2011年07月21日

さや侍 映画館とパンフレット

さや侍 映画館とパンフレット

 「さや侍」ということから、刀の刃がない状態で、どうやって、チャンバラをやるのかと興味をもちました。チャンバラではありませんでした。母親を失くした失意の若君を30日以内に笑わせることがさや侍の役目でした。笑わせることができなかったら切腹です。
 いい映画でした。監督の優しい人柄が伝わってきます。そして、監督の周囲にいる人たちとか組織が監督の脇をがっちりと固めた映画でした。冒頭からしばらくは、セリフがありません。やがて、登場人物たちはおしゃべりとなり、後半は目じりから涙が落ちて頬を伝います。車を走らせて映画館まで来てよかった。
 妻を亡くしてふぬけになった野見勘十郎は、強迫神経症という病気に罹患(りかん)しているようです。まるで幽霊のような二丁短銃のパキュン、三味線のお竜、骨殺師ゴリゴリに切られたり撃たれたりするシーンは不可解です。ゴリゴリが何度も発する「どうゆうことだよ!?」というセリフは、こちらが言いたい。されど、それら3人はこの映画で必要なキャラクターです。
 若殿を笑わせるための繰り返しはお笑い番組かお笑いプロダクションのオーディションのようです。回が深まって、勘十郎の娘であるたえが毎回最初に口上を述べたあとの「ひー、ふー、みー、いざ!」が気持ちよく耳に響きます。
 若殿は母親を流行病(はやりやまい)で亡くしてから笑わなくなります。勘十郎は同じく妻を流行病で亡くしてから生きているのか死んでいるのかわからない無気力になります。悲しみの深みにある人を笑わせたり、笑うように仕向けたりすることはきつい。
 娘のたえが最初のうちどうして父親につらく当たるのか違和感がありました。最後は娘が父親を追い込んだようなものです。たえは、武士の娘でした。亡き母親からそのように教育されたのでしょう。
 くやしい!という気持ちをもつ。他者からばかにされたくないという自尊心をもつ。それが、現実社会で是か否かはむずかしいところです。されど映画の中では大切な柱です。良く仕上がった脚本です。積み重ねの成果であることがわかります。喜劇のようで悲劇であり、人間が生きていくうえでの厳しさが冷徹に描かれています。情に流されてはいけない。あわせて、集団心理のブーム(流行)にも触れてあります。支援は本当に支援なのかという質問と疑問があります。さらに、輪廻(りんね、生命の繰り返し)にも触れてあります。ときおり登場する虚無僧(こむそう)は、何かの鍵を握っているというヒントは鑑賞しながら気づきました。でも、最後の展開は予測不可です。胸にジンときました。
 パンフレットには、いくつか驚くべき事柄が書かれていたので紹介しておきます。主役の俳優さんは自分が主役であることを知らなかった。そして、映画の撮影であることも知らなかった。子役のたえが、自分の娘の役であることも知らなかった。本人は、DVDの撮影で、いつものように、自分はエキストラと思い込んでいたようです。まあ、すごい話です。


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