2024年04月13日

はたらくことは生きること 昭和三十年前後の高知 石田榮写真集

はたらくことは生きること 昭和三十年前後の高知 石田榮写真集 羽鳥書店

 白黒の写真集です。
 これまでに同様なパターンで読んだ写真集の本が二冊あります。
 『筑豊のこどもたち(ちくほうのこどもたち) 土門拳(どもん・けん) 築地書館』
 胸にズシンときます。福岡県の産炭地(炭鉱)だったところです。写真に写っているこどもである本人たちにとっては、隠しておきたい、あるいは忘れたい暮らしだったと思いますが、今となっては本人も忘れかけているくらい昔の出来事になりました。貧しい中でのこどもたちの暮らしがあります。(写真に写っている少年少女たちは、いまごろ八十代かもうお亡くなりになっていることでしょう)
 もう一冊が、『足尾線の詩(あしおせんのうた)写真集 斎藤利江 あかぎ出版』
 写真のなかのこどもたちは、笑っています。昭和三十年代の群馬県・栃木県の山奥のこどもたちです。今は中高年になった人たちの、なつかしいこども時代の姿がそこにあります。また、女性である著者は写真家になりたかったが、父親が反対して、カメラもネガも取り上げた。長い時間が流れ、著者が60歳になったとき、父親によって捨てられたと思っていたネガが発見され、今回の写真集になったという製作のきっかけ話には感動しました。

 さて、こちらのこどもたちや人々が写っている写真集は、昭和三十年ころの高知県の暮らしです。

 ふんどし姿で働く男性がいます。場所は海の近く、浜辺です。
 そういえば、わたしの祖父も(父方も母方も両方の祖父が)、ふんどしを愛用していました。わたしは、ふたりがパンツをはいている姿を見たことがありません。

 高知県内の、農村、鉱山(石灰石採掘)、山里、港町、市場などで撮影された生活・労働・風土の写真です。

 観ていて気づくのは、女性の労働者が多いことです。みなさん働き者です。
 くわえて、こどもも働いています。戦前は、こどもには人権はなく、こどもは労働者として扱われていたと書かれた本を読んだことがあります。それは、日本だけではなく、イギリスを始めとした世界中で、こどもは、家畜のような労働力として期待されていたという時代があったようです。女性も同様でしょう。
 いまNHKの朝ドラ、『虎に翼』でも、1945年(昭和20年)第二次世界大戦の終戦前までは、女性は法律上も、無能力者扱いされています。
 ドラマの中で女性は「禁治産者」だというセリフがありました。きんじさんしゃ:本人だけでは意思決定ができない。結婚した女性の場合は、夫が意思決定をして、妻がそれに従うことがあたりまえとあります。
 余談(本筋から離れた話)ですが、ドラマ『虎に翼』の映像を観ていて、撮影場所がたぶん自分が見たことがある場所です。名古屋市昭和区にある鶴舞公園(つるまこうえん・つるまいこうえんと呼ぶ人もいます)の噴水塔とかその背景にある名古屋市公会堂とか、昔、家庭裁判所だった今は名古屋市市政資料館、名古屋市役所本庁舎内の廊下とか通路ではなかろうかと思う場所もあります。階段や壁などの色は、CG(コンピューターグラフィックス)で加工されていると推理しています。
 そのほか、愛知県犬山市にある明治村の中の施設もロケ地として使ってあるような気がします。まだ始まったばかりですが、このドラマ、『虎に翼』はきっと後世に残る名作になります。このドラマを観るしばらく前から、主役を演じる伊藤沙莉さん(いとうさいりさん)の演技のうまさに感嘆し、感心しながら楽しみに毎日観ています。
 もう一点は、少し前に観ていたNHKドラマ、『正直不動産』に出ていたシソンヌ長谷川さんが、弁護士役で(相方のシソンヌじろうさんも弁護士役です。以前、出川哲朗さんの充電バイクの旅で、シソンヌじろうさんの実家がある青森県内のご親族が出演されていたことを思い出しました)出ていて驚きました。どこかで見たことがある人だと思ったら、ドラマ、『正直不動産』に出てくる登坂不動産(とさかふどうさん)で部長職を演じていた人でした。ドラマ『正直不動産』も、こちらの『虎に翼』も、正義(せいぎ。正しい人の道)を通すことがテーマです。

 こちらの写真集の感想に戻ります。
 石灰岩や石灰石がいいお金になったのでしょう。
 資材の原料です。お化粧品や肥料にもなったそうです。
 
 白黒写真に写っている人たちは、いまはもう寿命でお亡くなりになっている人が多いのでしょう。
 しみじみと胸にくるものがあります。
 人は生きて、人は死んでいきます。

 お金を稼ぐ(かせぐ)ための肉体労働です。
 夫婦で協力して、肉体労働をします。
 手仕事が多い。機械の利用は少ない。人力が基本です。
 自然との共生があります。山があって、川があって、農地があって、海がある。
 母親のそばには、ちいさなこどもがいる。この時代、保育園とか幼稚園は、いなかにはなかった覚えです。わたしは、幼稚園にも保育園にも行ったことがありません。それから、学習塾にも行ったことがありません。わたしがこどもだった頃の故郷九州のまちには、塾というものはありませんでした。

 休憩中でも体を動かします。洗濯をされている女性の写真があります。

 おふろがあります。五右衛門ぶろです。

 女の子はみな、おかっぱ頭です。
 こどもがこどもをおんぶして子守りをしています。
 女の子がたくさんいます。
 おとなの草履(ぞうり)をはいているちいさな女の子がいます。

 映画館があります。映画が娯楽だった時代がありました。
 まちに映画館がたくさんありました。昭和三十年代から四十年代なかばのことです。まだテレビは全戸に普及していませんでした。

 紙芝居の写真があります。
 こどもがいっぱい集まっています。
 類似の写真のデータをわたしはもっているのでここに落としてみます。以前、福岡県の飯塚市にある歴史資料館で撮影したものです。(観光目的で入館した時に撮影の届けを出して撮影しました)日本全国で、紙芝居屋のおじさんたちが活躍していた時代がありました。思い出すに、わたしも小学生のこどものころ、自分で紙芝居を家でつくって友だちに披露していました。







 話は戻って、こちらの写真集の本に載っている幼児はいつも、働く両親のそばにいます。
 こどもがこどものめんどうをみています。
 あかちゃんは、じべた(地面)の上にしいたふとんの上で、ふとんをかぶって眠っています。熟睡しています。海に近い砂浜で寝ているあかちゃんもいます。
 写真をみるとたいへんそうですが、案外、こどもにとっては、安心な環境だったのではなかろうか。目をさませば、まわりに両親や兄弟姉妹、近所のひとたちが働いていました。
 こどもをおんぶして働いている母親も複数います。現代よりも恵まれた労働環境があったように思えます。子育て環境です。保育園に預ける必要がありません。

 なにもかもが人力ですから協力が必要です。
 機械はありません。

 轆轤(ろくろ):回転式の装置。重い物を引いたり上げたりする滑車(かっしゃ)。

 女の子たちは、背中に弟・妹をのせて、みんなで子守りをします。
 ばあちゃんは、ゲタをはいて歩きます。
 海辺で石をひろってきて、みやげ物にします。
 
 海辺で、少し大きな石で釜戸(かまど)をつくり、火をつけて、やかんでお湯をわかし、食事をとる漁師がいます。自給自足の暮らしです。

 稲刈りも人力です。
 わたしも中学の時、のこぎり型のカマを使って、手作業で稲刈りをしたことがありますが、とてもつらかった。腰が痛くなります。

 物を運ぶのは、リヤカーです。
 自家用車なんてなかった時代です。

 馬がいます。労働用の馬です。
 物を運びます。
 牛もいます。
 農耕作業用の牛です。
 鉄道列車に乗る行商人がいます。海の物を山へ、山のものを海へと行商に励みます。
 
 魚市場で、大きな魚を洗う写真があります。
 魚というたくさんの命が生まれて、たくさんの命が消えていきました。

 まき割りをする人。プレス工の人。旋盤工の人。職人技があります。
 
 家のそばには、犬がいます。飼い犬なのかどうなのかはわかりません。

 船で南米へ移民する人たちを見送る写真があります。こちらの写真では、行き先が南米のパラグアイとあります。船上の夫婦やちびっこたちは、夢でいっぱいなのか笑顔です。
 小説『蒼茫(そうぼう) 石川達三』を読んだことがあります。日本から南米へ渡った移民のお話です。過酷な太平洋航路と現地での暮らしで、命を落とす人が多かった。
 (読んだときの感想がデータに少し残っていました)
 「蒼茫(そうぼう、青い海原(うなばら)を指します。)」を読みました。おそらく大正時代末期から昭和時代の初期だと思うのですが、ブラジルへ向かう日本人移民の物語でした。日本を出港した移民船の中で、次々と人が死んでいくのです。病死でした。その先は読んだ時の記憶が定かではないのですが、ブラジルへ移民後も、やっぱり人が死んでいくのです。亡くなっていく群像は、日本の貧困な農民家族でした。
 
 写真集の後半部に、第二次世界大戦中のことが書いてありました。
 自爆することを目的とした特攻隊の隊員を選ぶ時は、『長男』は除外されていたそうです。
 そういう時代が確かにありました。いまも少しは残っているのかもしれません。長男優先の考え方です。家制度の保守です。

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