2012年04月10日

殺意・鬼哭(きこく・亡霊が浮かばれないで泣く) 乃南アサ

殺意・鬼哭(きこく・亡霊が浮かばれないで泣く) 乃南アサ 双葉文庫

 2本の小説が1本の作品になっています。「殺意」は殺したほう、「鬼哭(きこく)」は殺されたほう、それぞれの当事者が語り続けます。珍しい形式です。
「殺意」
 恐ろしいお話です。世の中にこのような人間がいないと否定できません。真垣徹36才会社員は殺人刑で収監されて8年が経過しています。12年の刑ですがもうすぐ仮出所します。彼は出所後の殺人をすでに企てています。彼は人を殺さないではいられないのです。
 彼は、周囲の人間が彼の親友とみていた人物を刺殺しました。不可解な特徴は動機を示さなかったことです。動機について、本人は黙し、警察・検察・弁護士が動機を探(さぐ)ります。精神衰弱状態、性格異常、以上について精神鑑定のノウハウを紹介する記述が長文で続きます。読者自身の体験が分析されてゆくようでもあります。
 広い視野で見れば、人間は殺意をもつ生き物です。人間には太古から自分が生きるために他人を殺す性質があった。遺伝子は消えたわけではない。人は人を殺さないために知恵と工夫をしてきた。「忘却」という手段を身につけた。支配者・被支配者の関係が記されています。親友とは年齢差があったとしても対等でなければなりません。周囲はふたりを見て、親友と定義するけれど、当事者にとってはそもそも親友ではなかった。ライバル(敵)であった。
「鬼哭(きこく・死者のすすり泣き)」
 真垣徹36才に刺殺された的場直弘40才のひとり語りが続きます。刺されて意識を失うまでの3分間の思考が178ページに渡って延々と表現されます。殺した真垣は殺された的場を支配者ととらえていました。逆に的場から真垣を観ると真垣は的場が甘えることができる人物でした。こちらは相手に好かれていると思っていても相手はこちらを嫌っている。的場は真垣に殺される理由をもっていました。相手に忍耐をさせる関係は親友とは呼ばない。
 ストーリーをどうもっていくのか予測しました。人生の思い出が入ることは予測どおりでした。こどもたちや妻の未来を憂慮するのですが、それ以前に的場は家族から見捨てられていました。父親とは淋しいものです。彼は妻子から冷遇を受けていました。グループができるとそのうちのひとりはいじめられるポジションに置かれる。
 死が目前にある人間の触覚は鋭敏になります。平家物語冒頭にある「諸行無常の響きあり」が聞こえてきます。自分の人生は何だったのだろうかと悔いながら「疲れた」と死んでゆく。いまとなっては、逆恨みや八つ当たりも無意味。廃墟となった実家の部屋で、ひとりで死んでゆく。「家」がもつ基盤に触れています。もう再生の希望はありません。強烈で凄み(すごみ)のある作品でした。

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