2012年03月10日
ピエタ 大島真寿美
ピエタ 大島真寿美 ポプラ社
作曲家ヴィヴァルディ(1678年~1741年)の没年から始まります。同人に関する知識は協奏曲「四季」しかありません。
「ピエタ」はピエタ慈善院を指し、孤児を育てるところです。ピエタは孤児の女性たちが働くキリスト教音楽運営施設となっています。舞台はイタリアヴェネチアです。この本を読んでヴェネチアに雪が降ることをはじめて知りました。南国の地と思っていました。
ピエタに収容された棄児(きじ、捨て子)はエミーリアで、彼女の30年間から40年間に渡る回顧録になります。楽器は明記されませんが、ヴァイオリンでしょう。背景に貴族社会と身分制度があります。
エミーリア(45才)そして彼女と同時期に施設に収容された音楽の天才アンナ・マリーアが冒頭付近で登場しますが、ふたりは主役ではありません。エミーリアは無色透明の性格設定で、この物語の進行役であり、登場人物たちの調整役を果たします。主人公は、コルティジャーナと称される高級娼婦のクラウディアと貴族ドゥオド家のヴェロニカのふたりの女性です。書中に出てくる「ギルド」は商工業者の独占的排他的組合です。高校の世界史で習いました。なつかしい。
物語の要素のひとつに「ヴィヴァルディが書いた楽譜」があります。ヴェロニカが若い頃に楽譜の裏に詩を書きました。その楽譜が行方不明です。ヴェロニカはピエタ慈善院の運営責任者になっているエミーリアに、その楽譜を見つけてくれたらピエタに多額の寄附をすると約束します。楽譜はなかなか見つかりません。残りのページが数ページになっても見つかりません。
要素のもうひとつに「仮面舞踏会」とか「カーニバル」があります。人びとはみな仮面を付けて会話をするのです。人はだれも多重人格者であることを暗示しています。
ヴィヴァルディ本人は登場しません。関わりになった人たちの証言によって、ヴィヴァルディの人物像(実像)が浮き彫りにされていきます。彼もまた多重人格者でした。
ヴィヴァルディは狂気をもっています。優れた作品群を製作するためには、気が狂う一線を超えなければなりません。超えたら現実社会にすぐ戻ってこなければなりません。戻れなければ狂ったままです。結婚していても恋愛するし肉体関係ももちます。されど、彼は正常な精神と肉体をもった人間でした。中盤はクラウディアのセリフが物語を引っ張ります。ヴィヴァルディは死を覚悟していた。(死ぬつもりだった。)なぜ? 人生に力尽きた。
エミーリアによって、捨て子に関する両親への情愛が語られます。自分はどこから来たのか。婚姻関係の外で生まれたこどもは捨てられる。
冒頭、ひとつの時代が終わったと語られます。後半、再びまたひとつの時代が終わったのです。それでも新たな人間たちによって新しい時代が繰り返されてゆきます。残ったのは異性間の「愛情」ではなく「友情」でした。後半には推理の要素があります。
作曲家ヴィヴァルディ(1678年~1741年)の没年から始まります。同人に関する知識は協奏曲「四季」しかありません。
「ピエタ」はピエタ慈善院を指し、孤児を育てるところです。ピエタは孤児の女性たちが働くキリスト教音楽運営施設となっています。舞台はイタリアヴェネチアです。この本を読んでヴェネチアに雪が降ることをはじめて知りました。南国の地と思っていました。
ピエタに収容された棄児(きじ、捨て子)はエミーリアで、彼女の30年間から40年間に渡る回顧録になります。楽器は明記されませんが、ヴァイオリンでしょう。背景に貴族社会と身分制度があります。
エミーリア(45才)そして彼女と同時期に施設に収容された音楽の天才アンナ・マリーアが冒頭付近で登場しますが、ふたりは主役ではありません。エミーリアは無色透明の性格設定で、この物語の進行役であり、登場人物たちの調整役を果たします。主人公は、コルティジャーナと称される高級娼婦のクラウディアと貴族ドゥオド家のヴェロニカのふたりの女性です。書中に出てくる「ギルド」は商工業者の独占的排他的組合です。高校の世界史で習いました。なつかしい。
物語の要素のひとつに「ヴィヴァルディが書いた楽譜」があります。ヴェロニカが若い頃に楽譜の裏に詩を書きました。その楽譜が行方不明です。ヴェロニカはピエタ慈善院の運営責任者になっているエミーリアに、その楽譜を見つけてくれたらピエタに多額の寄附をすると約束します。楽譜はなかなか見つかりません。残りのページが数ページになっても見つかりません。
要素のもうひとつに「仮面舞踏会」とか「カーニバル」があります。人びとはみな仮面を付けて会話をするのです。人はだれも多重人格者であることを暗示しています。
ヴィヴァルディ本人は登場しません。関わりになった人たちの証言によって、ヴィヴァルディの人物像(実像)が浮き彫りにされていきます。彼もまた多重人格者でした。
ヴィヴァルディは狂気をもっています。優れた作品群を製作するためには、気が狂う一線を超えなければなりません。超えたら現実社会にすぐ戻ってこなければなりません。戻れなければ狂ったままです。結婚していても恋愛するし肉体関係ももちます。されど、彼は正常な精神と肉体をもった人間でした。中盤はクラウディアのセリフが物語を引っ張ります。ヴィヴァルディは死を覚悟していた。(死ぬつもりだった。)なぜ? 人生に力尽きた。
エミーリアによって、捨て子に関する両親への情愛が語られます。自分はどこから来たのか。婚姻関係の外で生まれたこどもは捨てられる。
冒頭、ひとつの時代が終わったと語られます。後半、再びまたひとつの時代が終わったのです。それでも新たな人間たちによって新しい時代が繰り返されてゆきます。残ったのは異性間の「愛情」ではなく「友情」でした。後半には推理の要素があります。
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