2023年08月25日

光のとこにいてね 一穂ミチ

光のとこにいてね 一穂ミチ(いちほ・みち) 文藝春秋

 調べたら、同作者で、以前読んだ本が『スーモールワールズ』でした。
 文才という才能のある作家さんです。
 そのときの感想メモの一部です。
 『作品は、「いいとか悪いとかでは決められないこともある」と主張します。そこにはなにがしかの「愛情」があります。親の立場で、こどもに優しくも親切にもしたことがないのに、こどもは親である自分に何かをしてくれるだろうと甘えてくる親がいます。こどもの心には憎しみが生まれます。それでもこどもも親も生きていくのが人間です。 』
 
 いつものように、読みながら感想をつぎたしていきます。

 小瀧結珠(こたき・ゆず):7歳。小学二年生(毎日のように習い事。ピアノ、スイミング、書道、英会話)。父は医師(自宅にいる時間は短い)。母は専業主婦に思えます。(ボランティアと称して、売春か不倫をしているのではないか)、兄健人(けんと)は高校三年で大学受験生(ひきこもりではないか)(読み終えてひきこもりではありませんでした)。異様な家族です。先日起きた北海道での首だけ殺人事件を思い出しました。
 小瀧結珠(こたき・ゆず)は母親が怖い(こわい)。小瀧結珠(こたき・ゆず)の学力は高い。

 校倉果遠(あぜくら・かのん):1棟から10棟まである大規模団地に住んでいる。5棟と6棟の間に小さな公園がある。校倉果遠(あぜくら・かのん)は、6号棟の5階に住んでいる小学二年生。(506号室)母子家庭。母親がおかしい。娘への食事の規制が厳しい。アレルギーだからとあるが、なにかしらおかしい。食べてはだめなものとして、添加物があるもの、肉、魚。食べるのは、雑穀米(ざっこくまい)、おからのクッキーや豆。母親は、スーパーにある「しぜんはしょくひん」を売っている。
 たまたまこの本を読む前に読んだ本が『「神様」のいる家で育ちました ~宗教2世な私たち~ 菊池真理子 文藝春秋』で、そのマンガに出てくる信仰をする母親に言動が似ています。
 小瀧結珠(こたき・ゆず)は、校倉果遠(あぜくら・かのん)に髪の毛の三つ編みを教えてあげる。
 校倉果遠(あぜくら・かのん)は、時計が読めなかったのを、小瀧結珠(こたき・ゆず)に教えてもらって読めるようになる。校倉果遠(あぜくら・かのん)は、小瀧結珠(こたき・ゆず)から、ほかにもいろいろ勉強を教えてもらって、学力・能力に関する成長がある。
 
 団地5号棟の男(504号室に住む):小瀧結珠(こたき・ゆず)の母親の売春相手、もしくは、不倫相手ではなかろうか。荒っぽい態度の男です。アル中っぽい。毎週水曜日に小瀧結珠(こたき・ゆず)の母親が小瀧結珠(こたき・ゆず)を連れて部屋を訪れる。小瀧結珠(こたき・ゆず)は、団地の建物の外で、なにかしらのことが終わるまで待っている。

 504号室の男が住む団地の別棟に住む校倉果遠(あぜくら・かのん)の隣室のお姉さん:夜働いているお姉さん。水商売でしょう。ひとり暮らし。荒れた生活を送っているようすです。時々男が来る。男とけんかする。ペットとして鳥かごにインコを一羽飼っている。ピーチャンと名付けている。
 校倉果遠(あぜくら・かのん)の話し相手はピーチャンしかいないらしい。校倉果遠(あぜくら・かのん)には友だちがいないようです。校倉果遠(あぜくら・かのん)はピーチャンに『きみどり』という別名を付けます。【ここに、この章のタイトル『羽のところ』の意味があります。きみどりの羽が校倉果遠(あぜくら・かのん)の宝物なのです】校倉果遠(あぜくら・かのん)は、空に幻視を見ます。校倉果遠(あぜくら・かのん)の心理描写がうまい。
 お姉さんの家には、もう死んでしまったけれど、校倉果遠(あぜくら・かのん)が自分のためだけに名付けた「ちゃいろ」という名前のハムスターが以前飼われていた。

 さゆみ:2号棟に住んでいる校倉果遠(あぜくら・かのん)の同級生

 タイトルにある『光』は、人の名前だろうか。だから『光のとこにいてね』なのだろうか(36ページまで読んで、どうも違うようです)

 第一章、第二章、第三章と別れています。短編3本で、関連をつくってあるのだろうか。

 読み始めてしばらくで判明しますが、物語の進行は、小瀧結珠(こたき・ゆず)と校倉果遠(あぜくら・かのん)が、交代ばんこに語る形式で進んでいきます。小学二年生女児の思考です。
 本の中に、不幸せな児童がふたりいます。

 最初から不穏(ふおん。おだやかではない異様な。なにかが起きそう。不安定)な空気が流れています。
 すごい出だしです。校倉果遠(あぜくら・かのん)が5階のベランダから地面に転落したのかと思いました。
 重苦しく、悲しみのこもった物語が始まりそうです。いまは28ページ付近にいます。全体で462ページあります。本の中の旅です。

 親になってはいけない人がいて、それでも生まれてきたこどもは、生きていかなければならないつらさがあります。

 書き方がうまい。
 両手を伸ばして、空をつかむような描写が良かった。

 母子家庭のこどもは、父親がいる家庭の雰囲気に興味があります。

 ひきこもりとか、ごみ屋敷の話になるのだろうか。

(つづく)

 小瀧結珠(こたき・ゆず)の母親はいわゆる『毒親』に見えます。校倉果遠(あぜくら・かのん)の母親も小瀧結珠(こたき・ゆず)の母親のレベル(水準)まではいかなくても同様です。
 校倉果遠(あぜくら・かのん)の母親は衣類の「かせん(化繊。化学繊維)を嫌う。

 すごいなあ。なかなかこうは書けません。
 『ボランティアとは、偽善者の暇つぶし(ぎぜんしゃ:うわべだけの善人。なかみは自己PR。いいことをしている自分が好き)』
 こどもからの質問「何でうちにはお父さんがいないの?」に対して、「ろくでなしだから」
 凄み(すごみ)があります。すごみ:ぞっとするような恐ろしさ(おそろしさ)

 書かれている文章は、小学二年生女児の意見ではなく、おとなの意見であると思う。

 1999年ノストラダムスの大予言の話題が出ます。地球滅亡の予言でした。地球は2023年の今も存在しています。(だまされないようにしましょう)
 昔の話です。ということは、この物語は、これから、未来に向けて展開していくのでしょう。

 カノン:美しいクラッシク曲です。パッフェルベルのカノンです。校倉果遠(あぜくら・かのん)の名前と重なります。

 できもしなことを、社交辞令(その場限りの相手にとって心地よい言葉)として、小瀧結珠(こたき・ゆず)は校倉果遠(あぜくら・かのん)に声をかけます。
 相手を見くだしたようなことをしたと、小瀧結珠(こたき・ゆず)は罪悪感をいだきます。微妙な心理描写がうまい。

 詩的な表現が続きます。
 文章がキラキラ輝いています。

 大きな不幸が起きることを予想してしまう62ページ付近です。
 64ページに本のタイトルが出てきます。『光のとこにいてね』
 雲間から地上に降りてくる光の柱で照らされる部分が『光のとこ』です。わたしが思うに、その陽だまりで、人の心のいろいろなものが渦巻のように回っているのです。
 
 小瀧結珠(こたき・ゆず)は、成長したら、母親を捨てるのだろう。

 69ページ。第一章を読み終えました。
 そうか…… (言葉が出てきません)

「第二章 雨のところ」
 7歳だったふたりの女児(小瀧結珠(こたき・ゆず)と校倉果遠(あぜくら・かのん))は私立高校一年生15歳として再会します。
 S女(女子高)という学校です。初等部(小学校)、中等部(中学校)、高等部(高校)があって、キリスト教系で、男子校もあります。高等部は、1学年120人4クラス
 校倉果遠(あぜくら・かのん)は、7歳の時に一時的に出会った小瀧結珠(こたき・ゆず)に会いたくてがんばりました。(フツーありえない設定ですが、よしとしましょう)

 S女(えすじょ)の制服は、男よけのために、わざとださいデザインになっている。
 そういう世界です。お金持ちの子女が通うのです。

 近藤亜沙子(こんどう・あさこ):小瀧結珠(こたき・ゆず)の初等部からの女友だち

 藤野素生(ふじの・そう):小瀧結珠(こたき・ゆず)が母親から押し付けられた家庭教師。医学部生。父親が大学病院の偉い医師。両親は、医師の世界のなかの政略結婚的な企てを(くわだて)をもっているように見えますが、小瀧結珠(こたき・ゆず)は、藤野素生(ふじの・そう)を嫌っています。

 小瀧健人(こたき・けんと):27歳ぐらい。藤野素生(ふじの・そう)の異母兄。研修医。母親は彼が9歳のときに病死している。

 せつない再会です。

 ミュール:かかとの高いサンダル

 校倉果遠(あぜくら・かのん)の生活に変化があります。(自立しています)

 比較があります。
 小瀧結珠(こたき・ゆず)と校倉果遠(あぜくら・かのん)の比較です。
 貧富の比較
 依存と自活の比較です。医師の娘である小瀧結珠(こたき・ゆず)はこれまでに1円も自分で稼いだことがない。校倉果遠(あぜくら・かのん)は、働いて、奨学金をもらいながらの勉学です。
 校倉果遠(あぜくら・かのん)に、日常生活に関する良きアドバイザーが付きました。
 校倉果遠(あぜくら・かのん)は、健康食品にこだわる実母を捨てました。

 106ページまで読んできて、内容を単調に感じるようになりました。
 ふたりの女性の考えていることが、交代しながら語られていきますが、内容が単調です。

 伏線として『シロツメクサ』と『卵型の防犯ブザー』そして『ピアノ』くわえて『ココア』

 『美人を使いこなして生きていく』

 ホワイト:麻薬や覚せい剤をやっていないという意味だろうか。(医師の世界において)

 患者は商品なのか。

 アクアパッツァ:魚介類を煮込んだナポリ料理

 小瀧結珠(こたき・ゆず)の両親は、ふたりとも、親とはいえない個性の持ち主です。
 おぞましい上流階級の世界があります。
 『女』は、道具でしかない。

 いもしない『神』を肯定する人たち

 孤独さんは、たいてい図書館にいる。

 さよならの季節に:合唱祭の自由曲

 まだ15歳です。
 人生は成人してからがスタートです。二十代から人生の本番が始まります。
 人生は気が遠くなるほど長い。

(つづく)

 海の写真:寂しい(さびしい)感じの海。図書室にある。ギュスターヴ・ル・グレイの作品。空と海の合成写真。空と海は、小瀧結珠(こたき・ゆず)と校倉果遠(あぜくら・かのん)を表現している。

 小瀧結珠(こたき・ゆず)には『知識』はあるが『(人生)体験』はない。親の支配下にあって、自立はしていない。
 校倉果遠(あぜくら・かのん)は、逆で、『知識』はないが豊富な『(人生)体験』がある。親を拒否して、自立している。

 校倉果遠(あぜくら・かのん)の母親は、母親としてはうまくできていないけれど、彼女は彼女なりに悩んでいる。自分が無力であるという自覚はある。

 小瀧結珠(こたき・ゆず)は、校倉果遠(あぜくら・かのん)との関りから『教育することの喜び』を知った。小学校の先生になりたい。

 小瀧結珠(こたき・ゆず)の父も母も異母兄も、AIロボット(人工知能)みたいな人格です。

 三浦綾子作品『塩狩峠』:読んだことはあります。北海道が舞台でした。鉄道の話です。犠牲者が出ます。宗教がからんでいます。

 ピアノを捨てる:しばらく前に読んだ『ラブカは静かに弓を持つ 安檀美緒(あだん・みお) 集英社』を思い出しました。同作品では、たしか、親族がチェロを捨てたというか、庭で焼きました。
 ピアノと楽曲『カノン』は伏線です。(ふくせん:あとで感動を生むためのしかけ)

 雨のところ:雨が降っている。校庭。通り雨だから、こっちはふっていないけれど、あっちは雨が降っている。

 女子高にはあるのかもしれない。同性に愛を感じるのです。

 小瀧結珠(こたき・ゆず)の父親は、戸籍上の父であるだけで、血縁関係上の実父は違う人ではないかという妄想があります。

 166ページあたりから、なにかしら、深かったものが浅くなっていく。
 180ページ、ここで、深さが復活する。
 校倉果遠(あぜくら・かのん)は、嫌いな母を、嫌いだけれど、見捨てることはできない。校倉果遠(あぜくら・かのん)は、強くて優しい性格の持ち主だから、母を捨てられない。
 弱い人間は身内を捨てる。強い人間は身内を捨てない。

 そして雨が降る。
 小瀧結珠(こたき・ゆず)の校章がなくなる。
 光のところ(街灯(がいとう)の下)
 厳しくも美しい世界があります。

「第三章 光のところ」
 時はさらに流れています。高校のときから10年ぐらいが経過しています。ふたりの年齢は29歳です。
 ふたりともおとなになって、結婚して、こどもがいたりもします。
 二度目の再会です。
 場所は、最初はあいまいな記述でした。
 読書中にたまたま台風7号が日本を来襲して、ニュースで『本州最南端の地 和歌山県串本町では……』と報道されて、この本の中の舞台と同じところであることが判明しました。
 たしか、串本というところにお笑いタレントであるジミー大西さんの祖父母宅があって、大阪という都会の生活になじめなかったジミー大西さんが、祖父母宅に預けられてのびのびとした生活を送ることができたと、番組『東野&岡村の旅猿』でご本人がコメントされていたところです。
 ジミー大西さんにとって和歌山は、自分にとって落ち着く場所だそうです。人生いろいろあります。
 コンクリートジャングルの都会は、とがった矢印のようになって競争する社会です。
 いっぽういなかは、予定調和で、まあるく協調する社会です。どちらも一長一短はあります。

 ブラインドのスラット:羽の部分
 縦型のバーチカルブラインド:縦型のブラインド

 海坂瀬々(うなさか・ぜぜ):(旧姓)校倉果遠(あぜくら・かのん)の娘。不登校中の小学2年生。宗田(そうだ)のフリースクールに通っている。
 海坂水人(うなさか・みなと)(旧姓)校倉果遠(あぜくら・かのん)の夫。寡黙(かもく。しゃべらない。無口)
 岡林:ダイビングショップの経営者。ダイビングインストラクター。住宅兼店舗住まい。
 藤野素生(ふじの・そう):小瀧結珠(こたき・ゆず)の夫。酒は飲まない。
 直(なお):石や岩に興味がある。中学二年生
 宗田:フリースクールの職員。元教員。フリースクールは、不登校児の受け入れ施設

 渉りそう:わたりそう。(198ページに書いてあるこの部分は意味がわかりませんでした)
 
 ブーケ:スナックの店名。フランス語で『花束』

 208ページまで読んできて、壮大な構想のもとにつくられた物語であることがわかります。
 作者の二面性(貧困と富裕体験)が作品に反映されている作品だと感じながら読んでいます。

 夜バス(やばす):深夜運行のバス

 驚いたのは、小瀧結珠(こたき・ゆず)が、ガラスのハートの人に変化していることです。(心が傷つきやすい)
 別の個性にみえます。

 不思議な雰囲気がただよう文章であり、文脈です。(ぶんみゃく:文章の続きぐあい)繊細です。(せんさい:デリケート、傷つきやすい。感じやすい)
 『……人間は変わるでしょ、それはいけないこと?』
 『……(人を)捨てるのはいっつも弱いほう。』

 こどもはいないけれど、小学校教師をしている。
 こどもはできたけれど、流産した。
 実家が医業であることが、医師にならなかった自分にとってのプレッシャーになっている。
 結婚した相手も医師にならなかった。
 家が裕福だったから、人生経験があまりない。衣食住の家事をしたことがない。なにもできないに等しい。
 
 母親は、娘が嫌いだった。

 母は子宮がんになった。

 母親とは距離感がある。

 体裁を保とうとすると親族関係は壊れる。(ていさい:人から見られた時の自分たちの状態)

 閾値(いきち):感覚、反応、興奮をともなう基準値

(つづく)

 第三章から、これまでとは違う話になったようで、違和感をもちながら読んでいます。

 あやめ:フリースクールの中学生
 舞(まい):フリースクールの高校生
 フリースクールというのは、卒業資格が与えられるのだろうか。調べました。
 仕組みがよくわからないのですが、義務教育は卒業したことになるようです。(中学卒業の資格までは得られる。学校は拒否しないでしょう。学校の判断で、フリースクール出席が出席扱いになる)
 高校は、認定試験に合格すれば高校卒業の資格が得られるそうです。

 思い出してみると、自分自身も小学校の低学年のときは、学校に行くのが嫌で、朝、おなかが痛いとか言って親を困らせてずる休みすることがたびたびありました。
 なぜ学校に行きたくなかったかと思い出してみると、教師の体罰が嫌でした。わたしに対する体罰ではなくて、他の児童がどなられたり、びんたされたりしているのを静かな教室内で聞かされて、まるで自分が叩かれて(たたかれて)いるようでいやでした。
 女性の先生でも体罰をする人はいました。男にしても女にしても、いい先生もいましたが、こどもに冷たい先生もそこそこいました。ご自身も過去に体罰を肯定する教育を受けたのでしょう。また、戦後の就職難から、お金のために学校で働いていたということもあるのでしょう。
 戦後になっても長いこと、第二次世界大戦時の軍事教育をひきずっていたのでしょう。中学生男子の頭髪は全国的に丸坊主(まるぼうず)でした。
 いまどきだと、いじめで登校拒否になるのでしょうが、自分はいじめられたことはほとんどありませんでした。たしか、小学二年生ぐらいのときにいじめてくるやつら(男1人、女2人)がいて、体育の授業ですもうをとったら、その3人とあたって、3人とも投げ飛ばしてやって、なんだ、自分はこんなに強いのかと自信がついたいい思い出があります。

 友だちがいない登場人物ばかりです。
 フリースクールの話が続きます。
 この小説の目的は、学校に行けないこどものことなのだろうか。
 
 『鶴の恩返し』のような結婚というたとえが新鮮でした。
 男性にはもったいない奥さんで、奥さんがいなくなるかもしれないから、男性は奥さんを腫れ物(はれもの)にさわるような扱いをするのです。(おそるおそる取り扱う)

 思い出がある防犯ブザーは『お守り』です。

 美月(みつき):近藤亜沙子の娘

 会話形式で内容の進行をしていく手法の文脈です。

 親の心理的支配下で『いい子』でいた。
 そして、破綻した。(はたん:修正ができないほどくずれた)

 307ページ付近で思う。
 小瀧結珠(こたき・ゆず)の母親の浮気みたいな話はどうなったのだろう。(その後、出てきました)

 こういう家族っているのかなあ(否定はできません)
 
 男優先の社会を母親が肯定している。

 トルコの船が沈んだ:1890年(明治23年)トルコから日本への親善使節団を乗せた船であるトルコ軍艦エルトゥールル号が、明治天皇に面会し、東京で3か月滞在後、帰国の途中、串本沖で、台風のために遭難した。乗員587名死亡、生存者69名だった。住民が救助活動や遺体の回収などを行った。生存者は、日本の軍艦でトルコまで帰国した。

 礼奈(れな):海坂瀬々(うなさか・ぜぜ)の友だち

 アイスペール:氷を保管しておく容器

 中学二年生男子である直(なお)の秘密については、まあそうだろうなあと納得できます。

 読んでいてのことですが、作者は、『物』に対して強い思いこみがある人だろうなあ。
 世の中には、物に魂が宿っているとして捨てられない人と、紙は紙、木は木でしかない。プラスチックはプラスチック、魂なんて宿っていないと割り切れる人がいます。
 
 認知症に関する記述部分は極端な気がします。
 まあ、いくらかっこつけても、なんのメリットもありません。現実は現実ですから、恥ずかしいと思わずに、民生委員とか福祉課とかとのかかわりをもったほうがいい。
 ちょっとピンときた言葉として『……おせっかいな善人のほうが厄介(やっかい)だ』(そういうこともあるだろうなあ。よかれと思ってやっても、迷惑がられることは多い)
 子育てで苦労して、頭の中が壊れた高齢の女性がいます。(作品『ポンコツ一家 にしおかすみこ 講談社』を思い出しました)
 
 繊細な小説です。(ガラスのハートです。心が壊れやすい)
 読み手の好みが分かれます。
 
 混乱の一番の原因は、小瀧結珠(こたき・ゆず)の父親にあるのでしょう。(380ページに『……パパのいびつさもよく見える……』とあります。
 医師である父は、家庭人には向かない人です。

 368ページ付近の記述ですが、葬式の場というものは、主催しているほうは、来訪者のことを細かく考える気持ちの余裕はありません。ひたすら、来てくださったことに感謝するだけです。
 設定に無理があります。
 書かれているほど、人の心はそんなに狭くはありません。
 負への思い込みが強い内容です。(負(ふ):良くないこと。うまくいかないこと)

 読んでいて『消防』って、そんな世界だっただろうかと首をかしげます。
 取材はされているのでしょうが、つくった話です。
 もっとざっくばらんで、本音で話す交流がある世界だと思います。基本は『仲間』です。

 あと、親族関係のありようですが、まあ、対立することはあっても、血族、姻族ともに、相手を許して受け入れることはままあります。(後半で、改善されますが、その前の関係の悪さの書き方は極端な気がしました)

(つづく)
 
 シニヨン:フランス語で「うなじ」(首のうしろ)

 なんというか、親子が会うのに、面会の許可をとらねばならないというような不可解な親子関係の世界が描いてあります。
 血族というものは、毎日会ってもいいのです。まるで、血縁関係がないような親子が描かれています。両親が離婚したって、こどもは実の親にいつ会ってもかまわないとわたしは考えています。男女である夫婦ふたりがいっしょに生活することがいやなだけで、こどもは関係ありません。

 作者は、創作で模索しています。自分でもこの話がどうなるのかわからないまま文章を続けているのでしょう。話のもっていきかたの方向は、複数の案があるでしょう。

 薬物投与の殺人か。

 名古屋駅とか、長野県松本市、三重県松坂とか四日市、自分にとって身近な地域がたくさん出てきます。

 390ページ前半の文章表現は秀逸です。

 小瀧結珠(こたき・ゆず)の母親はクレイジーです。『……かわいがらなかったけど、ちゃんと世話はしたじゃない……』(こわい母親です。こどもはペットか)

 404ページ、そおいう展開にもっていくのか。驚きました。(ちょっと前に起きた歌舞伎役者の心中未遂事件を思い出しました)
 この話の場合、通報されても、警察は迷惑でしょう。

 (小説のなかのことなのでそこまで言う必要もないのですが)つまらないことですが、自分が借りたホテルの部屋には、たとえ親族であっても、宿泊契約をしていない人間を入れることはできないと思います。

 いろいろと、できそうで、できない状況設定があります。

 ひとり暮らしをしたことがない人がいます。
 わたしは、18歳から10年間ぐらいひとり暮らしをしたので、ひとり暮らしをしたことがない人たちの言動は不思議です。ひとり暮らしは、気楽な反面、なんでも、自分のことは自分でやらねばなりません。
 高齢になって、配偶者を亡くして、生まれて初めてひとり暮らしになる人は、どんな気持ちになるのだろうと考えたことがあります。
 幸せな時期が長かったいい人生だったといえないこともありません。
 付け加えると、わたしがひとりで生活していた十代から二十代後半のころは、結婚して家族がひとりずつ増えていくことが楽しみでした。
 ボーナスをもらうたびに、家財道具がひとつずつ増えていく楽しみと似ていました。

 450ページ、そういう流れか。(離婚)

 『光のとこにいてね』(そうか『光』とは……(ここには書けません。十分理解できました)
 光はひとつだけではないのです。

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