2011年11月07日

十三人の刺客 映画 DVD

十三人の刺客(しかく、暗殺者・殺し屋) 映画 DVD

 映画「一命」を観たあと、ネットでいくつかのその映画の批評を拾ったときに、この映画が紹介されていました。批評の評判がよかったので観ました。昨年公開で有名だったようです。知りませんでした。
 「一命」を見たあとであり、また切腹かというシーンで始まります。鑑賞後は「一命」も本作品も現代劇であるという感想に変わりがありません。時代考証、殺陣(たて)については自分が知るものとは異なります。切腹について言えば、もっと力を抜かないとおなかは切れないというものです。侍と庶民との関係について言えば、地方では身分制度はゆるく、武士も庶民も仲良く暮らしていたというものです。刀はフェンシングの剣のように振り回せないくらい重い。
 さて、構成です。内容は、とある藩の内紛です。時代は1845年頃、最初に原子爆弾の表記が出るのはやはり現代劇らしい雰囲気になります。暴君というよりも鬼畜(きちく、残虐行為を行う者)である藩主を暗殺する計画です。鬼畜でも主君に仕えることが武士の努めと主張する体質の武士群と天下万民のために(下が支えてはじめての上と主張)命を賭ける13人の闘いです。いずれにしても最終目標は徳川幕府の安泰になります。
 まず相手(劇中の主役群であり鑑賞者でもある)への憎しみをためる。「憎む」ことで殺人の動機を形成し行使を企図(きと)する。ヒーローを登場させる。ヒーローのもとへはせ参じる。仲間を形成する。ここまでの筋立ては童話「桃太郎」と同じです。ベースに「七人の侍」もあります。勧善懲悪の物語展開です。続いて、宣戦布告。さらに山の者を味方につける。相手が姿をくらまして不安をあおる。戦闘はアイデア(発想)にあふれています。大規模な攻撃・防御に弓矢の小物がからみ、炎、爆破、閉鎖と壮大です。すばらしい。戦闘シーンは長時間に及びます。13人の刺客ですから、ひとり1分と計算しても13分間がつくれます。その倍なら26分です。後半1時間ぐらいが戦闘シーンで、途中、BGMのないシーン無音状態もあります。さすがに観ていると休息したくなります。伏線は「みなごろし」と書かれた死者の書です。
 日本人の「血縁」意識に対する批判があります。血縁があれば出世できる。たとえ狂人でも組織を支配できる。藩主についていえば、どうやったらこういう人間ができあがるのか。オギャーと生まれたときから残酷であったはずがない。
 主君に仕えた半兵衛は、足利尊氏に敗れた楠正成のようでした。自分を上位の地位に引き上げてくれた恩に感謝を尽くす。刺客のリーダーである新左衛門は、藩主を暗殺することで、そのうちだれかが自分に感謝してくれるだろうと結びます。運不運、博打(ばくち)に関するやりとりも登場します。ふりかえってみれば、運は強い者に与えられる。
 金貸し商人は、いまや武士の刀は質草(しちぐさ)か大根を切るぐらいの価値しかないと武士の魂をばかにします。命を使い捨てにする。命とは長さではないというセリフが出ます。理屈はあるようでなく、とにかくやりたいからやる。仲間たちは「面白い」と言い、藩主も「面白い」と言い、「面白い」という言葉には、各自のそれまでの生き方、これからの生き方(死に方)への気持ちがこめられています。
 蚊帳(かや)の中のような壇上で魚を口でじかにくらう藩主、複数の女の相手では事足らずじいさんにまで手を出す浪士、死んだはずなのにぴんぴんしている山の者など、意味がとれない部分もあります。残虐性やユーモアの強調と受け取りましたが、他に深い意味があるのかもしれません。
 映像は終始暗く、役者のせりふはぼそぼそとしゃべり聞き取れないときもある。こども向きのヒーロー戦隊みたいな勢ぞろいのシーンもある。そんなところが不満として残りました。完璧ではないけれどいくつもの点で光るところがある映画でした。

(その後の考察)
生き返った山の者は「妖精」だったと解釈します。
幽霊とは思えません。
妖精が新左衛門たちを助けた理由はこれから考えます。
いまのところ「気まぐれ」が理由です。
「面白い」から手助けしたのです。


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