2024年03月26日

もうじきたべられるぼく はせがわゆうじ・作

もうじきたべられるぼく はせがわゆうじ・作 中央公論新社

 たべられるのは牛くんです。
 おぼろげな色調の絵が渋い。(地味だが味わい深い)

 最初の絵にある文句が、『ぼくはうしだから もうじきたべられるのだそうだ。』
 この一行を見て、思い出す文学作品と邦画があります。
 『食堂かたつむり 小川糸 ポプラ社』
 『ブタがいた教室(DVD) 日活㈱』
 小説、『食堂かたつむり』小川糸著では、言葉を失ったシェフの倫子(りんこ)さんが、エルメスと名付けた豚ちゃんを愛情込めて育てて、最後に自分でエルメスを捌(さば)いて食べます。
 『ブタがいた教室』は、実話の映画化です。本は、『豚のPちゃんと32人の小学生 命の授業900日 ミネルバ書房』です。その本をもとにつくられた映画、『ブタがいた教室』では、小学生26人がPちゃんと名付けた豚を同じく愛情を込めて育てたのですが、倫子さんのようにはいきません。食肉にすることがそうそう簡単にはできません。こどもたちは、迫真の演技でした。

 絵本では、牛の擬人化があります。
 牛は、お肉になる前にお母さんに会いたい。
 ありえない流れです。
 牛に感情をもたせます。
 牛は、列車に乗って、母親がいる牧場を目指します。
 絵本です。
 母と子がいます。親子です。
 どうして、母子は同じ牧場にいないのだろう。(読み手であるへんくつなおとなのわたしです。偏屈:性格が素直ではない)
 お肉になるのは、黒毛和牛です。絵本の絵は、乳牛です。(ヘンです)
 う~む。つっこみどころが多そうな絵本です。
 ペットになる愛玩動物と、人間が食べる食材になる商業用動物がいる。
 メッセージは、牛肉を食べないということではなく、食材になる生き物に感謝するということだろうか。
 牛の親子の愛情シーンというのは、イメージがわきません。
 牛の母は、牛の息子のことなんか考えてはいないでしょう。
 
 自分がお肉になると母親に言ったら、母親は悲しむだろうと考えて、牛君は、母親に会わずに帰ろうとします。電車にのって、帰ろうとします。
 (感情に流され過ぎではなかろうか。ふつう、こどもがお肉になる前に、親が先にお肉になるのではなかろうか)
 母牛が息子牛に気づいて、息子牛が乗った列車を、ものすごい勢いで走りながら追いかけてきます。
 (ああやっぱり)『……ぼくをたべた人が 自分のいのちを 大切にしてくれたらいいな。』
 お話は終わりました。
 
 (本づくりとして)う~ん。どうかなあ。もっと自信をもってほしい。
 強気でいかないとメンタルがつぶれてしまいます。(心が折れる。メンタル:精神。精神力)
 悲しみではなく、人間に向かって、お~れを食べるのなら、最高においしく食べてくれ! ぐらいの気概がほしい。(きがい:強い気持ち)

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