2011年07月10日

ヤマトシジミの食卓 吉田道子

ヤマトシジミの食卓 吉田道子 くもん出版

 タイトルからシジミのお味噌汁を想像する人が多いのではないでしょうか。わたしも味噌汁だと思って読み始めました。老夫婦が、食事をしながら苦労した昔をふりかえるという内容を予想しました。子育てを終えて、こどもは自宅から旅立って、夫婦ふたりに戻ったのです。内容は違っていましたが、読みおえてみると、それでも意味は同じと気づきます。
 本の数ページをめくりおえて、はたと気づきました。本のカバーには、ちいさなチョウチョが描かれています。こどもの頃、身近に飛んでいたベニシジミという蝶がいたことを思い出しました。シジミは貝ではなく、蝶だと気づいたのです。
 かんこ11才は、おとうさんとおかあさん、そしておにいさんの圭太と暮らしています。おにいさんは犬を拾ってきてマフィアと名付けました。そしてかんこは、なんと、おじいさんを拾ってきたのです。おじいさんは風助(ふうすけ)と名乗ります。人間をひろってきて一緒に生活する。犬も人間も一緒と主張するかんこです。原っぱで、ちょっと変なおじいさんを拾ってきたという設定はおもしろい。しばらくこの家においてくれという風助、うしろめたいものがあって家から出て行けといえない両親の気持ちもわかる。岩手県の話も登場します。
 中身の濃い本です。まず、老齢になったひとり暮らしをしている親を都会へ引き取るか否かの迷いと両者である親とこどもの希望のすれ違いがあります。次に「別れ」があります。かんこはハワイへ転校するいちばん親しいともだちと別れなければなりません。さらに風助さんとも別れなければなりません。物語は、風助やかんこの両親の立場に立って、彼らの昔を振り返ります。そもそも過去を振り返って楽しいことばかりだった人なんていません。嫌だったことばかりです。風助さんは過去を「神話の時代」と称します。そしてかんこには「「明日」はかんこの味方だ!」と励ますのです。済んでしまったことを変えることはできません。君のゆく道は果てしなく遠いというフォークソングを思い出しました。
 タイトルの食卓は、横幅80cmぐらいの平たい石を指します。ねたばれになってしまいますが、靴脱ぎ場所としての石です。もとは、一戸建てがあって、玄関に置いてあった石なのです。でも今は、家は取り壊され、その石だけしか残っていません。その周囲に蝶のえさとなる草がたくさん生えていて、蝶たちが集まってくるのです。つまり、その石は家族が集まる食卓なのです。
 どこの家族にも集団としての人生があります。子どもが生まれてにぎやかになって、こどもが成長して家を出て行って静かになる。そして、年寄りが残る。それをいいともわるいとも思わず、そういうものだと理解して人は生きてやがて死んでいくのです。しみじみしました。

(上の感想を書いた1週間後)
 映画「さや侍」を見た後に立ち寄った農業施設で、昆虫展が開催されていました。蝶の標本がいっぱい展示されていましたが、「ヤマトジシミ」という蝶はありませんでした。
 そのかわり、蘭がきれいでした。






こわそうな人が、藪の中からにらんできました。



でも、かわいいヤギさんに癒されました。




(上の感想を書いた1か月後)
仕事先でたまたま「ヤマトシジミ」の標本に出会いました。



ちょうちょのコレクション1



ちょうちょのコレクション2



トンボのコレクション



セミのコレクション



わたしが一番気に入ったちょうちょ




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