2023年11月01日

昔日の客(せきじつのきゃく) 関口良雄 夏葉社(なつばしゃ)

昔日の客(せきじつのきゃく) 関口良雄 夏葉社(なつばしゃ)

 『あしたから出版社 島田潤一郎(しまだ・じゅんいちろう) ちくま文庫』を読んで、こちらの本にたどりつきました。
 著者はおひとりで出版社を経営されています。夏葉舎です。こちらの本『昔日の客(せきじつのきゃく)』を復刊されています。
 『昔日の客』は古書店の店主であった関口良雄さんの随筆です。お客さんとして有名な作家が古書店を訪れていた。初版2500部だった復刊されたこちらの本は、あっという間に売り切れた。2010年(平成22年)のことです。2023年で、13版されています。

 昔日(せきじつ):むかしのこと。
 銀杏子(ぎんなんし):イチョウの種子。古書店の店主であった関口良雄氏の俳号(はいごう。俳人として用いる雅号(がごう。風流な別名)

 正宗白鳥(まさむね・はくちょう):小説家。1879年(明治12年)-1962年(昭和37年)83歳没

 刺が通じ:しがつうじ。名刺を出して面会が可能になる。

 時間に追われていない暮らしぶりです。関口良雄氏も正宗白鳥氏も風の中で二時間近くしゃべっています。『温顔(おんがん)』という漢字を久しぶりに見ました。温厚な顔つきでしょう。
 著者は新聞配達をしていた。配達区域に正宗白鳥宅があった。著者は、二十年ぐらいがたってようやく正宗白鳥氏に会った。

 著者が、会ったことはなくとも、いろんな人の名前が出てきます。

 内村鑑三(うちむら・かんぞう):思想家、文学者、伝道者。1861年(江戸時代末期)-1930年(昭和5年)69歳没

 島崎藤村(しまざき・とうそん):小説家。詩人。1872年(明治5年)-1943年(昭和18年)71歳没

 武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ):小説家、詩人、貴族院議員。1885年(明治18年)-1976年(昭和51年)90歳没

 志賀直哉(しが・なおや):小説家。1883年(明治16年)-1971年(昭和46年)88歳没

 江藤淳:文芸評論家。1932年(昭和7年)-1999年(平成11年)66歳没

(最初の項目を読んだあと、222ページにある『復刊に際して』のところを読みました)
 関口良雄さんのお子さんである関口直人さんの文章があります。父親の仕事は古本屋です。
 三十代なかばから古本屋『山王書房(さんのうしょぼう)』の経営を始めたそうです。息子に『詩を書け』と勧めています。
 
 関口良雄さんについて
 1918年(大正7年)長野県飯田市生まれ。15歳で姉を頼って上京。その後、兄が経営する新聞販売店で新聞配達をする。1945年(昭和20年)海軍入隊。終戦を迎える。1948年(昭和23年)結婚。1953年(昭和28年)東京大田区に『古本店山王書房』を開店した。
 昭和45年の記事でたくさんの作家さんと交流があったことがわかります。
 1977年(昭和52年)がんにより死去。享年59歳
 1978年(昭和53年)随筆集『昔日の客』が三茶書房から刊行された。

(本の20ページに戻ります)
 
 栗島すみ子(くりしますみこ):映画女優。1902年(明治35年)-1987年(昭和62年)85歳没
 水木歌紅(名の読みがわかりません):栗島すみ子の別名。日本舞踏家としての名前

 無闇矢鱈:「むやみやたら」と読むのでしょう。初めて見ました。
 五燭の電球:ごしょくのでんきゅう。ピンポン玉より少し大きめの電球1個。薄暗い灯り

 竹久夢二(たけひさ・ゆめじ):画家、詩人。1884年(明治17年)-1934年(昭和9年)49歳没 美人画。大正ロマン

 広津和郎(ひろつ・かずお):小説家。文芸評論家。1891年(明治24年)-1968年(昭和43年)76歳没

 久米正雄(くめ・まさお):小説家。劇作家。1891年(明治24年)-1952年(昭和27年)60歳没

 古本を買い入れたり、売ったり、タダであげたりする楽しみが書いてあります。

 室生犀星(むろう・さいせい):詩人。1889年(明治22年)-1962年(昭和37年)72歳没

 尾崎士郎(おざき・しろう):小説家。「人生劇場」。1898年(明治31年)-1964年(昭和39年)66歳没

 いろいろ調べるのに時間がかかりますが、『学び』がある本です。

(つづく)

 読んでいて、著者は、大正時代から昭和時代にかけての文化を楽しまれた人という印象が生まれました。大正時代はそれなりにいい時代だったというイメージがあります。
 まだテレビは登場していません。(1953年 昭和28年放送開始です)
 ラジオはありました。(1925年 大正15年から)
 文章を読んで、想像することを楽しむ時代です。
 原稿書きも手書きです。
 楽しみは舞台劇の鑑賞でしょう。

 永井荷風(ながい・かふう):小説家。1879年(明治12年)-1959年(昭和34年)79歳没

 井伏鱒二(いぶせ・ますじ):小説家。1898年(明治31年)-1993年(平成5年)95歳没

 三好達治:詩人。1900年(明治33年)-1964年(昭和39年)63歳没

 上林暁(かんばやし・あかつき):小説家。1902年(明治35年)-1980年(昭和55年)77歳没。本名は、徳廣巌城(とくひろ・いわき)

 44ページ、著者のエッセイ『恋文』は、しみじみとした気持ちにさせられました。人生には光も影もあります。
 著者の兄の友達で、村会議員の息子だった『勉』さんのことが書いてあります。
 現在長野県飯田市となっている土地で、10歳だった著者は、17歳ぐらいだった勉さんから、恋文渡しの仲介を頼まれた。(著者の自宅前に住んでいるお文ちゃん(おふみちゃん)にラブレターを渡してほしい)しかし、タイミングが合わず、恋文は渡せなかった。
 お文ちゃんは、名古屋にお嫁に行った。
 その後、勉さんは親の決めた娘と結婚して雑貨屋を開いて、妻が妊娠した。
 勉さんは、どういうわけか、台湾にひとり旅に出て、台湾の山奥で谷底に落ちて、遺骨になって帰ってきた。
 著者は二十数年ぶりで故郷を訪れ、雑貨屋で、勉さんの老いた奥さんを見た。
 勉さんによく似た15歳ぐらいの勉さんの孫息子がいた。

 伊藤整(いとう・せい):小説家、文芸評論家、詩人。1905年(明治38年)-1969年(昭和44年)64歳没

 横光利一(よこみつ・りいち):小説家、俳人、評論家。1898年(明治31年)-1947年(昭和22年)49歳没

 読みやすい文章です。もしかしたら、著者は小説家になりたかったのかもしれません。

 ゆばりの音:排尿の音

 金殿玉楼(きんでんぎょくろう):黄金で飾り、玉を散りばめた御殿。とても立派で美しい御殿

 牧野信一:小説家。1896年(明治29年)-1936年(昭和11年)39歳没

 松本清張:小説家。1909年(明治42年)-1992年(平成4年)82歳没

 因業(いんごう):がんこで無情なやりかた。

 安藤鶴雄:小説家。1908年(明治41年)-1969年(昭和44年)60歳没

 藤沢清造:小説家、劇作家。1889年(明治22年)-1932年(昭和7年)43歳没

 樋口一葉(ひぐち・いちよう):小説家。1872年(明治5年)-1896年(明治29年)24歳没

 仲田手定之助(なかだ・さだのすけ):彫刻家、美術家、美術評論家。1888年(明治21年)-1970年(昭和45年)82歳没

 トルストイ:小説家、思想家。1828年(日本は江戸時代)-1910年(日本は明治43年)82歳没
 マラルメ:フランスの詩人。1842年(日本は江戸時代)-1898年(日本は明治31年)56歳没
 ボードレール:フランスの詩人、評論家。1821年(日本は江戸時代)-1867年(明治維新が1868年)46歳没

 奉った:たてまつった。
 糊口(ここう):ほそぼそと暮らしを立てる。おかゆを食べる。貧しさの表現
 漂泊(ひょうはく):さまよう。

 山村暮鳥(やまむら・ぼちょう):詩人、児童文学者。1884年(明治17年)-1924年(大正13年)40歳没

 庄野淳三:小説家。1921年(大正10年)-2009年(平成21年)88歳没

 三島由紀夫:小説家、政治活動家。1925年(大正14年)-1970年(昭和45年)45歳没
 三島由紀夫氏が著者の古書店へ来ていたことが書いてあります。1955年(昭和30年)過ぎのころです。
 三島由紀夫氏はまだ30歳ぐらいです。
 新婚の奥さんと来たり、ひとりでもよく店へ来たりしたそうです。その後、世界的な作家になっていって、店には来なくなったそうです。
 昭和43年ころに三島由紀夫氏の父親が店に来たそうです。その2年後に三島由紀夫氏は市ヶ谷駐屯地東部方面総監部で割腹自決をされています。そのころわたしはまだこどもで、白黒テレビでその報道を見ていました。

 読んでいて思うのは、有名人も日常生活を送っているということです。同じ人間です。衣食住の暮らしになにか特別な違いはありません。

 川端康成:小説家。1899年(明治32年)-1972年(昭和47年)72歳没。自死。

 小説家と『自殺』は近い。

 宇野千代:小説家、随筆家。1897年(明治30年)-1996年(平成8年)98歳没

 押川春浪(おしかわ・しゅんろう):作家。1876年(明治9年)-1914年(大正3年)38歳没

 菱田春草(ひしだ・しゅんそう):日本画家。1874年(明治7年)-1911年(明治44年)36歳没

 大国主命(おおくにぬしのみこと):日本神話に登場する神

 おそらく、著者は日記を書いていた。日記がこの本の下地になっていると推測します。
 日記を書くことは、創作活動の基本です。

 著者の故郷、長野県飯田市の思い出について書いてあります。
 わたしは、飯田市にある元善光寺はバス日帰り観光旅行で訪れたことがあります。天竜川の川下りは、自家用車で行きました。
 飯田市の現在の人口が10万人ぐらい、それほど大きな市ではありません。昔はもっと少なかったでしょう。

 著者の父は酒好きだったそうです。
 著者が小学校三年生の時に隣の家にあった柿の実をもぎとって食べたのを隣人に見つかった。
 父親に殴られるかと思ったら、『柿が好きか?』と聞かれた。
 『好きだ』と答えた。
 父親は、近所の家にあった柿の木1本を著者のために5年間契約してくれた。著者は、学校から帰るとその柿の木にのぼって柿の実を食べた。(昔の父親には男意気がありました。細かいことにこだわらず、強い気持ちをもって前向きにいく)

 父は、著者が13歳のときに、55歳で死んだ。(わたしの父は、わたしが12歳のときに40歳で死にました。著者は、父とは13年間の付き合い。わたしは12年間の付き合いとなります。共鳴するものがあります)
 土葬の話が書いてあります。墓場まで、葬式行列をつくります。本では、棺桶に入れた父親のご遺体を墓場まで運びます。(わたしも7歳のときに類似体験があります。近所に住んでいたおばあさんが亡くなって、どういうわけか、わたしが位牌(いはい)の板を両手で顔の前に掲げて、葬式行列の先頭付近を歩きました。山の中腹にある墓場に着いて、棺桶をあらかじめ掘ってあったお墓に埋めて、葬式行列に参加したこどもたちには、新聞紙でくるまれたお菓子がふるまわれました)

 著者の父は、明治三十年ごろ、長野県飯田で、谷川から水を引いて水車を動かし米屋を始めた。
 父は、日露戦争に出征した。(1904年(明治37年)-1905年(明治38年))(わたしが、たまたま今同時進行で読んでいる本が、『地図と拳(ちずとこぶし) 小川哲(おがわ・さとし) 集英社』で、中国東北部(満州)日露戦争前夜ぐらいの時代設定から物語が始まっています)

 著者は、長野県飯田で、何十年もたって、こどものころに住んでいた場所に立った。
 もう何もない。
 それでも、自然の木々は生きていた。

 次のお話です。
 小説家尾崎一雄氏が、著者も知る尾崎一雄作品愛読者の女性の結婚式に祝電を送ったことが書いてあります。女性は、尾崎一雄氏のこどものような年齢だった。
 昭和二年ぐらいに、尾崎一雄氏が大学生だった頃のことが書いてあります。

 堀辰雄(ほり・たつお):小説家。1904年(明治37年)-1953年(昭和28年)48歳没

 池上浩山人(いけがみ・こうさんじん):俳人、国宝級の文化財の修理業。1908年(明治41年)-1985年(昭和60年)77歳没

 題簽(だいせん):紙片に本のタイトルを書いて、本の表紙にはってある紙

 東京有楽町あたりや日比谷公園音楽堂あたりのことが書いてあります。わたしも先月10月中旬に帝国劇場でミュージカルを観て、有楽町と日比谷公園あたりを行ったり来たりして歩いた場所なので、著者が何十年も前にあの場所をウロウロしたと考えると楽しい。
 コーヒーショップのことが書いてあります。『スワン』というお店です。洋画『ローマの休日』のことが書いてあります。ローマの休日:日本公開は、1954年(昭和29年)

 ユトリロ:フランスの画家。1883年(日本だと明治16年)-1955年(昭和30年)71歳没

 大山(だいせん):鳥取県にある姿が美しい山です。わたしは、15歳のときに大山から蒜山(ひるせん)にかけての尾根を縦走したことがあります。幅の狭い頂上付近でした。なつかしい。あのころは、まだ体重が軽くて身軽でした。こちらの本では、著者が、三月上旬に、山陰へ旅をしたときのことが書いてあります。

 筆蹟(ひっせき):筆跡のこと

 等閑森の丘(とおかもりのおか):東京都大田区にある。

 合着(あいぎ):春・秋に着る洋服。あい服

 体重五十五瓩:体重55kg

 浅見淵(あさみ・ふかし):小説家、文芸評論家。1899年(明治32年)-1973年(昭和48年)73歳没

 わたしの知らない人の名前がたくさん出てきます。
 本の中で、みんな寿命で亡くなっていきます。
 著者本人も最後には病気で亡くなります。1977年(昭和52年)に、まだ59歳で、癌で亡くなっています。

 保昌正夫(ほしょう・まさお):国文学者、文芸評論家。1925年(大正14年)-2002年(平成14年)77歳没

 日本近代文学館:1967年(昭和42年)、東京都目黒区駒場に開館した。

 田坂乾(たさか・けん):画家。1905年(明治38年)-1997年(平成9年)91歳没

 出会う人は、善人ばかりではありません。お金を貸してくれ(返す気はない)の人間も出てきます。親切心で人に優しくすると、異常に依存してくる人がいます。
 人づきあいをするときは、だれもかれもというわけにはいきません。相手をよく観察したほうがいい。可もなく不可もなく、利害関係のない人が気楽に付き合えます。

 扁額(へんがく):横に長い額。こちらの本では、著者が営む古書店『山王書房』の扁額について書いてあります。

 尾崎一雄:小説家。1899年(明治32年)-1983年(昭和58年)83歳没

 だんだん結末が近づいてきました。
 『自画像』という詩にこうあります。『先が長いと思っていたが だんだん短くなってきた』寿命のことでしょう。

 大山蓮華(おおやまれんげ):モクレン
 水甕:みずがめ
 侘助(わびすけ):椿の総称
 塩谷:上野公園の植物方の所長(自宅は吉祥寺の駅からバスで15分ぐらいだった)
 長岡輝子:女優。1908年(明治41年)-2010年(平成22年)102歳没

 野呂邦暢(のろ・くにのぶ):小説家。1937年(昭和12年)-1980年(昭和55年)43歳没
 この本のタイトル『昔日の客』が、野呂邦暢氏が本に書いた『昔日の客より感謝をもって』からきていることがわかりました。
 そうか。本好きな人たちがたくさんいます。

 森敦(もり・あつし):小説家。1912年(明治45年)-1989年(平成元年)77歳没

 210ページに『…… ひょっとすると今年あたり命を落とすことになるかもしれないと思った』(まだ、著者は、59歳ぐらいです。内臓に痛みがあります。本当に命を落とします)
 著者本人の記述はそこで終わっています。

 『ご長男が書いたあとがき』
 ご長男によると、お父上は、余命三か月と医師から伝えられたそうです。(しかし、本人への告知はされなかった。思い出してみればそういう時代でした。1977年(昭和52年)当時、癌の告知は死の告知のようなものでした)
 本のあとがきは、著者本人に書いてほしかったけれど、亡くなってしまって書けなかったので、ご長男が、あとがきを書かれたそうです。
 昭和53年1月19日の日付で、あとがきが書かれています。

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