2012年05月04日
母をお願い 申京淑(しんぎょんすく)
母をお願い 申京淑(しんぎょんすく) 集英社文庫
韓国ソウルの地下鉄で、乗車時に列車のドアが閉じて、老いた母親がホームに取り残された。以降、母親の行方がわからないという奇妙かつ衝撃的な設定です。物語の終わりにたどりついても母親の所在はわかりません。事実だと思って首をかしげながら読み続けました。作者あとがきを読んで、虚構であることをようやく知り安心しました。
起承転結でいえば、次のような構成です。
「第一章 誰も知らない」母親が行方不明になって1週間が経った。だれが語っているのか理解できないままにページが進みました。だれかが「あなたは」と呼びかける表現形式になっています。日本人と韓国人の「呼称・人称」の感覚が違うことに気づきました。あなた=わたしなのです。そのわたしは、作家である長女です。行方不明になったのは1938年生まれのパク・ソニョさんで69才となっています。老夫婦でこどもが住むソウルに来ていて、夫は妻をうしろにさっさと地下鉄に乗車したのです。妻は田舎育ちで都会の地理にうとく、文字を読むこともできません。
「第二章 ごめんよヒョンチョリ」ヒョンチョリは長男です。わたしの感覚だと、この章を語っているのは長男です。母親の苦労話が続くのですが、それは本人にしかわからないことです。はたが見てかわいそうは、一部分を見ての感慨です。実際に本人から話を聞いてみると楽しかったこともあるのです。
「第三章 わし、帰ったぞ」夫の気持ちです。行方不明になった妻が施設に定期的に寄附をしていたことがわかります。妻が施設のこどもたちと交流をもっていたことも判明します。夫の手記なのですが、人称の違いからか、父親を憎むほどに攻撃する内容となっています。
「第四章 また別の女の人」この付近を読むまでで、行方不明になった母親は認知症ではなかったのかとか、北朝鮮に拉致されたのではないかと推測が生まれます。事件や事故に巻き込まれているに違いない。この章では、行方不明になっている母親が語ります。母親は鳥(カササギ、カラスの一種)に姿を変えています。母親はもう生きていない。文脈から察すると母親は鳥になって娘や孫の家を木の上から見つめています。
「エピログー バラのロザリオ」2女の視点から母親について記述されています。自分は母親のように人生のすべてをこどもに捧げることはできない。自分には自分の歩みたい自分のための人生があると弁解と主張が入ります。母親が子育てをしていた頃の時代とは考えが異なります。
全体をとおしてですが、長文です。1ページにびっしりと活字が並んでいます。夏目漱石作品を読むようでした。要点を押さえて読みやすい形式にしてほしい。
「母をお願い」の「お願い」は、神さまに母をよろしくとお願いしています。それからよく出てくる単語「アイグ(アイゴ)」の意味がわからなかったのですが、読後に調べたところ多種多様な感情表現のときに口から出る言葉だそうです。喜怒哀楽あらゆる場面で韓国の人はアイグと発するそうです。
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