2011年08月07日

東京物語 DVD

東京物語 DVD

 三重県松阪市にある小津安二郎青春館を訪れたのは、今年3月でした。以降、小津監督作品を見続けてきましたが、この「東京物語」で最後になるでしょう。名作です。広島県尾道に住む老夫婦が東京で所帯をもった息子や娘宅を訪れるのですが、こどもにも孫にもうとまれて(嫌がられて)尾道に帰ってくる姿が淡々と描かれています。そして、68歳の母親は帰郷後急逝するのです。
 身につまされる映画です。テレビ画面の中で蝉時雨(せみしぐれ)が響く夏が映し出されます。鑑賞していたとき、自宅の窓の外でもたくさんの蝉がないていました。親の気持ちもわかるし、こどもや孫の気持ちもわかります。老夫婦に一番親切にしてくれたのは、戦争未亡人となった息子の嫁さんでした。映画が放映された当時、同じ体験をした老夫婦がほかにもいたことでしょう。
 1953年の白黒映画です。戦後13年が経過しています。わたしはまだ生まれていません。新幹線もできていません。広島から東京まで、蒸気機関車で行き来するのです。冒頭付近の煙突から煙がもくもくとあがっている映像から映画「キューポラのある街」を思い浮かべました。たしか埼玉県川口市が舞台でした。東京物語で出てくる東京は大都会というよりも田舎です。映像にある風景は、今はもう残っていないのでしょう。真夏のようですが、映画の中にはエアコンも扇風機もありません。おおぜいの人たちは、片手にうちわをもってパタパタと自分の顔をあおいでいます。アスファルトやコンクリートも少なかった時代だったので、今のような照り返しの暑さはなかったことでしょう。
 長男は町医者で孫が男の子ふたり、そのこどもたちは他の作品でも出演しているのですが、なかなか面白いコンビです。美容師となった長女も含めて、登場人物たちは相手に言いにくいことをあけすけにずけずけと発言します。こどもたちはみな、稼ぐことや世間に責任を果たす(いい顔をみせる)ことで忙しい。
 親族間の交流において、相手宅に泊まったり、食事の提供を受けたりすることは、相手にとって負担になります。だから後年、ホテルや外食になってきたのですが、この映画の場合、こどもたちがお金を負担しあって老夫婦を熱海に泊まらせます。でも熱海の夜は歌謡曲の楽団や麻雀をするグループでうるさくてふたりは眠ることができません。東京のこどもたちから熱海に3・4日泊まってくるようにと言われましたが、ふたりは1泊で東京に戻ります。でも、その夜に、ふたりが泊まるところがないのです。夫は東京に出てきている知人宅に泊まろうとするのですが、結局ホームレスのような状態になってしまいます。妻は、戦争未亡人となった嫁のところで寝ます。後日、東京に行って一番よかったのは、彼女宅で泊まったことと亡妻は言います。
 尾道で両親のめんどうをみている2女の小学校教師は、東京や大阪の兄たちや姉を責めます。戦争未亡人になった嫁が2女を慰めます。しかたがないのよ。そう、しかたがないのです。薄情なことですが、こどもの立場に立ってみれば、今は、自分たちの家庭があるのです。そして、親から離れて遠方に住むようになれば、久しぶりに会うたびごとの別れがこの世で最後の別れと同じくらいの感覚があるのです。その感覚も何十年も経過すると薄らぎます。お互いに無事であればそれでいい。お互いに負担をかけて無理してまで会わなくてもいい。年をとってくるとわかります。そうして、自分たちも自分のこどもから同様の扱いをうけるときがくるのです。
 面白いのは、尾道が実家なのに老夫婦が名古屋弁でしゃべります。かと思うと主役の笠智衆(りゅうちしゅう)さんが九州弁でしゃべります。笠さんはたしか熊本出身でした。方言が途中で変わってしまうのですが、そのまま映画化されています。
 現代では、便利な新幹線や自家用車があり、携帯電話も普及して、遠方を遠方と感じなくなりました。それでも、体が不自由な高齢者になれば、東京物語と同じ状況になります。なかなか遠方のこどもの家を訪ねることはできません。
 会話の運びに独特な味わいがあります。まず本音を出す。それから、右方向のことを言うと相手は左方向のことを言う。次に、相手はしつこく右方向のことを言ったあと、両者は左方向のことを言う。最後は、相手の立場を尊重した肯定的な会話におさまります。


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