2024年03月25日
怪物 邦画 2023年
怪物 邦画 2023年 1時間58分 動画配信サービス
話題になった映画です。フランスカンヌ国際映画祭での受賞作品です。
初めて観ました。
小学校5年生の少年ふたりが出ているのですが、ラストシーンをどう見るか、ふたてに分かれる気がします。私は、少年たちは土砂崩れに埋まって亡くなったと判断しました。
麦野沙織(むぎの・沙織):安藤サクラさんが熱演します。母子家庭の母親です。夫は事故死したそうです。
麦野湊(むぎの・みなと):麦野沙織の長男。小学5年生には、見えませんでした。中学1年生か2年生ぐらいに見えました。
星川依里(ほしかわ・より):麦野湊のクラスメート。こちらは小学5年生に見えました。才能を感じる演技でした。言動がうまい。父子家庭。母は友人と温泉に行って事故死したらしい。父親(中村獅童さん)から虐待を受けている。背中や腕に傷やあざがある。外見ではわからない。
堀通利(ほり・みちとし):少年ふたりの担任教師。若い男性。すったもんだのトラブルに巻き込まれて、精神的に病みそうです。(やみそうです)
小学校の女性校長:田中裕子さん。すごい演技です。昔、山田太一さんの『思い出づくり。』というドラマを見ていましたが、自分も含めて、同世代の人たちは、お互いに歳をとったなあと実感しました。昭和56年のドラマです。1981年。ほかに、古手川祐子さんとか、森昌子さん、柴田恭兵さんなどが出演されていました。女性陣は、当時は24歳ぐらいでした。こちらの映画では、田中裕子さんが、精神的に虚ろ(うつろ)ではあるけれど、形を整えようと冷静な鬼になります。
火事のシーンが何度か出てきます。
少年たちが放火犯かとにおわせる表現がありますが、事実は明らかにはされません。
小学校でのいじめ、父親から息子に対する虐待、いいかげんな教師たち、モンスターペアレントというもの、まあ、暗い映画でした。
安藤サクラさんが乗っている自家用車が、旧型のシエンタで黄色でした。昔レンタカーでよく借りました。運転席からの見晴らしがいい、運転しやすい車でした。6人以上でも乗れるコンパクトな車でした。
安藤サクラさんのバックでの車庫入れが、おおざっぱで、映像を見ながら、車の後ろがぶつかりそうだと心配していたら、本当にぶつかったのでびっくりしました。
時刻の表現が、順番ではありません。
最初の地点がBで、そのうち過去のA地点へいったん戻って、A地点から、B地点に向かって時間が流れていきます。
その経過のなかで、本当のことが明らかにされていきます。
B地点のときの判断には誤りがあります。事実誤認です。
悪い人だと思われていた人が、そうではなかったという潔白がやがて証明されます。
この世は、誤解と錯覚で成り立っているのです。
(わたしが思うに、時間の流れは、時系列で良かったのではないか。(順番通りということです)。観ていてわかりにくい内容でした。時間軸の変化についていけない時間帯が状況設定を変更した時にありました。それでも、映画の味わいが落ちるということはありません)
(もうひとつは、若い男性教師の変わりようが、極端すぎる気がしました。同じ人間とは思えません)
学校でいろいろトラブルがあります。
怪物だとか、化け物(ばけもの)だとか、おまえの脳はブタの脳だとか、ぶっそうな言葉が飛びかいます。
いろいろややこしい。真実が隠れて、うわべだけが問題にされるから、問題の根本的な解決に至りません。だれかを悪人にして、責任をとらせて、うやむやにする手法です。
最初からしばらくは、状況がよくわからないという状態です。
母親と息子のふたり芝居が続きます。
教師たちは、無表情で、意思表示をしない人たちです。彼らの言葉は整ってはいますが、気持ちはこもっていません。演技です。
みんなが怪物に見えます。おとなもこどもも怪物です。人間じゃない怪物です。
頭のいい人たちは、追いつめられると知らん顔をします。『記憶にありません』と言います。
そんなことは、現実にはなかったと、事実を消しゴムで消すように消し去ってしまいます。
時間が過ぎれば、初めからそのことは、なかったことになります。
外国人がこの映画を観たらどう思うのだろう。
外国の小学校は、雰囲気が明るいような気がします。
映像にある日本版の小学校の雰囲気はとても暗い。
『生まれ変わったかな?』
繰り返し、この言葉が出ます。
ゆえに、ラストシーンは、ふたりの少年は、死んで、別の世界で生まれ変わったと、わたしは思うのです。
ゆがんだ世界を表現してあります。
事実がゆがんでいる世界をあぶり出します。
『教師』がこどもにはめられた。(悪い策略によって落とし入れられた。だまされた。ワナにひっかけられた)
マスコミが混乱に拍車をかける。事実ではないことを記事にして、大々的に宣伝する。
正義の味方のような顔をしているマスコミは、実は、ひどい加害者である。かれらは世間で話題の主を素材にして、金もうけをしたいだけである。
レンゲの花がきれいでした。春の花がいっぱい出てきます。
少年たちにとっての楽園です。
レトロな街並みがきれいでした。明るい雰囲気がありました。
電車ごっこは、むじゃきで良かった。
作文で、わざと鏡文字を使って、メッセージを送る。
教室の後ろのほうに座っていた髪の毛が長い女の子の存在感が強かった。ひとこともセリフはありませんでしたが、何か話の鍵を握っているのではないかと考えました。(考えすぎだったようです)
おばあちゃんの家に引っ越して、転校する。(父親に捨てられることを意味する)
なんか、男同士のラブの表現もあります。
思いきりましたなあ。
もしかしたら、男も女も、だれでもそういう性質が心の奥にあるのかもしれない。
たてまえだらけの社会です。
内情はドロドロです。
それでも生きていかなければなりません。
人は、理不尽、不合理、不条理な社会を、気持ちに折り合いをつけて、やりくりして生きていかねばなりません。
トロンボーンと、ホルンの演奏があります。
だれにも言えないことは、(ラッパに口をつけて)『ふーって』(やるの)
だれにも手に入らないものが、『幸せ』ともうひとつなにか言葉がありましたが、聞き逃してしまいました。ほかにも聞き取れないセリフがいくつもありました。加齢で耳が遠くなっているようです。
観終えて、悲しい映画だと思いました。
この文章を書き終えて、そんなこともないかと思いました。
ふたりの少年は、幸せになったのです。
音楽が、亡くなった坂本龍一さんであることを最後の文字メッセージで知りました。
最近は、昔からなじみの音楽関係者の人たちが次々と亡くなっていきます。
自分と同じ時代を過ごしてきた人たちの訃報はこれからも続くのでしょう。
長い時が流れました。
話題になった映画です。フランスカンヌ国際映画祭での受賞作品です。
初めて観ました。
小学校5年生の少年ふたりが出ているのですが、ラストシーンをどう見るか、ふたてに分かれる気がします。私は、少年たちは土砂崩れに埋まって亡くなったと判断しました。
麦野沙織(むぎの・沙織):安藤サクラさんが熱演します。母子家庭の母親です。夫は事故死したそうです。
麦野湊(むぎの・みなと):麦野沙織の長男。小学5年生には、見えませんでした。中学1年生か2年生ぐらいに見えました。
星川依里(ほしかわ・より):麦野湊のクラスメート。こちらは小学5年生に見えました。才能を感じる演技でした。言動がうまい。父子家庭。母は友人と温泉に行って事故死したらしい。父親(中村獅童さん)から虐待を受けている。背中や腕に傷やあざがある。外見ではわからない。
堀通利(ほり・みちとし):少年ふたりの担任教師。若い男性。すったもんだのトラブルに巻き込まれて、精神的に病みそうです。(やみそうです)
小学校の女性校長:田中裕子さん。すごい演技です。昔、山田太一さんの『思い出づくり。』というドラマを見ていましたが、自分も含めて、同世代の人たちは、お互いに歳をとったなあと実感しました。昭和56年のドラマです。1981年。ほかに、古手川祐子さんとか、森昌子さん、柴田恭兵さんなどが出演されていました。女性陣は、当時は24歳ぐらいでした。こちらの映画では、田中裕子さんが、精神的に虚ろ(うつろ)ではあるけれど、形を整えようと冷静な鬼になります。
火事のシーンが何度か出てきます。
少年たちが放火犯かとにおわせる表現がありますが、事実は明らかにはされません。
小学校でのいじめ、父親から息子に対する虐待、いいかげんな教師たち、モンスターペアレントというもの、まあ、暗い映画でした。
安藤サクラさんが乗っている自家用車が、旧型のシエンタで黄色でした。昔レンタカーでよく借りました。運転席からの見晴らしがいい、運転しやすい車でした。6人以上でも乗れるコンパクトな車でした。
安藤サクラさんのバックでの車庫入れが、おおざっぱで、映像を見ながら、車の後ろがぶつかりそうだと心配していたら、本当にぶつかったのでびっくりしました。
時刻の表現が、順番ではありません。
最初の地点がBで、そのうち過去のA地点へいったん戻って、A地点から、B地点に向かって時間が流れていきます。
その経過のなかで、本当のことが明らかにされていきます。
B地点のときの判断には誤りがあります。事実誤認です。
悪い人だと思われていた人が、そうではなかったという潔白がやがて証明されます。
この世は、誤解と錯覚で成り立っているのです。
(わたしが思うに、時間の流れは、時系列で良かったのではないか。(順番通りということです)。観ていてわかりにくい内容でした。時間軸の変化についていけない時間帯が状況設定を変更した時にありました。それでも、映画の味わいが落ちるということはありません)
(もうひとつは、若い男性教師の変わりようが、極端すぎる気がしました。同じ人間とは思えません)
学校でいろいろトラブルがあります。
怪物だとか、化け物(ばけもの)だとか、おまえの脳はブタの脳だとか、ぶっそうな言葉が飛びかいます。
いろいろややこしい。真実が隠れて、うわべだけが問題にされるから、問題の根本的な解決に至りません。だれかを悪人にして、責任をとらせて、うやむやにする手法です。
最初からしばらくは、状況がよくわからないという状態です。
母親と息子のふたり芝居が続きます。
教師たちは、無表情で、意思表示をしない人たちです。彼らの言葉は整ってはいますが、気持ちはこもっていません。演技です。
みんなが怪物に見えます。おとなもこどもも怪物です。人間じゃない怪物です。
頭のいい人たちは、追いつめられると知らん顔をします。『記憶にありません』と言います。
そんなことは、現実にはなかったと、事実を消しゴムで消すように消し去ってしまいます。
時間が過ぎれば、初めからそのことは、なかったことになります。
外国人がこの映画を観たらどう思うのだろう。
外国の小学校は、雰囲気が明るいような気がします。
映像にある日本版の小学校の雰囲気はとても暗い。
『生まれ変わったかな?』
繰り返し、この言葉が出ます。
ゆえに、ラストシーンは、ふたりの少年は、死んで、別の世界で生まれ変わったと、わたしは思うのです。
ゆがんだ世界を表現してあります。
事実がゆがんでいる世界をあぶり出します。
『教師』がこどもにはめられた。(悪い策略によって落とし入れられた。だまされた。ワナにひっかけられた)
マスコミが混乱に拍車をかける。事実ではないことを記事にして、大々的に宣伝する。
正義の味方のような顔をしているマスコミは、実は、ひどい加害者である。かれらは世間で話題の主を素材にして、金もうけをしたいだけである。
レンゲの花がきれいでした。春の花がいっぱい出てきます。
少年たちにとっての楽園です。
レトロな街並みがきれいでした。明るい雰囲気がありました。
電車ごっこは、むじゃきで良かった。
作文で、わざと鏡文字を使って、メッセージを送る。
教室の後ろのほうに座っていた髪の毛が長い女の子の存在感が強かった。ひとこともセリフはありませんでしたが、何か話の鍵を握っているのではないかと考えました。(考えすぎだったようです)
おばあちゃんの家に引っ越して、転校する。(父親に捨てられることを意味する)
なんか、男同士のラブの表現もあります。
思いきりましたなあ。
もしかしたら、男も女も、だれでもそういう性質が心の奥にあるのかもしれない。
たてまえだらけの社会です。
内情はドロドロです。
それでも生きていかなければなりません。
人は、理不尽、不合理、不条理な社会を、気持ちに折り合いをつけて、やりくりして生きていかねばなりません。
トロンボーンと、ホルンの演奏があります。
だれにも言えないことは、(ラッパに口をつけて)『ふーって』(やるの)
だれにも手に入らないものが、『幸せ』ともうひとつなにか言葉がありましたが、聞き逃してしまいました。ほかにも聞き取れないセリフがいくつもありました。加齢で耳が遠くなっているようです。
観終えて、悲しい映画だと思いました。
この文章を書き終えて、そんなこともないかと思いました。
ふたりの少年は、幸せになったのです。
音楽が、亡くなった坂本龍一さんであることを最後の文字メッセージで知りました。
最近は、昔からなじみの音楽関係者の人たちが次々と亡くなっていきます。
自分と同じ時代を過ごしてきた人たちの訃報はこれからも続くのでしょう。
長い時が流れました。
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