2012年05月14日

野いばら 梶村啓二

野いばら 梶村啓二 日本経済新聞出版社

 読後の余韻として「野いばら」ではなく「野イバラ」と表記した感覚でした。とがっているのです。野イバラはバラの原生種を指します。幕末時代の人物たちにスポットライトを当てて過去を堀起こしています。日本人縣和彦(あがたかずひこ)32才は出張先のイギリスで、明治維新の頃、日本に滞在したイギリス人軍人の手記を偶然手にします。そこには日本人娘成瀬由紀との淡くも厳しい結末を迎える恋が記されていました。ふたりは野イバラのトゲに刺されて血まみれになるのです。成瀬由紀が花のなかで一番好きだったのが野イバラです。母国へ生還したウィリアム・エヴァンズはおそらく野イバラの種を持ち帰り英国に植えたのです。バラは野生化し150年が経過した今もエヴァンズ氏の屋敷の近くにある山で花を咲かせている。
 エヴァンズ氏は1830年に生まれ1898年に亡くなっています。1862年9月14日に薩摩藩の武士が英国人を殺傷した生麦事件が横浜で発生しています。エヴァンズはその頃、外交官の一員として横浜に滞在しています。1863年の薩英戦争で負傷し離日しています。1868年が明治維新になります。英国・米国が日本の開国を求めて当時の日本政府に軍事力で迫る緊張した時代背景です。当時の外国人滞在者たちは、外国人にとって江戸は安全な地域ではないという認識に立っていました。開国の流れには逆らえない状況であるにもかかわらず日本人は川の上流に向かって流れていこうとしていました。以前読んだことがある本でタウンゼント・ハリスの「日本滞在記」があります。日米修好通商条約の締結に携わった人物です。この「野いばら」のベースはその本にあるのだろうと推察しました。
 イギリス人が通訳の日本人女性と恋に落ちる。しかし彼女は日本人側のスパイだった。しかし、スパイの日本人女性は職務を放棄してイギリス人とのラブにのめりこんだ。イギリス人男性の思い出の花として「野イバラ」が記憶に残り、彼は彼女を忘れることができず、かつ悼むために野イバラの種をイギリスに持ち帰って自宅に植えた。ラブストーリーです。自分はこの地(日本)でサムライに斬り殺されるかもしれないという恐怖感と孤独感をもちながら役職の役目を果たして働く。その点で国際社会を地盤にして活躍する経済人には受け入れられることでしょう。戦争によって失われる経済損失と失われる人心の交流があります。ふたりがいなくなっても横浜のお寺でふたりが植えた植物や樹木は淡々と育つのです。イギリスではエヴァンズが造った日本庭園がひっそりと季節を重ねるのです。
 平和への希求を記した小説でもあります。作者は文中で、日本人は貧乏であったが不幸ではなかった。生活には洗練された簡素な美と開放的な喜びが実存していた。精緻に組み上げられた秩序で平安が保たれていたと記しています。

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