2011年01月16日

永遠の0(ゼロ) 百田尚樹(ひゃくたなおき) 講談社文庫

永遠の0(ゼロ) 百田尚樹(ひゃくたなおき) 講談社文庫

 すごい! すばらしい作品です。書評の評判が良かったので読んでみました。今年読んでよかった1冊になりました。有益な書物です。575ページあります。淡々と読み続けて、2日半で最後のページにたどりつきました。0はゼロ式戦闘機を指します。ゼロ戦です。
 太平洋戦争末期、特攻という攻撃がありました。日本軍航空機によるアメリカ軍艦船への自爆攻撃です。冒頭から後半近くまでは、NHKこども向け教育番組のような構成です。特攻で亡くなった祖父の孫である姉と弟による関係者へのインタビューとなっています。内容はリポートです。ところが、530ページまでの長文を経て、その後、物語の展開は、すさまじい変貌を遂げて、本作品は光り輝くがっちりとした1本の小説となります。最初と最後にある米国軍人の報告が物語を引き締めています。
 主役は操縦士宮部久蔵大正8年生まれ、生きていれば85歳ですが、26歳のときに特攻の自爆攻撃をして戦死しています。彼は、生きて戦場から帰りたかった。妻と娘(あかちゃん)に会いたかった。彼は、特攻に反対していた。教官として生徒に死ぬなとメッセージを送っていた。そんな彼の妻が松乃で、そのふたりのこどもが娘の亡清子です。清子のこどもである姉慶子30歳フリーライターと弟健太郎26歳無職のインタビューを受けた人たちを列挙してみます。
 海軍少尉長谷川梅男(旧姓石岡)、海軍中尉伊藤寛次、この時点で、祖父宮部久蔵氏は、海軍航空隊では「臆病者」と呼ばれていたことが発覚します。これまで、わたしが知らないことがたくさん書いてありました。そのひとつは飛行機の種類です。爆撃機は爆弾を装てんしている飛行機で、重量が重いため速度が遅い。爆撃機を警護するのが戦闘機で、爆撃機の速度にあわせるためジグザグに飛行する。ほかにもたくさんありましたが、ここには書きません。歴史経過を登場人物に喋らせる手法で、その内容はわかりやすい。「二十四の瞳」壺井榮著が思い浮かびました。
 海軍飛行兵曹長井崎源次郎、この部分を読んだときに高校時代の恩師を思い出しました。わたしが中学・高校生の頃はまだ、戦地体験者の先生たちが教鞭をとっておられました。授業の合間に戦争体験を語ってくださいました。それから初めてグァム島を訪れた30年前を思い出しました。ツアーのなかに戦争時のことを熱く語るおじいさんがいました。観光グループの中で浮いた存在でした。同じ時代、同じ国民でも、同じ場所で、まったく異なる感想をもつのです。
 ゼロ戦という当時高性能の機種がなかったら、日本は外国の植民地になっていたかもしれません。この本は、今、弱気になっている人を励ます力があります。この時代のこの体験をした人たちの苦労に比べたら現代日本での日本人の苦労は苦労に値(あたい)しません。この本を読むと、なんとか生き抜いていけるという勇気が湧いてきます。
 書中では、大本営とか、日本軍とか、海軍とか、官僚とかに対する批判がたびたび登場します。下の者は死んで、上の者は生き残った。下の者は、人間ではなく、消耗品、備品といった物扱いを受けた。責任を負う責任者はいなかったとなっています。上層部は下層部の進言を聞かず、作戦の失敗がたくさんあったようです。エリートは現場を知らない。映画「八甲田山死の彷徨(ほうこう、さまようこと)」を思い出しました。上層部を信じきってはいけない。現代でも似たようなことはままあります。士農工商に引き続く身分制度がまだ生き続けていたのでしょう。そのような時代背景のなかにあっても、主人公宮部久蔵氏はNo!と言える人でした。戦時中の制服職場で、かつ役職者でありましたが、極限状態でも平常心を失わない勇者でした。下の者たちが南方諸島において命がけで戦っていた頃、上層部は戦艦大和で音楽を聴き、食事を楽しんでいたのです。「大和ホテル」という呼称には腹が立ちました。アニメ「宇宙戦艦ヤマト」のようなロマンと正義は現実にはなかったのです。日本国民はアメリカ合衆国に負けたのではなく、軍部の上層部に負けたのです。251ページ、井崎さんのセリフは涙なしには読めない。戦死した方からのメッセージのリレーです。
 海軍整備兵曹長永井清隆氏、この部分で、ふたりの祖父宮部久蔵氏は「臆病者」ではなく、カリスマ的な操縦の達人であったことが判明しだします。永井氏の話を聞くと、戦争は止められない。そういう時代もあったと諦観(ていかん、あきらめる)するしかないという気持にさせられます。
 海軍中尉谷川正夫、なかにし礼著「兄弟」を思い出しました。作者の兄が戦争から帰ってきたら人格が一変していた。金銭感覚が破綻していたというものでした。330ページ、内地の人たちは、戦争の怖さを知らない。他の本を読んでいると、終戦前年の昭和19年に日本各地を鉄道で旅行したり、旅先ののんびりとした運動会風景を記述したりした場面に出くわします。空爆があったのは、都市部であり、地方の生活に大きな変化はなかったと推測するのです。だから、現代日本人は、太平洋戦争を飛び越して、戦国時代の合戦話で盛り上がったり、武将隊を観光資源にしたりできるのでしょう。本来、武将たちは人殺し集団です。血まみれの権力闘争であり、陣地取り合戦です。現代日本人の大半は、戦いの悲劇を体験していない民族です。第7章で、谷川さんが語ります。戦後の人と戦前の人は違う。「道徳」が失われたと結びます。谷川さんは、戦後、何度も人からだまされ、裏切られています。「恥ずかしながら帰って参りました」というセリフで昭和47年にグァム島のジャングルから帰還した兵隊さんを思い出しました。読み進めていると、もしかしたら主役の宮部さんはどこかで生存しているのではないかという推測と期待感が生まれます。なかなか、彼の死亡の瞬間を見た人は書中に現れません。
 姉さんと司法試験に合格できず実家の鉄工所を継いだ藤木秀一36歳、新聞記者高山隆二38歳の三角関係が挿入されているのですが、この話は当初いらないのではないかという感想をもちました。しかし、最後に必要であったことが判明します。
 海軍少尉岡部昌男、一昨年12月に鹿児島県知覧特攻平和会館を見学しました。そのときに、「先生のわすれられないピアノ」という本を知り、その後読みました。音楽大学の学生さんが特攻に行く前に小学校のピアノを弾かせてほしいと学校に来るのです。これは実話です。岡部少尉の語りを聞いて合点(がてん、理解)がいったのです。なにゆえ、音楽大学の学生が戦闘機で飛ぶのか。そもそも操縦できるのか。軍部は、人材不足を補うために、大学生を特攻隊の要員として引っ張り出し、死地へ赴(おもむ)かせたのです。ピアノを弾(ひ)いた音大生たちは亡くなったことでしょう。本書の主人公宮部久蔵氏は、教官として大学生に「死んではいけない」と諭(さと)します。今も昔もそういうことを言える人は少ない。
 海軍中尉武田貴則、彼は新聞記者高山を徹底的に攻撃します。日本が戦争に突入するようけしかけたのは、新聞社の報道だと断定します。その部分を読んでいると、マスコミの報道に左右されることなく、しっかり判断ができる賢い有権者になろうという気になります。
 海軍上等飛行兵曹影浦介山79歳、元暴力団、たぶん組長クラス、殺人犯歴あり。宮部久蔵を憎んでいます。彼の話を聞いていて、身分制度がないと社会の構築はできないのかとか、死を美化することは間違っていると感じました。
 海軍一等兵曹大西保彦通信員、特攻隊員が特攻に成功したか否かを本人からのモールス信号で確認する役目です。心が苛(さいな、責められる)まれます。彼は、宮部久蔵さんを指して、心が優しすぎたと結びます。
 最後に、読みながら、何度も涙がにじんでくる小説です。「誠実に生きる」ということを学びました。いくつかの心に残った言葉や場面を書き残します。241ページ、海上に不時着した操縦士が、9時間泳いでグァム島にたどり着いた。漂流中、弟の「兄ちゃん」と呼ぶ顔が支えてくれた。286ページ、男にとって「家族」とは、全身で背負うもの。293ページから296ページ、涙なくしては読めません。夫婦とこどもの平凡な暮らしの記述です。344ページ、勇猛果敢な特攻隊員と讃えられた息子の母親が、小学校の用務員室でひとり寂しく亡くなっています。

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