2024年02月21日

大丈夫な人 カン・ファギル 小山内園子・訳

大丈夫な人 カン・ファギル 小山内園子(おさない・そのこ)・訳 白水社

 韓国人女性作家の短編集です。
 9本の短編作品がおさめられています。

『湖――別の人』
 う~む。1回読みましたが、なんだかよくわからない。

ジニョン:若い女性。物語の語り手。首に首を絞められた痣(あざ)がある。25歳のとき付き合っていた男に首を絞められた。(しめられた)。現在32歳。12歳からこれまで、アンジン市の近郊で暮らしている。パンツのポケットにピンセットが入れてある。(護身用?)。口癖は、『わかりません』。

ミニョン:若い女性で、ジニョンの友だち。酒癖が悪い。だから、酒は飲まない。性暴力の被害者。今、意識不明で、入院して3週間がたつ。
 湖のそばで遺体に近い状態でジョギング中の男性に発見された。(物語では、事故と表現される)。意識を失う直前の言葉が、『湖に、置いてきたの。湖に(だけど、周囲の人間にとっては、彼女がそ湖に、何を置いてきたのかがわからない)(釘抜きみたいなもの)(ヘアピンみたいな形)(重い。動かせない)』。事故にあう前、ミニョンの細い腕に青くて丸い痣(あざ)があった。

イハン:若い男性。ミニョンの恋人。性暴力の加害者らしい。(監視カメラの映像あり)。身長190cm。

ミジャ婆(ばあ):湖のほとりにいる高齢者女性。水辺で洗濯をしている。ミジャ婆は、家にいたくない。頭皮がはげている。夫から暴力を受けている。夫が、髪をつかんで引き回している。

 長いページ数ではないので、もう一度ゆっくり最初からページをめくってみます。
 翻訳もの(ほんやくもの)なので、ちょっとした読みにくさはあります。
 
 ミニョンに対する性暴力の加害者であることが疑われるイハンとジニョンが湖に向かっているところから始まります。ミニョンが湖に置いてきたものを探します。

 韓国は、男尊女卑の国で、女性差別、女性蔑視(べっし)がきついとほかの本で読んだことがあります。この本の題材もそういったものかもしれません。

『今日バスで、変な男を見たんだ』
 バスの中で、ひとりごとのように大きな声をあげる男がいた。乗客も運転手も知らないふりだった。

 二号さん(セカンド):この言葉の意味がわかりません。日本だと、妾(めかけ)とか、愛人とか、第二婦人となりますが、この物語では、13歳(韓国では小学生らしい)のミニョンに対して、同級生男子が、『おい、おまえだって二号(セカンド)さんだろ?』と声をかけています。『次女』ではないと思います。

 韓国の男性は、女性を自分の所有物だと思っているから、女性に対して、謝罪はしないのだろうか。

 肝心なことを隠しながら物語は進みます。

 別の名もなき女性が男に付きまとわれる話が出ます。

 二度目の読書が終わりました。内容は、詩的です。なんだろう。男に対する抗議を抽象的なイメージで表現してある作品だろうか。わかりません。感覚的です。具体的になにがどうしたのかの説明がありません。(う~む。この先の短編を読めばわかるのだろうか)


『ニコラ幼稚園――尊い人』
 う~む。この短編群は、ホラー小説(恐怖)という位置づけらしい。人間の心の奥に潜む『悪魔』を呼び起こすのです。闇から悪魔をおびきだすのです。

 教育キチガイママが登場してきます。こどもの教育に関して、過干渉な母親です。こどもに無理に勉強をさせているという噂(うわさ)がある。
 妻(母):ミホ。自分が、8歳のこどものころ、字を読めなかった。
 夫(父):存在感がありません。
 ミヌ:男児。有名私立幼稚園である『ニコラ幼稚園(1947年設立)』の入園に関して、補欠の2番目。入園受付日の9日前から並んだ。入園は、先着順が基本らしい。ミヌは本をたくさん読む。ミヌはその後、一人が退園したので、繰り上げ当選になった。
 ジノの母親:この人が、悪を運んでくるらしい。

 場所は、『アンジン』というところです。架空の地名のようです。

 この幼稚園に入れると、未来は、ソウルの大学に進学して、公務員、実業家、学者になれるらしい。『ニコラ幼稚園を出ると出世する』。
 初代園長は、日本留学して帰国した女性で、自分の女性の子孫だけが幼稚園を運営できるとした遺言を遺した。(のこした)。ニコラ財団がある。
 
 日本では、少子化でこどもの数が減ったので、親の子に対する過干渉が増加しました。
 自分の親の世代は、兄弟姉妹が7~8人いても不思議ではない家族構成でした。まんなかあたりのこどもは、祖父母との交流は薄いし、先祖のお墓参りの習慣もあまりなかった。いっぽう末っ子は案外大事にされました。

 ニコラ:ヨーロッパ系の男性名(宗教と関係があるのだろうか。わかりません)

 園長:40代なかばの女性。

 噂(うわさ):ニコラ幼稚園を悪く言う噂。54ページ付近まで読んできて、具体的になにということは書かれていない。(その後:園長が奇抜な洋服を着る(薄着)ことがあることから、園長の人としての人格が疑われていることがわかります)

 ヤン・スルギ:嘘つき女。手首に赤い火傷(やけど)のような痕(あと)がある。熱した丸い焼きごてをあてられたような形をしているような痕(あと)がある。

 国民学校一年生のときの思い出として、(今でいう小学一年生ぐらいです)担任のチン先生によると:ヤン・スルギは、同級生だった。父親がアンジンの警察署長だった。

 ハングルを学ぶ。できないと、先生が、自分の左の手首を自分で痛めつける。棒で、自分の左手首を叩く(たたく)。

 第10期卒園生の女(ニコラ幼稚園で働いている)

 う~む。何が起きているのかがわかりません。むずかしい。


『大丈夫な人』
 本のタイトルになっている作品です。ホラーなのでしょう。映画の台本のようでもあります。
 結婚を控えたカップルですが、女性の側に不安な心があります。男性が二重人格、二面性があります。もっとも、韓国社会というところは、女性は男性の所有物という思想が下地にあるのではないかと察せられる作品です。ゆえに、女性蔑視、女性差別に対する抗議が作品に内在されていると感じられる作品でした。
 男に従う。頭脳優秀でお金をもっている男に従っていれば、女は、『大丈夫な人』になれるのです。『大丈夫な人』でいられるために、女は、男から暴力を振るわれても、暴言を吐かれても、がまんしなければならないのです。
 男には変な性癖があった。鹿を捌く(さばく。内臓等を処理する)動画シーンが好きだった。夫となる男は、動物を殺して処理するシーンに快感を得るタイプの人間である。
 男には、鹿も女も同様に見えているようすであった。
 男は弁護士であり、米国での暮らしも長期間体験していた。大学までアメリカ合衆国だった。
 女は、平凡な家庭の娘で、弟二人がいた。一般的な暮らしで、裕福ではなかった。
 『私は、ひたすら大丈夫な人になりたかった……』
 男は、『屠畜場(とちくじょう。家畜を解体して肉にする)』が好きだった。
 
 恐怖小説(ホラー映画のワンシーンみたいです)現実味がありません。
 ミンジュ(若い女性)の命が、男に奪われるのではないかという恐怖があります。

 変な男だけれど、(女が)生きていくために、男に従うことにした。『大丈夫な人』になるために。


『虫たち』
 三人の女性が戸建てで同居して、ホラーのような状態になるという短編でした。場所はソウル市内です。
 イェヨン:女性。家の家主。両親が突然他界した。その後、部屋貸し収入で暮らしている。自分は、戸建ての2階に住んでいる。借家人は1階の部屋に住んでいる。

 (私:語り手)スジ:若い女性。短大生。1階の部屋を借りている。

 ヒジン:若い女性。1階の部屋を借りている。

 家の中に不潔な部分がある。臭いもする。虫もいる。

 三人の女性は、月に1回ぐらい、いっしょに食事をする。

 庭付き一戸建て。部屋は、5室ある。2階に2部屋ある。2階は家主のイェヨンが使用している。
 1階にヒジンとスジの部屋がある。台所と納戸、テラスと鍵のかかった部屋がある。
 
 読んでいると、韓国の女性は、気性が激しいのだろうかと思ってしまいます。スジとスジの妹、母親もからんでの対立があります。こどもに対する不公平な扱いがあります。

 ヒジンは、恋人からドメスティック・バイオレンス(暴力)を受けていた。顔に青あざがある。
 
 家主のイェヨンがふたりに、どちらかひとりにこの家を出て行ってほしいと言う。
 イェヨンとヒジンは仲がいい。
 イェヨンには、奇行があります。(奇妙な言動。魚の頭を15個一列に並べてあった)

 読みながら情景を思い浮かべようとするけれど、非現実的でわかりにくいです。ホラー(恐怖、嫌悪)です。


『あなたに似た歌』
 こちらの短編も読み終えましたが意味をとれませんでした。
 中年の母親がいる。末期がんの29歳の娘スジンがいる。スジンは、2年前に卵巣がんが見つかった。ステージ4(体内でがんが転移している状態をいう)。娘は、小説家になりたい。11歳のときに父が死んだ。

 母親は、趣味の教室で声楽を習っている。ソプラノを担当している。発表会に出たい。夫は交通事故死している。ある日の早朝に、夫は、飲酒運転の車にひかれた。
 母親は、若い頃、市の合唱団員だった。夫の死後、保険外交員をしていた。
 文化センター声楽講座の男性講師がいる。発表会に出る生徒は、金次第で決める。うまいへたは二の次という決め方をする。お金でポスト(地位。立場)を買う。

 母と娘は、アンジン市に住んでいる。
 母が運転して、娘が助手席に座って、アンジン最古の建物に向かっている。そこは、宣教師の私邸だった。今は、文化センターの教室代わりに使用されている。『生涯教育センター』という。

 次から次へと文章で情報の提供があります。把握することがたいへんです。

 ときおり、『母さんに似た』という文章が出てきます。がんになったことも、母さんに似たような含みがあります。

 『何事も確認しなければ気が済まない人の話を聞いたことがある。』(社交辞令(その場しのぎのほめことば)を信じない。表は良くても、裏で悪いことをしているだろうと推測する。なにかたくらんでいるのだろうと思う)

 末期がんの患者が車を運転していることが不思議でした。(妄想なのか)

 最後にちいさなこどもの姿が出てくるのですが、意味がわからない。

『部屋』
 こちらの作品も、う~むでした。わからない。
 私:ジェイン
 スヨン:ジェインの女ともだち。
 主の女:家主。首の左が長いそうです。(?です)
 教試院(こうしいん):もともとは、朝鮮半島の大学入試、公務員試験を受験する人が缶詰になって勉強する宿泊施設だった。現在は、大学生、地方出身者、日雇い労働者の安価な簡易宿所。
 チョンセの家。

 貧困について書いてあるようです。
 『風船が割れるように都市は爆発した』
 韓国映画『パラサイト 半地下の家族』みたいな雰囲気があります。
 『(半地下の)ここから窓のある部屋に移ろうとすれば、二年は軽くかかる……』
 設定が、SF(サイエンスフィクション)だろうか、未来都市の話だろうか。
 
 浮腫んでいる:むくんでいる。
 醤油煮(ジャンジョリム):韓国料理
 サンチュ:レタスの一種

 お金のことで、スヨンの体が病気になるのか、スヨンの体が肥大化して、変形、硬化していきます。ホラー(恐怖)話なのかなあ。よくわかりません。
 むずかしい。何が書いてあるのかわかりません。


『雪だるま』
 (僕)ギチェ:11歳

 社会福祉士:女性

 ギチェの兄:17歳。兄は、弟ギチェに暴力を振るってギチェを置き去りにした。兄本人は、11歳のときに骨折・打撲で入院した。13歳のときに交通事故に遭った。母親が、兄を殴って、車の後ろに押し込んだ。
 兄は将来なにかを研究する人になりたい。兄はコンビニで働いていたが、店主にだまされて、多額の借金を負った。

 ウニョン

 なにやらぶっそうな話が始まりました。

 ギチェは、本人が言うには、『閉じ込められている』

 ギチェと兄には共通の夏の思い出がある。

 キーワードは、『大丈夫だって。』という言葉のようです。

 兄による弟への暴力があります。
 父は母に暴力を振るっていたらしい。
 両親は離婚した。母は父の借金を肩代わりした。(かわりに払う。人の債務を代わって引き受ける)

 古紙回収のおばあさん
 古物商の店主のおじさん:背が高くて、顔が真っ黒で、目つきが鋭い。(するどい)
 兄のカノジョ(美容師):弟の髪を切って、丸坊主にしてしまった。

 どこからどこまでが本当で、なにがウソなのかわかりません。映像化すると、けっこう怖いホラー(恐怖)になるのでしょう。

 ときおり、『虫』が姿を現します。虫はなにかを暗示しているのですが、わたしにはわかりません。

 (僕)は、捨てられる。兄から暴力を振るわれて、耳を乱暴に引っ張られたり、背中を蹴(け)られたりする。おまえが、オレの負担になっているという趣旨で弟は兄から怒鳴られる。

 貧しさ、暴力、ホラー(恐怖)、狂気の世界です。

 廃品をお金に変える。

 社会福祉士と最後に会ったのは、22歳のときだった。

 主人公の記憶をたどる文章です。
 主人公はこどものころ、部屋の中で、死体みたいにころがっているところを発見された。タイトルにある、『雪だるま』の幻視があります。

 親を頼れないこどもの悲劇があります。


『グル・マリクが記憶していること』
 読み終えましたが、あいかわらず何が書いてあるのかを理解できません。

グル・マリク:インド人男性。インドでは、低い階級の人間。韓国に滞在していたが、インドに帰国して、火事で亡くなった。

タニ・カーン:インド人女性。グル・マリクと同じインドの村で、同じ日に生まれた。タニ・カーンは若いけれど、現地の60歳男性と婚約して結婚した。夫からDV(ドメスティック・バイオレンス。暴力)を受けた。グル・マリクとふたりで韓国に逃げた。その後、ふたりはインドへ強制送還されたような雰囲気があります。

彼女:韓国人。ハングル(韓国の言語)を教えるボランティア。教育学の大学院卒業。国語教師になりたかったが、採用試験に何度か落ちてあきらめた。

韓国人彼女のカップル相手の男:二十歳。(韓国は、満年齢ではなく、数え年で表記してあると、本のうしろの訳者あとがきにありました)。

ラム:インドの男性。健やか(すこやか)で、裕福な、高い階層の男。

 グル・マリクと韓国人男女三人は知り合いです。
 グル・マリクが、韓国人女性に遺品を送っていた。遺品が韓国人女性に送られてきたのですが、届かないので、女性と男性が荷物を探しに業者がいる『地域の保管センター』行くようすが書いてあります。なかなかイメージしにくい文章の内容でした。

 韓国の街中風景の記述を読んでいると、おととし2022年10月29日、ハロウィンのときに起きた事故を思い出します。群衆雪崩(ぐんしゅうなだれ)事故による圧死者多数です。154人も亡くなっています。

 インドのカースト制(身分制度)のことがからんでいます。女性差別もあります。

 あの人たち:インド人タニ・カーンから見て都市(韓国ソウル)に住む人たちのこと。やがて、『友人たち』と呼び始める。

 グリ・マリクは、『出入国管理事務所』にいたことがある。

 グリ・マリクの理解できない言葉として、『必要ない、と、代わりはいる』

 (グリ・マリクの遺品がどうして、韓国にいる女性のところへ送られてきたのかが不可解です)

 何のために自分は生きているのかを自問する内容です。
 裕福な男が言うには、自分は、人を助けるために生きていると思っていたが、人から必要とされる人間になりたいという承認欲求があった。自分を自慢したかった。そんなふうに意味をとれます。

 現実のことではない、脳内にある風景を再現してあるようです。

<あまりにもわかりにくいので、うしろにあった「訳者あとがき」を読んでみました>
 女性の日常について書いてある。女性の日常は、スリラーだ。(ぞっとするような感覚を与える)
 なにゆえスリラーかというと、女性は常に男性から差別を受けているからである。
 女性蔑視(じょせいべっし:みくだしてばかにする)がある。男性は不満があると女性に暴力を振るう。乱暴な言動をする。だから、スリラーでありホラー(恐怖)なのです。

 人間の奥底にひそむ暗い感情が、文章で表現してある。女の感情もあるし、男の感情もある。
 インド社会には、階級と差別が、世の中の制度として存在している。
 強い立場の者が、弱い立場の物から搾取する。(さくしゅ:利用して、利益をしぼりとる)
 身近に、不安、悪意、卑下(ひげ。見くだし)、怒り(いかり)、諦め(あきらめ)がある。
 短編『部屋』は女性同士の同性愛について書いてあるそうです。

『手』
 最後の短編作品になりました。ここまで、チンプンカンプンで、文字を追って来ただけです。
 
 嫁と姑(しゅうとめ。夫の母親)の諍い(いさかい。対立)話です。
 読み始めて、昔のことを思い出しました。
 ナゴヤドームに小学生だった息子とプロ野球の試合を観に行ったときに、自分たちの前の席におばあさんがふたり座っていました。ふたりのおばあさんは、試合の経過はそっちのけで、お嫁さんの悪口ばかりを延々としゃべり続けていてあきれました。ふたりは、球場へなにをしに来たんだろう? 招待券でももらったのでしょう。しかし、話題がお嫁さんの悪口しかないなんて、なんて、狭くて息苦しい世界で暮らしている人たちだろうかと、かわいそうになりました。

 さて、お話のほうです。

(私)キム・ミヨン:女教師。夫はインドネシアに単身赴任中。ミナという保育園に通う女児がいる。ミナの養育のために夫の母親の実家で、母親と自分と娘の三人で暮らしている。とてもいなかの環境で、担任しているクラスには児童が7人しかいない。姑(しゅうとめ)と同居したことを後悔している。

キム・ミヨンの姑(しゅうとめ。夫の母親):かなり、きつい人です。キム・ミヨンを責めます。言葉遣いが乱暴で、差別用語もポンポンしゃべります。孫娘のミナが祖母の真似をして、差別用語をしゃべります。

デジン:キム・ミヨンの教え子。いじめられている。ヨンジャ婆(ばあ)の孫。

ヨンウ:キム・ミヨンの教え子。いじめっこ。体が大きく学力優秀。表向きはいいこどもだが、実は悪人タイプの個性をもつ。陰で、陰湿にデジンをいじめぬいている。里長(さとちょう。韓国行政区の最小単位の末端の長だそうです)の孫。

 短編のタイトル『手(ソン)』は、『悪鬼(あっき。人間たちに悪をばらまく。性別は女)』のことです。
 主人公の助教師キム・ミヨンは、姑さん(しゅうとめさん)に攻撃されて、さらに、村組織の中で、教え子たちと村人たちにいじめられて、精神状態がおかしくなります。ホラー(恐怖)です。幻聴が聞こえるようになります。(「パンッ」という音が聞こえる。火の熱で、竹が、はじけるような音)

 狭い村組織には、社会的な法令意外に、掟(おきて。その場所だけでの決まり事(ごと))があります。よそ者は嫌われます。排他的です。だれかをいじめて、うさばらしをする空気があったりもします。人間はむずかしいし、人間なんてそんなものです。
 村の風習として:味噌玉麹(みそだまこうじ。蒸した大豆を成形して麹菌を生やす)をつくる。
 
 開発時代:韓国における経済成長至上主義の時代。1960年~70年代(日本だと、昭和35年から40年代)

 差別用語として、『あいのこ』。

 本の中では、おばあさんはつくりばなしをします。実際にはないことを、まるで本当にあったかのように話します。
 わたしは、以前、そういう高齢者女性を実際に見たことがあります。ウソつきおばあさんです。おばあさんの被害者妄想(もうそう)話を聞いた人は、おばあさんのつくり話を全部信じて、無実の人を攻撃したりもします。
 でもおばあさんの話は、全部ウソなのです。そんなことはありません。おかしいですとおばあさんに申し立てても、おばあさんは、ますますウソを重ねていくのです。
 どうしようもありません。おばあさんの話を聞いておばあさんの味方をした近所のおじいさんは、自分が被害者になるまで、だまされ続けます。コワイコワイです。(恐い(こわい))

 焚口(たきぐち):釜戸(かまど)、ストーブ、ボイラーなどの燃料を入れて火をつける口。

 ちょっと自分にはむずかしい本でした。

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