2023年12月11日
線は、僕を描く(せんは、ぼくをえがく) 邦画 2022年
線は、僕を描く(せんは、ぼくをえがく) 邦画 2022年 動画配信サービス
小説は読んだことがあります。
『線は、僕を描く(せんはぼくをえがく) 砥上裕將(とがみ・ひろまさ) 講談社』
(読書メモの一部です)マンガチック(おおげさ)な出だしです。水墨画家のスーパーマンを育成する物語だろうか。主人公は大学法学部の学生で、青山霜介(あおやま・そうすけ)、彼の師匠になるだろう人が篠田湖山(しのだ・こざん)先生、先生の孫娘が水墨画家で千瑛(ちあき)大学生。32ページまで読みました。感想を継ぎ足していきます。大学生のお話だろうか? から入っていきます。大学に入って生まれて初めてアルバイトをする主人公は、お金に苦労がない人と受け取りました。 名人が描いた水墨画は、黒が赤に見えるぐらい迫力があるようです。
今回映画を見てですが、設定が小説とはいろいろ変えてあるようです。
映画のほうの感想です。
水墨画描きにBGM(バックグラウンドミュージック)をかぶせて、ピアノやヴァイオリン音楽で、鑑賞者の心理を引っ張る手法の映画です。
なんというか、見ていて、いろいろ首をかしげました。
平ボディのトラックが、ずいぶん昔の形式の形でした。フェンダーミラーのつくり(サイドミラー)や取り付け位置で、昭和50年代のトラックを思い出しました。いまどきは見かけません。ドアミラー車ばかりです。
あいかわらず喫煙シーンが多い日本映画です。たばこ税徴収のために、国が出す映画製作のための助成金をもらう条件として喫煙シーンを国から強要されているのだろうか。この映画では3回喫煙シーンがありました。
牛肉のパックを写すシーンがあるのですが、一瞬それが、豚肉に見えたのです。よーく見るとオーストラリア産牛肩ロースの切り落としで定価が607円です。そのあと、背景にある牧場の乳牛を写して、その牛がいずれ、さきほどのパック入りの肉になるという表現があるのですが、日本の乳牛がパック肉になることはないし、肉になる和牛の話でもないし不可解でした。さらに続けて、今夜の晩飯は先生を囲んでぜいたくしちゃうぜーーとなるのですが、ワンパック607円の肉をみんなで食べてもぜいたくとは思えませんでした。いろいろとリアルさは不足しています。
主人公が両親を亡くした孤独はまだ披露されない。(37分過ぎあたりから出てきました。小説と違って、妹まで亡くなっています。小説には妹の存在はなかった記憶です)
男は女に恋愛感情をもったように見えましたが、途中でその感情が消えています。
男女は恋人同士には見えません。また、祖父と孫娘は、血縁関係がある祖父と孫には見えません。そういう演技です。
権威主義を主人公の素直な目(感じ方)がたたきつぶす。
水墨画は、薄い色から、濃い色へと変化させていく。渦巻きの動きとか、竜の目に点を入れて、命を吹き込む。
もったいぶった話ではあります。
なかなか真理の部分を見せてくれません。
人の命はあっけなく消えていく。
家をでるときにケンカをするのはやめたほうがいい。それが、お互いにこの世で最後の別れになるかもしれないから。
『いってきます』『いってらっしゃい』と気持ちよく家族を送り出す。
『ただいま』『おかえりなさい』と家族の無事を確認して安心する。
家族をいっぺんにみんな亡くしての主人公の言葉です。『思い出すこともつらいのに、忘れることができなくて、ずっと立ち止まっています』
某アニメ事務所放火大量殺人事件を思い出します。こどもや孫を失うと、親や祖父母は、これから先、何を楽しみに生きていけばいいのかわからなくなります。
喪失感という気持ちを、墨の世界、幻想の世界に変えて表現してあります。
抽象的な世界です。
(先生が主人公に、どうして、弟子にすると声をかけたのか)『真っ白な紙がそこにあったから。(水墨画家として興味をもった)』
失意にある人間が、生きる力を得るために水墨画を描くお話です。
(先生からのメッセージとして)『自分としっかり向き合え』
主人公は頼りない。主人公よりも、まわりの人の援助がありがたい。
ラスト付近の映像は、過ぎた過去のふりかえりになっていて、発展性がありませんでした。
主人公男子と先生の孫娘の2本立てのストーリーになっていて、理解することがむずかしかった。
真っ白な紙がある。
無限の可能性がある。
線を描く(えがく)。
線は命を得て、僕を支えてくれる。
小説は読んだことがあります。
『線は、僕を描く(せんはぼくをえがく) 砥上裕將(とがみ・ひろまさ) 講談社』
(読書メモの一部です)マンガチック(おおげさ)な出だしです。水墨画家のスーパーマンを育成する物語だろうか。主人公は大学法学部の学生で、青山霜介(あおやま・そうすけ)、彼の師匠になるだろう人が篠田湖山(しのだ・こざん)先生、先生の孫娘が水墨画家で千瑛(ちあき)大学生。32ページまで読みました。感想を継ぎ足していきます。大学生のお話だろうか? から入っていきます。大学に入って生まれて初めてアルバイトをする主人公は、お金に苦労がない人と受け取りました。 名人が描いた水墨画は、黒が赤に見えるぐらい迫力があるようです。
今回映画を見てですが、設定が小説とはいろいろ変えてあるようです。
映画のほうの感想です。
水墨画描きにBGM(バックグラウンドミュージック)をかぶせて、ピアノやヴァイオリン音楽で、鑑賞者の心理を引っ張る手法の映画です。
なんというか、見ていて、いろいろ首をかしげました。
平ボディのトラックが、ずいぶん昔の形式の形でした。フェンダーミラーのつくり(サイドミラー)や取り付け位置で、昭和50年代のトラックを思い出しました。いまどきは見かけません。ドアミラー車ばかりです。
あいかわらず喫煙シーンが多い日本映画です。たばこ税徴収のために、国が出す映画製作のための助成金をもらう条件として喫煙シーンを国から強要されているのだろうか。この映画では3回喫煙シーンがありました。
牛肉のパックを写すシーンがあるのですが、一瞬それが、豚肉に見えたのです。よーく見るとオーストラリア産牛肩ロースの切り落としで定価が607円です。そのあと、背景にある牧場の乳牛を写して、その牛がいずれ、さきほどのパック入りの肉になるという表現があるのですが、日本の乳牛がパック肉になることはないし、肉になる和牛の話でもないし不可解でした。さらに続けて、今夜の晩飯は先生を囲んでぜいたくしちゃうぜーーとなるのですが、ワンパック607円の肉をみんなで食べてもぜいたくとは思えませんでした。いろいろとリアルさは不足しています。
主人公が両親を亡くした孤独はまだ披露されない。(37分過ぎあたりから出てきました。小説と違って、妹まで亡くなっています。小説には妹の存在はなかった記憶です)
男は女に恋愛感情をもったように見えましたが、途中でその感情が消えています。
男女は恋人同士には見えません。また、祖父と孫娘は、血縁関係がある祖父と孫には見えません。そういう演技です。
権威主義を主人公の素直な目(感じ方)がたたきつぶす。
水墨画は、薄い色から、濃い色へと変化させていく。渦巻きの動きとか、竜の目に点を入れて、命を吹き込む。
もったいぶった話ではあります。
なかなか真理の部分を見せてくれません。
人の命はあっけなく消えていく。
家をでるときにケンカをするのはやめたほうがいい。それが、お互いにこの世で最後の別れになるかもしれないから。
『いってきます』『いってらっしゃい』と気持ちよく家族を送り出す。
『ただいま』『おかえりなさい』と家族の無事を確認して安心する。
家族をいっぺんにみんな亡くしての主人公の言葉です。『思い出すこともつらいのに、忘れることができなくて、ずっと立ち止まっています』
某アニメ事務所放火大量殺人事件を思い出します。こどもや孫を失うと、親や祖父母は、これから先、何を楽しみに生きていけばいいのかわからなくなります。
喪失感という気持ちを、墨の世界、幻想の世界に変えて表現してあります。
抽象的な世界です。
(先生が主人公に、どうして、弟子にすると声をかけたのか)『真っ白な紙がそこにあったから。(水墨画家として興味をもった)』
失意にある人間が、生きる力を得るために水墨画を描くお話です。
(先生からのメッセージとして)『自分としっかり向き合え』
主人公は頼りない。主人公よりも、まわりの人の援助がありがたい。
ラスト付近の映像は、過ぎた過去のふりかえりになっていて、発展性がありませんでした。
主人公男子と先生の孫娘の2本立てのストーリーになっていて、理解することがむずかしかった。
真っ白な紙がある。
無限の可能性がある。
線を描く(えがく)。
線は命を得て、僕を支えてくれる。
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