2024年10月14日

顔も見たくない人

顔も見たくない人

 歳をとって今は、ずいぶん楽になったと思います。
 先日読んだ本は、『ユダヤ人大富豪の教え 一生もののお金と人生の教養 100万人に読み継がれるビジネス書を変えた金字塔 本田健 だいわ文庫』です。
 本の中に、『自由人、不自由人』という項目が出てきます。
 サラリーマンは、不自由人です。
 そして、自分が思うには、定年退職した無職の年金生活者である今の自分は自由人です。
 拘束がありません。(こうそく:行動の自由を縛る(しばる)こと)

 もうどこの組織にも属する気持ちはありません。
 もう収入を得るために、だれかの指示に従う義務を負うこともありません。
 ほんとうに、心身ともに楽になりました。

 『立場で物を言う』
 そんな苦労がありました。
 自分の腹の中で思っていることと、相手の主張が同じなのです。
 でも、仕事だと、自分の意思とは正反対のことを相手に話さなければならないことがあります。
 そうしないと、給料をもらえないのです。生活していくためには、お金が必要なのです。自分だけの生活費ではありません。配偶者やこどもたちの生活費でもあります。仕事を辞めることはできません。

 テレビで報道される衆議院選挙のことでいろいろと思うことがあります。国会とか、永田町で起きていることは、日本の社会の縮図だと感じるのです。お金のことにしろ、世襲のことにしろ、どこでもあることなのです。
 人間界には、『理想』と『現実』があります。立場や人生体験によって、言うことが違ってきたりもします。
 世の中は、不合理、不条理、理不尽、不公平が下地になってできあがっています。
 純白も真っ黒もありません。あるのは灰色です。つねに、グレーゾーンのどこでお互いが妥協するかでしのぎを削っているのです。(互いに激しく争う。鎬(しのぎ):刀剣で、刀身(とうしん)の筋(すじ))。
 競争社会です。そして、民主主義は、自分たちとあいつらの世界です。どうしたって、ふたてに分かれるようなシステム(制度)なのです。

 どろどろとしていて、なかなか正義は通らないのです。組織においては、権力を握っている(お金とか人事とかの権限)人間が強いのです。権力闘争があります。きれいごとだけでは通りません。それが人間界です。
 『勇気ってなんだろう 江川紹子 岩波ジュニア文庫』という本があります。職場の不祥事を内部告発した本人とその家族・親族がぼろぼろになっていく記事がありました。世の中は、正しいか、正しくないかという基準だけで回っているわけではないのです。
 まず大きな利益の固まりがあって(世の中での一番のお金の塊りは(かたまり)は、『税金』です)、そこにたくさんの人たちが群がって(むらがって)利益を分かち合おうとするのです。各自の利益の取得を阻む(はばむ)存在は干される(ほされる)のが、人間社会の厳しい現実なのです。

 『あの日あの時あの場所で、あの人に会わなければ、あんなひどい目にあわなくて済んだのに……』ということは、だれしもにあてはまる人生体験です。

 人生を送っていくなかで、自分にひどい不利益をもたらした人、自分の人格を否定するような行為をした人、自分に大恥をかかせた人、仕返ししたいとか、復讐したいとか、そういうことを通りこして、『もう顔も見たくない人』というのは、だれしもにあるような気がします。
 そして、自分自身もだれかに、そう思われているということもあると思います。

 だから、『お互いさま』という言葉があるのだと思います。
 だれかが、『お互いさま』という言葉をつくったのだと思います。

 いっぽう、『あの日あの時あの場所で、あの人に会ったから、今の自分がある』という感謝の気持ちがこもった言葉もあります。

 人間界は、二面性でできあがっています。バランスをとるのです。白か黒かではなく、灰色(グレーゾーン)をめざそうとするのです。それが現実です。

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