2024年10月15日
福岡県 田川市の石炭・歴史博物館、そして、飯塚市のこと。
福岡県 田川市の石炭・歴史博物館、そして、飯塚市のこと。
高齢で施設に入所している親族に面会したあと、祖父母のお墓参りに行って、そのあと時間があったので、事前に、近くで観光地はないかと探して見つけた田川市内にある石炭・歴史博物館を訪れました。移動手段は車です。
福岡県の筑豊地区(ちくほうちく)は、江戸時代から昭和時代(1965年代ぐらい、昭和40年代ぐらいまで)にかけて、炭鉱で栄えた地域です。
それ以前の歴史は古く、縄文時代とか弥生時代の古墳とか遺跡、土器や石器などがたくさん発見されています。また、大和朝廷の時代から大宰府を中心にして国家として治められていた地域だと思います。卑弥呼(ひみこ)がいた239年ころ(卑弥呼が魏に使者を派遣した)にも、この地域で人間が活動していたと思います。
筑豊地区を舞台にした小説作品としては、五木寛之さんの、『青春の門』があって、映画化もされています。自分は高校生のときに映画館で、『青春の門』を観ました。その前に小説も読んでいました。
映画では、大竹しのぶさんがまだデビューしたばかりのころで、大竹しのぶさんの清純さと、新鮮さに、こんなに素敵な女優さんがいるのかと、とても驚いた記憶が残っています。
映画、『青春の門』での大竹しのぶさんの最初のシーンは、たしか、田川市内にある中元寺川(ちゅうげんじがわ)の川沿いのまだ舗装されていない道を走っているシーンでした。まあ、もう半世紀ぐらい前の記憶なので、本当にそうだったのかは自信がありませんが…… なにせ、清新(せいしん。きよらかで新しい。さわやか)な人が現れたという衝撃を受けました。
話は変わりますが、昔、太川陽介さんとえびす・よしかずさんの路線バス乗り継ぎの旅で、福岡県内を移動していたときに、太川陽介さんが、自分の名前と同じ読み方をする市があると言って、こちらの田川市のことをお話しされていました。
筑豊地区出身で、全国区で有名な政治家や芸能人の方がたくさんおられます。
麻生太郎元総理、劇作家・演出家つかこうへいさん、お笑い芸人のバカリズムさん、小峠英二さん、俳優の瀬戸康史さん、将棋棋士加藤一二三さん、シンガーソングライターの井上陽水さん、IKKOさん、大相撲の力士魁皇(かいおう)関(ぜき。関取せきとり)、山田パンダさん(フォークグループ元かぐや姫のメンバー)、演歌歌手の仁支川峰子さん(旧芸名:西川峰子さん)、ほかにもわたしが知らない方がいろいろおられると思います。
それだけこの地域にエネルギーがある証拠だと思っています。
田川市の石炭・歴史博物館には、炭鉱記録画家の山本作兵衛さんの展示がありました。たしか、以前見学した飯塚市歴史資料館にもありました。
もうとうの昔に老齢で亡くなりましたが、高校の担任の先生が、山本作兵衛さんのことを教室で話しをされていました。
今こうして、ノートパソコンを打っているわたしの左前にある本棚には、『炭鉱に生きる(ヤマにいきる) 地の底の人生記録 山本作兵衛 新装版 講談社』という本が立ててあります。おもに、明治・大正時代の炭鉱の記録です。独学で絵を勉強して描かれています。克明な記録です。ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の『世界記憶遺産』に指定されています。たいしたものです。
次の写真の左側の建物が、田川市にある、『石炭・歴史博物館』です。右側の建物は、医療関係の建物でした。駐車場から写真を撮りました。
おもしろい自動販売機があったので、写真を撮りました。
炭坑節の歌詞が書いてあります。
蒸気機関車です。
わたしがこどものころは、まだ実際に走っていました。走っている姿を毎日のように目にしていました。昭和40年代のころです。(1965年代)
次の写真の赤い鉄骨の構築物は、『竪坑(たてこう)』です。
炭鉱労働者である人間や資材を、エレベーターのように、地中深くへと運ぶための構築物でした。こどものころ、じっさいに稼働(かどう)している竪坑(たてこう)を見たことがあります。鉄骨の構築物の真下に、縦穴が深く掘られているのです。
(この文章を仕上げた数日後のこと)
日曜日の夜に、いつものように、テレビ東京の番組、『家、ついて行っていいですか?』を見始めたら、いきなり、こちらの『田川市石炭・歴史博物館』の映像が流れだしたのでびっくりしました。炭坑節の踊りのお祭りイベントが行われている映像でした。
つい2週間ぐらい前に、次の写真にある長屋の前で、夫婦で立って記念写真をとった場所です。 テレビ映像を見ながら、夫婦でおおいに盛り上がりました。本当にびっくりしました。
炭坑節の中に出てくる、『あんまり煙突が高いので、さぞやお月さん煙たかろ さのよいよい』の煙突は、この煙突ではなかろうか。次の写真です。
次の写真の山は、香春岳(かわらだけ)なのですが、長い歳月を経て、山頂部分がぺったんこになってしまいました。
セメントの材料を切り出した結果です。半世紀ぐらい前は、山ですから、三角のような形状のふつうの山の形でした。
映画、『青春の門』でも映像が出ていました。
次の写真は、炭鉱で働く男女のブロンズ像です。
明治、大正の時代から、女性は、男性と同じように坑内(こうない。地の底のトンネル部分)で働いていました。過酷な肉体労働です。坑内で出産してしまうこともあったと聞いたことがあります。
山本作兵衛さんの絵には、背中にあかちゃんをおんぶした10歳ぐらいの男の子が(あかちゃんの兄)が、坑内を歩いているものがあります。
博物館の建物の中には、昔の坑道の中での作業を再現した模型などが展示されていました。
以前、栃木県にある足尾銅山(あしおどうざん)の観光施設を見学したことがあるのですが、似たようなつくりの展示でした。
あれこれ見学して思ったのは、明治時代、大正時代の人たちは、ものすごく知恵のある高い能力をもっていたということです。
なにもないところに必要なものをつくりだす。道具も今ほどそろっていません。考え抜いて、工夫して(くふうして)、時間をかけて、しっかりした建築物、構築物、機械、道具をこさえられています。(製造されています)。たいしたものです。
次からの写真は、田川市のお隣にある飯塚市の風景です。
わたしは、中学・高校6年間のうちの5年間ぐらいをこのあたりで過ごした体験がありますが、正面に見える3つのボタ山は、(石炭を掘ったあとの残土の山)、当時は、色は真っ黒で、形は鋭い三角錐(さんかくすい)でした。半世紀ぐらいがたって、びっくりするぐらい木が生えて、ふつうの山みたいになってしまいました。
次の写真は、飯塚市の繁華街の近くにある、『嚢祖八幡宮(のうそはちまんぐう)』です。
たしか、映画、『青春の門』に映像があったような気がするのですが、記憶に自信がありません。
この日は、(さきほどの田川市石炭・歴史博物館を訪れた日とは異なります)、このあと、アーケードの商店街(長崎街道沿いの)本町商店街、東町商店街、嘉穂劇場(かほげきじょう)、そのあと橋を渡って、ゆめタウン(ショッピングセンター)から飯塚駅まで歩きましたが、シャッターがおりた店舗が多く、半世紀前のにぎわいを知るものとしては、それなりのショックを受けました。
次の写真は、嘉穂劇場(かほげきじょう)というところで、休館中です。中には入れないように門が閉められていました。
以前、建物内を見学したことがあります。けっこう有名な人たちが舞台を踏んでおられます。
2015年(平成27年)10月に夫婦で見学した記録が残っていました。映画、『男はつらいよ』のロケ地にもなっていました。1986年(昭和61年)公開、第37作、『男はつらいよ 幸福の青い鳥』、出演者とマドンナは、長渕剛さんと志穂美悦子さんでした。
わたしは中学生の時、お正月に祖父に連れられて、嘉穂劇場でチャンバラ演劇を観ました。長い時が流れて、孫だったわたしは祖父になりました。今年の夏は、孫を連れて、名古屋伏見にある、『御園座(みそのざ)』へ、ピーターパンの劇を観に行きました。なんというか、親や祖父母というものは、自分がやってもらったように、自分の子や孫にやってあげるものなのです。そういうことがわかる年齢になりました。
筑豊地区のいいところは、山の形が美しいことです。
高い山ではありませんが、地域全体が山々に囲まれています。
山の頂上をつなぐ稜線(りょうせん)がきれいです。
春夏秋冬、四季が変わるごとに、山の色も変化していきます。
朝方などは、靄(もや)がかかって、風情があります。(ふぜい)
この地に住む若い人たちは、胸にいっぱいの夢をかかえて、福岡市経由、あるいは大阪市経由などで、東京を目指していくのです。まあ、直接、東京へはばたく人もいるのでしょうが。
今は、交通の便が昔と比べて格段に便利になりましたので、昔ほどの距離感や、惜別のつらい気持ちは小さくなりました。
どこかのお店にあったチラシ置き場で、『第10回筑前の國(ちくぜんのくに) いいづか街道まつり』のチラシを手にしました。
お祭りの開催日である10月27日(日)は、衆議院選挙の投票日です。重なってしまいましたが、投票に行くのには、期日前投票もあるのでだいじょうぶでしょう。
高齢で施設に入所している親族に面会したあと、祖父母のお墓参りに行って、そのあと時間があったので、事前に、近くで観光地はないかと探して見つけた田川市内にある石炭・歴史博物館を訪れました。移動手段は車です。
福岡県の筑豊地区(ちくほうちく)は、江戸時代から昭和時代(1965年代ぐらい、昭和40年代ぐらいまで)にかけて、炭鉱で栄えた地域です。
それ以前の歴史は古く、縄文時代とか弥生時代の古墳とか遺跡、土器や石器などがたくさん発見されています。また、大和朝廷の時代から大宰府を中心にして国家として治められていた地域だと思います。卑弥呼(ひみこ)がいた239年ころ(卑弥呼が魏に使者を派遣した)にも、この地域で人間が活動していたと思います。
筑豊地区を舞台にした小説作品としては、五木寛之さんの、『青春の門』があって、映画化もされています。自分は高校生のときに映画館で、『青春の門』を観ました。その前に小説も読んでいました。
映画では、大竹しのぶさんがまだデビューしたばかりのころで、大竹しのぶさんの清純さと、新鮮さに、こんなに素敵な女優さんがいるのかと、とても驚いた記憶が残っています。
映画、『青春の門』での大竹しのぶさんの最初のシーンは、たしか、田川市内にある中元寺川(ちゅうげんじがわ)の川沿いのまだ舗装されていない道を走っているシーンでした。まあ、もう半世紀ぐらい前の記憶なので、本当にそうだったのかは自信がありませんが…… なにせ、清新(せいしん。きよらかで新しい。さわやか)な人が現れたという衝撃を受けました。
話は変わりますが、昔、太川陽介さんとえびす・よしかずさんの路線バス乗り継ぎの旅で、福岡県内を移動していたときに、太川陽介さんが、自分の名前と同じ読み方をする市があると言って、こちらの田川市のことをお話しされていました。
筑豊地区出身で、全国区で有名な政治家や芸能人の方がたくさんおられます。
麻生太郎元総理、劇作家・演出家つかこうへいさん、お笑い芸人のバカリズムさん、小峠英二さん、俳優の瀬戸康史さん、将棋棋士加藤一二三さん、シンガーソングライターの井上陽水さん、IKKOさん、大相撲の力士魁皇(かいおう)関(ぜき。関取せきとり)、山田パンダさん(フォークグループ元かぐや姫のメンバー)、演歌歌手の仁支川峰子さん(旧芸名:西川峰子さん)、ほかにもわたしが知らない方がいろいろおられると思います。
それだけこの地域にエネルギーがある証拠だと思っています。
田川市の石炭・歴史博物館には、炭鉱記録画家の山本作兵衛さんの展示がありました。たしか、以前見学した飯塚市歴史資料館にもありました。
もうとうの昔に老齢で亡くなりましたが、高校の担任の先生が、山本作兵衛さんのことを教室で話しをされていました。
今こうして、ノートパソコンを打っているわたしの左前にある本棚には、『炭鉱に生きる(ヤマにいきる) 地の底の人生記録 山本作兵衛 新装版 講談社』という本が立ててあります。おもに、明治・大正時代の炭鉱の記録です。独学で絵を勉強して描かれています。克明な記録です。ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の『世界記憶遺産』に指定されています。たいしたものです。
次の写真の左側の建物が、田川市にある、『石炭・歴史博物館』です。右側の建物は、医療関係の建物でした。駐車場から写真を撮りました。
おもしろい自動販売機があったので、写真を撮りました。
炭坑節の歌詞が書いてあります。
蒸気機関車です。
わたしがこどものころは、まだ実際に走っていました。走っている姿を毎日のように目にしていました。昭和40年代のころです。(1965年代)
次の写真の赤い鉄骨の構築物は、『竪坑(たてこう)』です。
炭鉱労働者である人間や資材を、エレベーターのように、地中深くへと運ぶための構築物でした。こどものころ、じっさいに稼働(かどう)している竪坑(たてこう)を見たことがあります。鉄骨の構築物の真下に、縦穴が深く掘られているのです。
(この文章を仕上げた数日後のこと)
日曜日の夜に、いつものように、テレビ東京の番組、『家、ついて行っていいですか?』を見始めたら、いきなり、こちらの『田川市石炭・歴史博物館』の映像が流れだしたのでびっくりしました。炭坑節の踊りのお祭りイベントが行われている映像でした。
つい2週間ぐらい前に、次の写真にある長屋の前で、夫婦で立って記念写真をとった場所です。 テレビ映像を見ながら、夫婦でおおいに盛り上がりました。本当にびっくりしました。
炭坑節の中に出てくる、『あんまり煙突が高いので、さぞやお月さん煙たかろ さのよいよい』の煙突は、この煙突ではなかろうか。次の写真です。
次の写真の山は、香春岳(かわらだけ)なのですが、長い歳月を経て、山頂部分がぺったんこになってしまいました。
セメントの材料を切り出した結果です。半世紀ぐらい前は、山ですから、三角のような形状のふつうの山の形でした。
映画、『青春の門』でも映像が出ていました。
次の写真は、炭鉱で働く男女のブロンズ像です。
明治、大正の時代から、女性は、男性と同じように坑内(こうない。地の底のトンネル部分)で働いていました。過酷な肉体労働です。坑内で出産してしまうこともあったと聞いたことがあります。
山本作兵衛さんの絵には、背中にあかちゃんをおんぶした10歳ぐらいの男の子が(あかちゃんの兄)が、坑内を歩いているものがあります。
博物館の建物の中には、昔の坑道の中での作業を再現した模型などが展示されていました。
以前、栃木県にある足尾銅山(あしおどうざん)の観光施設を見学したことがあるのですが、似たようなつくりの展示でした。
あれこれ見学して思ったのは、明治時代、大正時代の人たちは、ものすごく知恵のある高い能力をもっていたということです。
なにもないところに必要なものをつくりだす。道具も今ほどそろっていません。考え抜いて、工夫して(くふうして)、時間をかけて、しっかりした建築物、構築物、機械、道具をこさえられています。(製造されています)。たいしたものです。
次からの写真は、田川市のお隣にある飯塚市の風景です。
わたしは、中学・高校6年間のうちの5年間ぐらいをこのあたりで過ごした体験がありますが、正面に見える3つのボタ山は、(石炭を掘ったあとの残土の山)、当時は、色は真っ黒で、形は鋭い三角錐(さんかくすい)でした。半世紀ぐらいがたって、びっくりするぐらい木が生えて、ふつうの山みたいになってしまいました。
次の写真は、飯塚市の繁華街の近くにある、『嚢祖八幡宮(のうそはちまんぐう)』です。
たしか、映画、『青春の門』に映像があったような気がするのですが、記憶に自信がありません。
この日は、(さきほどの田川市石炭・歴史博物館を訪れた日とは異なります)、このあと、アーケードの商店街(長崎街道沿いの)本町商店街、東町商店街、嘉穂劇場(かほげきじょう)、そのあと橋を渡って、ゆめタウン(ショッピングセンター)から飯塚駅まで歩きましたが、シャッターがおりた店舗が多く、半世紀前のにぎわいを知るものとしては、それなりのショックを受けました。
次の写真は、嘉穂劇場(かほげきじょう)というところで、休館中です。中には入れないように門が閉められていました。
以前、建物内を見学したことがあります。けっこう有名な人たちが舞台を踏んでおられます。
2015年(平成27年)10月に夫婦で見学した記録が残っていました。映画、『男はつらいよ』のロケ地にもなっていました。1986年(昭和61年)公開、第37作、『男はつらいよ 幸福の青い鳥』、出演者とマドンナは、長渕剛さんと志穂美悦子さんでした。
わたしは中学生の時、お正月に祖父に連れられて、嘉穂劇場でチャンバラ演劇を観ました。長い時が流れて、孫だったわたしは祖父になりました。今年の夏は、孫を連れて、名古屋伏見にある、『御園座(みそのざ)』へ、ピーターパンの劇を観に行きました。なんというか、親や祖父母というものは、自分がやってもらったように、自分の子や孫にやってあげるものなのです。そういうことがわかる年齢になりました。
筑豊地区のいいところは、山の形が美しいことです。
高い山ではありませんが、地域全体が山々に囲まれています。
山の頂上をつなぐ稜線(りょうせん)がきれいです。
春夏秋冬、四季が変わるごとに、山の色も変化していきます。
朝方などは、靄(もや)がかかって、風情があります。(ふぜい)
この地に住む若い人たちは、胸にいっぱいの夢をかかえて、福岡市経由、あるいは大阪市経由などで、東京を目指していくのです。まあ、直接、東京へはばたく人もいるのでしょうが。
今は、交通の便が昔と比べて格段に便利になりましたので、昔ほどの距離感や、惜別のつらい気持ちは小さくなりました。
どこかのお店にあったチラシ置き場で、『第10回筑前の國(ちくぜんのくに) いいづか街道まつり』のチラシを手にしました。
お祭りの開催日である10月27日(日)は、衆議院選挙の投票日です。重なってしまいましたが、投票に行くのには、期日前投票もあるのでだいじょうぶでしょう。
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