしょう。(3日後、これは実現できそう。帰省したおりに立ち寄りたい。)-この数年後、何度か訪問を計画しましたがおもに仕事優先の都合であきらめてまだ行けていません。
「岩手県中尊寺金色堂」かなり行きたい欲望がでました。(3日後、たぶん金閣寺のように金ぴかでしばらくながめたら見飽きるのだろう。やめておこう。)-この数年後、訪問しました。仏像というよりも美術品でした。
「東京大学の学食、国会議事堂、帝国ホテル」東大の赤門前には行ったことがありますが、警備員が立っていて、関係者以外立ち入り禁止の雰囲気でした。簡単に入ることができるのなら入ってみたい。国会議事堂前も同じく警備の警官が立っていました。見学予約ができるようなので、入ってみたい。帝国ホテルも泊まってみたい。本には記事がありませんでしたが、皇居の見学もできるようなので、いつか、以上の場所をひとかたまりにして全部見てみたい。(3日後。これは今もそうしたいということで読後も変更がありません。)-東京へはもう5年ぐらい行っていません。
「京都駅に併設されているホテル」泊まってみたい。ホテルの窓からゆきかう夜の新幹線を眺めたい。(3日後。いつか泊まろう。)-この数年後、2回泊まりました。よかった。
作者の旅行の特長を並べてわたしの感想を付記してみます。
旅立ちの季節にはこだわらない。春とか秋の行楽シーズンではなく、行きたいときが行き時なのです。それから、現地のすべての観光地を巡るのではなく、場所を絞って見学する。わたしも同感です。見学したくても、体調や仕事・家族の都合で簡単に旅行へ出ることがむずかしいことに加えて、現地での滞在時間も限られてきます。すべての場所を見学することは無理です。気に入った場所があれば、そこが観光地ではなくとも長時間滞在するようにしています。
作者は旅先での地元の人たちや他の観光客との関わりを拒んでいます。そのため文章はひとりのつぶやきが多い。ただし、それは短文なので気になりません。文章のかたまりは短く、4コママンガの付記と消費した金銭の記録もいい。作者はマッサージが好きなのだなあということがよくわかります。ひとりで旅行をしている作者のさみしさは伝わってきます。ただ、後半部分は愚痴が多くなってきて困りました。
大阪、道頓堀に飛び込む若者たちの記述はGoodです。全体を通して、作者があまりにも地理や歴史を知らないところがおもしろい。よく考えてみれば、都道府県とか市町村の境界線にこだわりながら生活している人は日本人のなかの少数派です。大部分の人は、自宅と職場か学校、買い物先ぐらいの範囲で行ったり来たりを繰り返しながら生活をして年齢を重ねていきます。わたしも若い頃は、歴史にまったく興味がなく、過去のことを今さら振りかえって何になると強がっていました。今はそうは思いません。歴史を知ることは楽しい。
ホテルとか旅館はあまり安い部屋は避けたい。仕事で寝るだけならかまいませんが、旅で心を癒したいときには少し高くてもいい部屋に泊まりたい。本書中に安部屋から少し高い部屋に方針転換した作者の同様の記述があります。
231ページ、「嫌いな人がいてもいい」は名言です。無理をするのはやめましょう。作者は線が細い人と感じるのですが、やっていることはけっこう太い。そのギャップ(差)が芸術家の素因になるのでしょう。
最後に作者は一期一会に(いちごいちえ)について記しています。わたしはそこに、縁がある人とは、会いたいと思わなくても、こんな場所でという思いがけない場所や、何年ぶりにというタイミングで再会するものだということを付け加えておきます。
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