2012年01月26日

道 フェデリコ・フェリーニ 映画 DVD

道 フェデリコ・フェリーニ 映画 DVD

 どこから感動が生まれるのか見当(けんとう)がつかない。それが、鑑賞中の感想でした。評価が高い映画です。自分に感受性が不足しているのか、体質にあわないのかなどと考えていたら、映画は終了しました。もう一度時間をあけて観てみます。
 1954年の白黒イタリア映画です。ジェルソミーナ20代前半ぐらいの娘が1万リラで売られていきます。別れのシーンで母親は泣き叫びますが、ジェルソミーナは不気味に微笑みます。束縛から開放されて自由を取得したような喜びがみられます。
 ジェルソミーナを買った男ザンパノは、彼女にかわいそうなことをします。彼女は自由を取得したのではなく、異なる束縛状態に身を置いたのです。宗教的なパレードのシーンからがタイトルの「道」を表していると感じました。ジェルソミーナはザンパノを嫌って、ひとりであてもなく歩き出します。町には活気があふれていて彼女は幸せそうです。
 「わたしはこの世で何をしたらいいの」ジェルソミーナは死にたい。サーカス仲間の若い男性が小石の話をします。命の大切さにまつわるお話があります。「早く来るんだ早く」がザンパノの口癖でした。
(数日後 再鑑賞)
 「ティー、ルルルー、ルーゥルルルルー」というもの悲しいメロディーが映画を支えています。演奏はバイオリンであったり、トランペット風のラッパであったりします。男優のザンパノを描く映画でもあります。彼は彼なりに真面目です。敗戦国となったイタリア国は戦争を仕掛けた侵略国でもあります。当時のイタリア国民の立場になってみないと惨めな気持は理解できません。どん底の貧困暮らしがあります。ジェルソミーナを1万リラで売った母親はママという悪魔です。ジェルソミーナのIQ(知能指数)は凡人が100とするなら85ぐらいなのでしょう。映像にあるパレードだと思っていたのは十字架を先頭にした葬儀の列なのでしょう。ジェルソミーナもザンパノもイタリア国民の姿であり、葬儀の列はイタリア国を表しているのでしょう。イタリアという国が死んだのです。
 音楽は人生とともにある。同業者仲間は家族。人を大切に扱う。戦争の教訓です。ザンパノは大道芸で胸に巻いた鎖と鉤(かぎ)を断ち切る演技を繰り返します。鉤(かぎ)はイタリア人民を拘束・扇動(せんどう、あおりたてる)した支配者です。イタリア国も同国民もひとりぼっちになった。(苦しい解釈で無理があります。また観なおしてみます。)
 キジルシと呼ばれる綱渡り芸人は神さまなのですと解説で淀川長治さんが言う。テレサ・テンさんの歌で「ジェルソミーナの歩いた道」という歌がある。関連があるのかないのかはわからないけれど、今はもうみなさん、天国の人となりました。

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