2024年04月12日

キセキの葉書 邦画 2017年(平成29年)

キセキの葉書 邦画 2017年(平成29年) 1時間30分 動画配信サービス

 人からいい映画だったと勧められて観ました。
 なつかしい気持ちにひたりました。
 音楽と歌がなつかしかった。
 『花の街』、たしか小学生だったか、中学生だったかのとき、音楽の授業で何度も歌いました。合唱曲です。美しい歌詞とメロディーです。
 『耳をすましてごらん』、自分の青春時代にギターを弾きながらよく歌いました。NHK朝ドラ『藍より青く(あいよりあおく)』の主題歌でした。1972年放送(昭和47年)でした。熊本県の天草(あまくさ)という島での話で、自分は天草に土地勘があったので親近感をもちました。
 こちらの映画の舞台になった兵庫県の武庫川(むこがわ)というところへは、親族や友人がいたので、十代後半の頃何度か訪れました。いまはもう知り合いはだれもいません。そんな、大昔のことを思い出しながら映像を観ました。

 障害児(脳性麻痺女児6歳ぐらい)を抱えた母親の物語です。小学四年生ぐらいの長男がいます。夫は大学の先生のようです。
 母親の実家が大分県の佐伯市で(さえきしで)、彼女の父親がいて、実家の母親は精神病と認知症を発症しています。なかなか厳しい環境です。

 まあ、自分は男なので、まず、ご主人とお父さんの動きがあまりないのが気になりました。介護も育児も家事も女性の仕事みたいになっています。(それではいけません。男も参加しましょう)

 冒頭付近にあった。手を握ることによる女児の意思表示が良かった。
 以前読んだ本で、『跳びはねる思考 東田直樹 イースト・プレス』を思い出しました。外見は障害者でも頭脳は明晰(めいせき。はっきりしている)なのです。きちんと意思があるのです。読んだ時の感想の一部です。
 『常識の枠を破って、世界観が広がる本です。会話ができない自閉症である著者が自らは意識をもっていることを証明しています。その知能レベルは高い。22歳同年齢の健常者以上です。奇跡を感じます。驚きました。』
 障害者でも意思疎通は可能なのです。ちゃんと心があって、脳みその中は活動しているのです。表にうまく出せないだけなのです。

 『気持ち』を重視する映画です。
 葉書に気持ちをこめるのです。
 『気持ち以外で人を助けることができますか?』という問いに対して、『それ以外で(気持ち以外で)、助かる人がおるんですか?』と返答がありました。
 人間が窮地に追い込まれたときの最後は、ガッツ(強い意思)で克服するのです。

 葉書は、日記ですな。返事不要の日記です。されど、毎日書いて送るとなればネタ切れ発生です。息子さんにも手伝ってもらいます。日記はやがて、創作物語に変化していきます。
 書き続けることが、文章上達と創作じょうずになるコツです。
 もし自分だったら、書けるときに何枚も書いて、ストック(保存)しておくだろうと思いました。

 生きていくのはつらいなあ。
 つらいこともあるけれど、同じくらいうれしいこともあるなあ。
 そういう映画です。胸を打つ感動があります。

 合唱『花の街』を聴いていると、淡々ときちんと生活していく。一日一日の積み重ねで、夢を達成する。歌にあわせて、一日1枚ずつ娘から母親に届く葉書が増えていきます。『やさしい気持ち』があります。

 施設へ入れる(いれる)話がでます。障害があるこどもさんについてと、老いた認知症の母親についての両方です。
 理想としては、なるべく在宅で介護なりをやったほうがいいと思います。
 施設は楽園でも心地よい天国でもないと思います。本人もまわりもたいへんそうです。
 ただ、親族だけの介護には無理があります。社会的介護(ヘルパー派遣など)に寄りかかったほうがいい。実の親子だけだと、DV(ドメスティックバイオレンス。家庭内暴力)が起きそうです。

 実話の映画化だそうです。
 ご苦労があったとお察しします。

 自分はだいじょうぶと思っている人が、あんがい認知症になったりもします。
 明日はわが身です。

 母親は本を出版するためにがんばって原稿を書きます。今はパソコンの時代なので、映像で見る手書きの原稿書きはちょっと時代錯誤かなと思いましたが、阪神淡路大震災のころは、まだ、ワープロの時代だったから、手書きでもだいじょうぶでしょう。大きな自然災害でしたが、もうずいぶん昔のことになりました。1995年(平成7年)1月17日阪神淡路大震災発災(はっさい)でした。

 映像を観ていて、昔読んだ、『1リットルの涙』を思い出しました。『1リットルの涙 木藤亜矢 幻冬舎文庫』
 たしか、『体が不自由、歩き方を笑われる。自分を金食い虫と責める。頭が悪くてもいいから丈夫な体がほしい。本人もお母さんもつらい。Dr.に病気を治してと訴える。生徒手帳と身体障害者手帳をもらう。修学旅行先で気持ちの悪いものを見るように見つめられる。ついに歩けなくなる。自分は何のために生きているのか。結婚したい。自分にできることは、自分の死体を医学に役立ててもらうことだけ。』と書いてありました。自殺して命を失うなら、その命をわたしにくださいとも書いてあったような記憶です。自殺しちゃだめです。自殺しなくても人間は、いつかは必ず死にます。
 本を二回読んで、以下は、二回目に読んだときの感想です。
『作者は泣き虫でした。後半が近づくにつれ、読者も涙なしでは読めなくなります。二度目の読書にあたって整理しました。家族構成は次のとおりで始まります。7人の大家族です。両親、作者14歳、妹12歳、弟11歳、弟10歳、妹2歳です。母親は保健所勤務の保健師です。作者の病名は、「脊髄小脳変性症」です。17歳で身長149cm、体重36kg、徐々に歩けなくなる。ものをつかめなくなる。声が出なくなる。寝たきりになる。しかし、頭脳ははっきりしています。学力があっても体の動きはついていけない。25歳10か月で亡くなっています。』

 こちらの映画では、仮面うつとか、発作(ほっさ)による呼吸困難とか、自殺企図(じさつきと)とか、考え出すといろいろむずかしい。はりつめたものがある映画でした。
 小学生男児たちによる主人公ママの創作作品批評の時間帯が良かった。批評とはいえ、母親にとっても、くつろげる時間帯でした。
 何も考えないという健康法もあるような気がしました。気持ち60%を入れ込むけれど、あとの40%であきらめる。なんとかなるとあきらめる。リラックス、リラックス。くつろぐ。

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