2010年10月13日

岩手県 中尊寺金色堂

岩手県 中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう)

行く前と行った後の感想です。
*が行った後です。

平地にあると思っていた。
*急斜面を登ってから平坦になる山の上にありました。ことに最初の上り坂はかなり急で、車椅子とかお年寄りには大変です。のぼるのもくだるのも難儀です。別途ルートがあるようですが、帰宅してから気づきました。

金色堂は、奈良市興福寺五重塔の横にある東金堂(とうこんどう)のような大きな木造の建物で、金箔(きんぱく)がほどこされた大型の仏像が並べられている。
*金庫の役割を果たすコンクリートの建物の中に、5.5m四方のお堂があり、お堂と小ぶりな仏像群が金ぴかに輝いていました。仏像群は、左、真ん中、右の位置に座しており、左と真ん中は、宗教の対象というよりも美術品でした。右側の仏像群からはそこはかとなく、仏さまのあたたかみを感じました。

みなさま、こんにちは。
わたくしは松尾芭蕉と申す表向きは旅人、裏向きは幕府の使いで地方のありようを調べている忍者でござる。されど、誠のわたくしは、熱烈な俳句好きのじいさまでしかありません。



その証拠に、この地にわたくしの句碑が建っております。
「五月雨の降り残してや光堂」さみだれの ふりのこしてや ひかりどう
さみだれの雨粒のごとくきらきらと輝いているのが金色堂です。



おッ! かえるくん発見、かえる飛び込むなんとかの池という句をつくったことがあります。
あまりたくさんつくりすぎて、思い出せません。



りすくんもいるようです。
りすの句をつくったことはないと思いますが、自信はありません。
たぶん、ないと思います。ないんじゃないかなー。



さて、冗談はこれぐらいにして、次はお堂から見下ろした風景です。
北上川が見えるのですが、写真撮影は苦手なので、どこが川かわかりません。(まんなかちょい上、白い水たまりのようなところ)
「北上川」と聞くと、演歌を思い出しますが、タイトルは思い出せません。
思い出せないことばかりの50代になってしまいました。
義経とか弁慶がこの山の上で生活していたとは思えません。
田園地帯なので、山の下で暮らしていただろうと想いは広がりました。



立派な杉木立でした。
栃木県日光の東照宮参道のようです。



願い事を唱え(となえ)ながら石を積む慣習があるようです。



おそくなりましたが、金色堂をおおっているコンクリートの建物です。
この中、さらにガラス張りの箱に入って、金ぴかのお堂と仏像群が格納されています。
今、「東方見聞録」マルコ・ポーロー著を少しずつ読んでいます。マルコがシルクロードを旅したのは日本の鎌倉時代で、マルコはおそらく中尊寺金色堂のことを伝え聞いて、黄金の国ジャポン(ジャパン)と思い込んだのでしょう。



最後は、武蔵坊弁慶さんのお墓です。
奈良県吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)近くの神社で、彼が過ごした部屋を見学したことがあります。
あの地からこの地まで長い旅だったことでしょう。
弁慶さん、お疲れさまでした。




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